「もう、楽しいことしかしないでおこう」。家業を大幅縮小し、失意のなかで見つけたもうひとつの道。
クリエイティブサロン Vol.256 細川博氏

老舗織物会社の代表とカメラマンという、2つの顔を持つ細川博さん。「Hosokawa」の名で自社のカシミア生地を使ったストールブランドを展開しつつ、並行してさまざまなジャンルの撮影をこなしている。カメラマンとしては50歳を目前にしての遅いスタートで、異色の経歴である。社会状況が厳しさを増すなかでときには失敗もしつつ、生きる道を模索し続けてきた、これまでの人生について率直にお話しいただいた。

細川博氏

創業100年を超える老舗企業を継ぐも、苦戦した若き日々。

毛織物の産地として知られる大阪・泉大津に生まれた細川さん。大学3年のときに父が病に倒れたことで、卒業と同時に、曽祖父の代から続く細川毛織株式会社に入社。20代後半から、実質的に代表としての役割を果たすようになる。

入社して1〜2年は売り上げの絶頂期。年間17億円もの売り上げがあり、従業員数は50名以上。親機(おやばた)である細川毛織が、子機(こばた)、孫機(まごばた)といわれる下請け業者を統括し、200名以上が生産に関わっていた。しかし、5年ほど経過したところで景気に陰りが見えはじめ、代表としての舵取りは苦戦を強いられるように。この頃にはすでに結婚し、子どもも生まれていた。

 「毎年1億円くらいの赤字が出るようになり、やがて内部留保も底を尽きはじめました。新たなチャレンジをするよりは、効果がすぐに出やすい、支出を抑えることに必死でしたね。東京出張中に、自己破産に関する本を読んだことを今も思い出します。家族に経済的な影響が及ばないよう離婚する方法もあるとか、そういうことが書いてありました。身体もしんどかったですが、精神的にもこの頃がいちばんきつかったです」

 万策尽きた細川さんは廃業を決意し、残務整理に必要な3人を残して従業員を解雇。親戚にも繊維業者が多かったため、頭を下げて彼らの雇用を頼んでまわった。しかし、規模を大幅に縮小したことで、精神的には安堵した面もあったという。そこで、一時は廃業を決意したものの、細々と在庫の生地を販売しながら、新たなチャレンジを考えはじめる。

 「その時に、もう楽しいことしかせんとこ、と思ったんですね。売り先はおもに百貨店アパレルに関わる会社でしたが、人間として苦手な人もいますし、商売のやり方が汚い会社も。決算のときに生地を引き取ってくれといっても、来年使うから置いといてくれとか、引き取ってやるから値引きしてくれとかね。今後は気持ちよく取引できる相手としか、仕事しないでおこうと」

明治43年に、細川さんの曽祖父がはじめた織物業が原点。明治20年代に織物の第一次創業ブームがあり、第二次ブームでの創業だった。戦前はおもに毛布を、戦後は服地やマフラーなどを生産していたが、やがて国際競争の時代に入り苦戦を強いられることに。

アパレルブランドの失敗を経て、ストール限定で再スタート。

細川さんの新たなチャレンジは、その名も「細川」と銘打ったメンズブランドを立ち上げることだった。在庫の生地を使って何かできないかと考えていたところ、経済産業省の自立化補助金の事業者募集を知り、応募したところ採択される。3000万円ほどの予算のうち、2000万円を補助金で賄うことができたという。しかし、結果的には大失敗に終わり、3年ほどでアパレル事業からは撤退することになってしまう。

「服をつくるとなると、デザインやパターンを外部スタッフにお願いすることになるので、ひとつの型をつくるのに何十万という経費がかかります。ジャケット1着が20~30万円と海外のラグジュアリーブランド並みの価格になってしまう。縁あってmastermind JAPANという芸能人やセレブ御用達の高級ブランドと仕事した際に、究極の生地を一緒につくらせていただき、それがとても楽しかったんです。そのブランドが大当たりしたので、いいものをつくれば買い手はいるはずと期待して、僕も自社ブランドを立ち上げたんですね。でも、誰もが同じ方法論でうまくいくわけではないと思い知らされました」

 手痛い失敗ではあったが、ブランドを立ち上げたことでセレクトショップとのつながりもできたことから、細川さんが次に考えたのは、デザインもパターンも縫製も必要のないストールのブランドだった。

「ストールはOEMで手がけていたので、ノウハウ自体はすでにありました。イタリアのファリエロ・サルティなども、もともとはフランスの高級メゾンに生地を提供していたメーカーですが、当時、自社ブランドを立ち上げて成功していたんです。そういった世界的な流れもあり、日本の生地メーカーでも、ブランドを立ち上げるところが増えていた時期でした」

 当初は細川さん自らが1枚1枚、墨染めしたグレー1色だけでスタートし、在庫は持たずに注文が入ってから染める受注生産。2014年に百貨店に初出店し、ハンガーラックを2本分ほどの小さなスペースから、数年かけて、好条件の場所で展示できるように。しかし、ようやく軌道にのりかけたところで、世界がコロナ禍に見舞われ、催事は激減。消費者側も不要不急の外出を控える流れとなり、ストールそのものの需要も減っていったのだった。

ストール
墨染めから始めたカシミアストールは、現在は藍染めやベンガラ染めといったおもに天然染料による、さまざまなカラーを展開。泉大津の紡績会社が開発したカシミヤの極細糸を、旧式の有杼織機を使ってゆっくりと織ることで、春風のようにふんわりとやさしい着け心地が生まれるという。

織物業と並行して、カメラマンとしての自らの強みを模索。

2018年頃から、織物業のかたわら、カメラマンとしての活動をスタート。写真は少年時代からの趣味で、地元・泉大津のだんじりや、結婚後はわが子の写真を撮るなどしていたが、あくまでも趣味の領域であった。しかし、続けていると、どんどん高性能のカメラや機材が欲しくなり、趣味ではなく仕事にすれば大手を振って買えるだろう、という思惑があったという。まずは派遣会社に登録し、幼稚園や保育園の行事撮影といった仕事から始めた。その後、プロカメラマンによる養成塾に通い、セルフブランディングや料金設定を学ぶ。

 さらに、知人の写真館が廃業することになり、照明やバック紙などを譲り受けることができた。2020年には自社の2階にスタジオをつくり、商品撮影やポートレイトなど、さまざまな撮影に対応できる体制も整う。コロナ禍により、家族写真などを撮る人は減ったものの、横のつながりがあったタオルや毛布を扱う企業から依頼された、ネット販売用の商品撮影を請け負うように。もともと自社商品は10年以上前から自分で撮影しており、布ものは得意分野だったことも功を奏したという。

さらに、ストールで百貨店の売り場に自ら立って接客した経験から、お客様に似合う色を自信を持ってすすめられるよう、パーソナルカラー診断を学ぶ。その人の肌、髪、目の色などから、美しく健康的に見える色を診断するというもので、トークの合間に、メビックのスタッフがモデルとなっての実演も行われた。

 「カメラマンはたくさんいる。パーソナルカラーアドバイザーもたくさんいる。でも、両方できる人は今のところ僕しかいないだろうと。ポートレイトや宣材写真を撮影するときに合わせ技ですすめることが多いですね。最近は、女性議員さんが選挙ポスター用の写真を撮りにきてくれることが増えました。メビックで開催された女性起業家とのマッチングイベントで、PRさせていただいたことも」

 カメラマンとしての活動は一見順調に見えるが、趣味の延長という意識がどこかにあり、最初に単価を低く設定しすぎたという反省があるそう。今後は正当なギャランティを得られる仕事をできるだけ増やしていくこと、そして、動画撮影などのジャンルにも活動の幅を広げていくことが課題とか。

「Hosokawa」のストールが生み出される、伝統的なションヘル織機。高速織機が主流となった現代ではあまり使われなくなったが、ゆっくり織ることで、空気を含んだやさしい風合いの生地となるため、愛知の尾州産地など一部では見直す動きもあるという。

また、織物業の方も職人の高齢化や、織機の部品調達が困難になっていることもあり、あと5年持つかどうか、という岐路に立たされているという。

「現場の職人は80代が大半で、60代ですら若手。その60代すらめったにいません。うちが使っているのはションヘルという昔ながらの織機で、杼(ひ)という舟形のシャトルを使って織っていきます。杼をつくってくれる工場もすでにないので、まさに風前の灯といえます」

 大阪における繊維業の衰退とともに、カメラマンというもうひとつの道を歩むことになった細川さん。しかし、「Hosokawa Photo」のロゴにも細川毛織が長年こだわってきたカシミアのシルエットを入れ、自分らしさを表すアイコンとしている。

時の流れとともに、消えてゆくものと、新たに生まれてくるもの。斜陽の時代を生き延びてゆくために、自分の強みをどう打ち出していくのか。細川さんの半生から、そんなことを参加者とともに考えさせられた2時間だった。

イベント風景

イベント概要

アパレルブランドとフォトグラファー、2つの好きなことを、まずはやってみた。
クリエイティブサロン Vol.256 細川 博氏

「今月決算なんで残っている反物引き取って下さいよ」「来年必ず使うから持っといてや」。年度末になると毎年こんなやり取りを客先と繰り返していた。10年ほど前までは……。強い立場の大手アパレルや生地問屋にはなかなか逆らえない現状に嫌気が差し、私は自分でアパレルブランドを始めた。一方、子どもの頃から好きだったカメラ。いいオトナになり、だんだん高性能なものが欲しくなった。「趣味にここまで散財するのもなぁ……では、仕事にしよっ」とフォトグラファーになった。いろいろな縁が重なりスタジオも開設。どちらもまだ「成功」と言える状況ではないが、楽しく奮闘中。

開催日:

細川 博氏(ほそかわ ひろし)

Hosokawa Photo
フォトグラファー

1969年、大阪府泉大津市生まれ。大学卒業後、曽祖父が始めた織物会社に入る。営業やテキスタイルデザインに携わったのち、社長として経営全般を担う。2011年から自社生地を使用したストールブランド「Hosokawa」をスタート。百貨店などでポップアップショップを展開中。年間50日くらいは店頭での接客もこなす。また、2018年よりプロのフォトグラファーとして活動開始。2020年には自社スタジオを開設。パーソナルカラリストの資格を活かし、人物がキレイに見える写真を得意とする。妻、こども3人、犬1匹と暮らしている。

https://hosokawa-photo.amebaownd.com/

細川 博氏

公開:
取材・文:野崎泉氏(underson

*掲載内容は、掲載時もしくは取材時の情報に基づいています。