長友啓典デザインものがたり
マチオモイ帖大阪展スペシャル「クリエイティブサロン×JAGDA DESIGN CAFÉ OSAKA」長友啓典氏

今回のクリエイティブサロンは特別編として、公益社団法人日本グラフィックデザイナー協会大阪地区(JAGDA大阪)との協働で、グラフィックデザイナー・長友啓典氏を招いてお話をうかがった。1960年代から50年以上もの間、日本のグラフィックデザイン界を牽引してきた長友氏。その作品は、私たちが普段の生活の中で何気なく目にしているものの中に数多く存在する。そんな日本を代表するグラフィックデザイナーである長友氏が関西人らしいユーモアたっぷりの口調で語られる「デザインものがたり」。会場の参加者は、JAGDA大阪・元代表幹事の清水柾行氏をナビゲーターに、映し出される大先輩の作品群に息を飲む。最後には長友氏への質問が次々と飛び出し、熱気あふれる会場となった。

長友啓典氏

大阪を代表するラガーマンだった学生時代、そして東京へ。

デザインと出逢うまで

私は1939年生まれ。大阪市阿倍野区で生まれ育ち、市立文の里中学校から府立天王寺高校に進学しました。子どものころの私の生活圏は、あべのハルカスから全て見渡せますよ。中学・高校時代は、ラグビーに熱中していました。大阪代表として、全国大会や国体にまで出場したほどです。青春時代はデザインという言葉さえも知らない、根っからのラガーマン。そのおかげで、今でも体力に自信はありますね。
高校卒業後、大学でラグビーという話もあったのですが、そちらを選ばずに18歳で上京し就職。その会社の社長の息子さんに影響されて、デザインに興味を持ち始めました。息子さんの部屋にあった美術全集などを読みふけっていましてね。ちょうどそのころ「商業デザイン」という言葉が出はじめて、社長のすすめでデザインを学ぶことを決めたのです。

デザイン学生から駆け出しのころ

デザインの学校に進学するために、昼は仕事をし、夜は予備校のお茶の水美術学院に通いました。そこで安西水丸氏と出逢いました。彼はまだ高校生でした。その後、安西くんはイラストレーターとして名をはせ、長いつきあいとなります。私のデザイナー人生に大きな影響を与えた一人ですね。
その後、桑沢デザイン研究所に入学。田中一光先生と出会いました。田中先生は私にデザインの基礎、特にエディトリアルデザインの面白さや奥深さを教えて下さった最初の方です。幸運なことに、田中先生に紹介いただき、早川良雄先生の事務所で半年ほど実習をさせていただきました。そこで、後に一緒にK2を立ち上げる黒田征太郎と出会ったのです。
卒業後は、日本デザインセンターに入社。山城隆一氏のもとで働きました。そのかたわらで、自主制作もしていました。その頃のデザイン界はポスターブームでね。ジャンセンのポスターで日宣美賞をいただいたのが1967年のことでした。ちょうどその頃、黒田がニューヨークから帰国しました。それを機に、日本デザインセンターを退職し、黒田と二人でK2を設立したのがちょうど30歳。以来46年、同じ六本木の事務所で仕事をしています。
当時はデザインの興隆期。こうしてふり返ると、駆け出しのころから人との出逢いに恵まれていましたね。日宣美の受賞をきっかけに、さらに人の輪が広がったように思います。人との出逢いが、私をデザインの道に導き、育ててくれたと言っても過言ではありません。

ジャンセンのポスター
「ジャンセン」1967年 日宣美賞受賞

黒田氏と出会い、K2を設立されてからの長友氏は、六本木の事務所を拠点にさらに活躍の幅を広げる。サロンではスライドを見ながら、作品を年代別に解説して下さった長友氏。70年代、80年代は『平凡パンチ』、『GORO』、『激写』などアートディレクションを担当した雑誌、『写楽』や『西武』など話題になったポスター、90年代には関西の街を一世風靡したFM802のC.Iアートディレクションやポスター、そして2000年代の装丁や雑誌のエディトリアルデザイン。制作エピソードや裏話も交えながら、年代別に順を追ってスクリーンに映し出される作品群は、どれも強烈な印象を放ち、そして美しい。さらに話の中に頻繁に飛び出す多彩な著名人の名前。才能のある人物から多くを吸収したとの長友氏の言葉に、参加者はうなずきながら引き込まれていった。

FM802グッズ
FM802 C.I. ア-トディレクション

独立してから現在にいたるまで。そして今、思うこと。

K2での仕事

70〜80年代はデザインの全盛期でした。経済も右肩上がりでしたから、企業も宣伝に価値を置き、経費をかけていました。やりたい仕事を思う存分できましたね。当時よく飲み歩いていた新宿ゴールデン街は、サブカルチャーのるつぼのようなおもしろい場所でね。そこで駆け出しの俳優や演出家、ミュージシャンに出逢い、飲み交わしながら語り合いました。
仕事、プライベートに関係なく、多くの人物から影響を受けました。カメラマンの篠山紀信氏、イラストレーターの和田誠氏、コピーライターの開高健氏、ファッションデザイナーのコシノヒロコ氏、ミュージシャンの喜納昌吉氏、演出家の唐十郎氏、歌舞伎役者の中村勘九郎氏(後の勘三郎氏)、作家の伊集院静氏……みんな素晴らしい才能を持っていて、その才能を余すところなく自分の作品や表現にぶつけてくるのです。私も負けていられないなと、いつも思っていました。
どれも大切な作品ですが、印象に残っているものの一つに、都はるみさんリサイタルのポスターがあります。まだパソコンのなかった時代。はるみさんをイメージしたもみじの柄のハンコを作り、ポスターにあしらったところ、それをはるみさんがとても気に入ってくださって、もみじ柄を着物に仕立てられました。その着物をお召しになって年末の紅白歌合戦に出場されたのです。とてもお似合いで、本当に感激しました。
篠山紀信氏がジョン・レノン氏とオノ・ヨーコ氏を撮った『写楽』のポスターも印象に残っています。篠山氏が撮影前日に連絡を受けてニューヨークに飛び、撮った写真を使って制作しました。その後、すぐにジョン・レノン氏が亡くなり、世界中の通信社からフィルムを貸し出してほしいと連絡があったそうです。当時から売れっ子カメラマンだった篠山氏が、急な要請にスケジュールを工面して出かけた撮影でした。その行動力があってこその作品ですね。

デザインとは時代や人物、作品の“旬”をつかんで表現すること

こうして年代別に眺めてみると、それぞれの時代の雰囲気が匂い立つように思います。その時代の生活環境や文化など、時を経て見ると「こういう時代だったなぁ」と思えるんですね。
私は、ポスターや雑誌のディレクションなどは、瞬間芸だと思っているんです。その時代の風景や空気感を、タイミングよくぱっとつかんで表現する。一緒に仕事をするカメラマンやイラストレーターなどとキャッチボールをしているような感覚です。
エディトリアルデザインや装丁デザインの仕事は、編集者や作家と会って直接話をすることが大切だと考えています。眼を見て話をしながら、そこでまたキャッチボールをするのです。そうするとニュアンスや行間を読みとることができ、自ずと表現するべきことが見えてくる。デザインとは、タイミングやポイントをつかんで、それを伝えるための表現をすることだと言えます。そういう意味でデザイナーは、常に感度をあげておかなければなりませんね。

イベント風景

デザインの力でできること

私たちがデザインを始めた60〜70年代、日本のグラフィックデザインを世界に認めてもらおうと、みんな一生懸命世界のコンペに出品していました。時代は変わり、世界的に見ても日本のグラフィックデザインはかなり優秀なレベルにまで達しました。ただ、デザインの価値が理解されているとは未だに言えない部分もあります。欧米諸国では、大企業から街角の八百屋さんにいたるまで、一般市民にデザインが浸透しているのです。76歳になった今、改めてデザインの価値を広めたいと考えるようになりました。メビック扇町やJAGDAの活動は、一つ一つは小さな活動ですがとても大切なことです。『わたしのマチオモイ帖』展も、少しずつ輪が広がって参加者が増えていったと聞いています。このような地道な活動によって、デザインの価値をじわじわと人に伝えていきたいですね。
私は黒田とともに、デザインの力でできることの一つとして平和活動を続けています。この活動も長く地道に続けたいと思っています。私がこの世界に入って50年あまり。楽しく、明るく暮らしながらデザインと関わっていきたい。生涯現役でいたいですね。

イベント風景

イベント概要

長友啓典デザインものがたり
マチオモイ帖大阪展スペシャル「クリエイティブサロン×JAGDA DESIGN CAFE OSAKA」長友啓典氏

日本のグラフィックデザインの歴史と共に歩んでこられた長友氏をお招きし、マチオモイ帖とも関連の深い雑誌や本の装丁、プリントメディアを中心に長友氏のデザインに対する姿勢や、その思いについてお話し頂きます。

開催日:2015年3月20日(金)

長友啓典氏(ながとも けいすけ)

日本工学院専門学校グラフィックデザイン科顧問
東京造形大学客員教授

1939年大阪生まれ。1961年 桑澤デザイン研究所卒業。同年、日本デザインセンター入社。1969年 黒田征太郎とK2設立。1984年 講談社出版文化賞【さしえ賞】を受賞。1998年 青葉益輝氏、浅葉克己氏と共に「◯△□アートディレクターの発想・現場・定着」を出版。2001年第22回日本宣伝賞山名賞を受賞。2006年第37回講談社出版文化賞【ブックデザイン賞】を受賞。2007年 伊集院静氏と「犬からひとこと」を出版。2008年 野地秩嘉氏と共著で「成功する名刺デザイン」(講談社)を出版。2010年「装丁問答」(朝日新書)を出版、2011年「死なない練習」(講談社)、2012年「怒る犬」(岩波書店)黒田征太郎氏、日暮真三氏と共著、2014年絵本「青のない国」(小さい書房)風木一人氏、松昭教氏共著で出版するなどエディトリアル、各種広告、企業CI、及びイベント会場構成のアートディレクションを手がけるほか、多数の小説に挿絵、雑誌にエッセイを連載など幅広く活動し現在に至る。

2017年にご逝去されました。謹んでご冥福をお祈りいたします。

長友啓典氏
撮影:中野義樹氏

公開:
取材・文:岩村彩氏(株式会社ランデザイン
聞き手:清水柾行氏(aozora / わたしのマチオモイ帖制作委員会 / JAGDA運営委員)

*掲載内容は、掲載時もしくは取材時の情報に基づいています。