流されるままに20年。どんな激流も乗りこなす。
クリエイティブサロン Vol.253 白波瀬博文氏
組織や団体に所属せず、自由に働くフリーランスという働き方。一般的に「独立開業」というと、自ら人生を切り拓くイメージがあるが、クライアントワークである以上、受け身にならざるを得ないことが多く、景気の動向や自身の健康など、何らかの影響を受けて思わぬ方向へ流されることも少なくない。
この日のゲストスピーカー・メイクイットプロジェクトの白波瀬博文さんは、Webデザイナーとして独立開業して20年。「流れに身を任せて仕事を続けてきた」というこれまでの軌跡をじっくり伺った。
流れに翻弄されて彷徨う混乱期
この日会場に集まった参加者を迎えたのは、プロジェクターに映し出された巨大なQRコードだ。白波瀬さんによると、Webの技術を生かして作ったプレゼンシートだそう。携帯をかざして読み込むと折れ線グラフが現れ、過去20年間の事業収益と健康面の変遷、各時代のニュースを一目で把握することができる。
このグラフによると、白波瀬さんが独立したのは2003年。もともとノベルティー会社でグラフィックデザイナーとして務めていたが、職場環境の改善を求めて転職活動するうち、いつしかフリーランスとして活動するようになった。Webデザイナーに転向したのも、ちょうどこの頃。それも、思いの他シンプルな理由だったと言う。
「あるクライアントからWebサイトの制作を依頼されました。『グラフィックデザイナーだからできない』と断ったんですが強引に頼まれ、解説書を見ながら作ったら、普段の何倍もの制作費をもらえたんです。これは良い!とすぐさまWebデザイナーへ転身しました」
おりしも時はWebの黎明期。Web会社でさえ見様見まねで制作していた時期だっただけに、未経験者にも十分参入の余地があった。白波瀬さんはこの流れに乗り、Web制作の世界へ勢いよく飛び込んだのである。
さらに2006年にはITベンチャーから協業の誘いを受け、ソリューション部門の部長に就任。有名企業をはじめ数々の案件を抱え、家に帰る間もないほど制作に明け暮れ、ケタ外れの契約金を得たと言う。「流されるまま深く考えもせず協業し、身の丈に合わない働き方をしていたんだと思います」と当時を振り返る白波瀬さん。たしかに、ダイナミックに飛躍する収益線と、反比例するように下降する健康線。会場に映し出された折れ線グラフからも、当時の白波瀬さんの状態を伺い知ることができる。
そして2007年、ついに心身のバランスを崩し鬱病のような状態に陥ってしまった。
別れと出会いによって変化する激動期
そんな日々が突如終わりを迎えたのは2009年のこと。リーマンショックの影響を受け、協業していた企業が業績不振に陥り解雇されてしまったのだ。ようやく身体は自由になったものの、一切の収入がなくなり生活は一変。貯金を切り崩し、メロンパン一個で耐え凌ぐ日もあった。フリーランスとして再起を図るも、Web会社が増えた分業績が伸びず、あまりの不安から「関西にはもう仕事がない!」と移住を考えた時期さえあった。
しかし、この時たまたま白波瀬さんの頭をよぎったのが、以前友人から紹介されたメビックの存在だ。誘われるままイベントに参加するうち、同じフリーランスで働く仲間たちと出会った。「それまで他所の異業種交流会にも参加したことはありますが、営業色が強くどうも居心地が悪くて。その点メビックは、仕事ありきの関係ではなく、普通に仲間として付き合えるし、同じ立場の人同士分かりあえることが多く安心できるんです」
メビックでの出会いを機に、仕事の考え方にも変化があった。これまで大手企業を中心に、代理店経由で指示されるままに制作していたが、今度は中小企業を相手に自ら直接窓口に立つスタイルにシフトチェンジ。自分で考え提案し、クライアントと一緒になって課題を解決するうち自然と収益も上向きになった。
全てを一新し再度踏み出す開拓期
ようやく流れに乗った白波瀬さんだったが、2017年さらなる激流に飲み込まれることとなる。首の脊髄に細菌が入り、四肢麻痺で動けなくなってしまった。緊急搬送された後、幾日も体が動かず、ただただ天井を眺めて過ごす日が続いた。本人曰く、社会的な死。仕事はおろか、自分で生活することすらままならなくなり「家族に迷惑をかける」と死を考えたことさえあった。
だが、日を追うごとに体調が回復し体が動きだすと、家族の存在は大きな原動力となった。「働いて家族を守る」という使命感が白波瀬さんを奮起させ、夢中でリハビリに取り組むようになった。また入院中50名もの友人が見舞いに訪れたことも「もう一度、あの場所に戻りたい」と社会復帰への励みになった。おかげで体は驚異的な回復を果たし、当初は「回復しても車椅子が必要」と言われた足が自らの意思で動かせるようになり、仕事を再開できるまでになったのだ。
「この病気を機に、息子は人を思いやることを覚えました。また僕自身も家族への感謝、一緒に過ごす時間の大切さ、仲間のありがたさを改めて実感しました。病気も嫌なことばかりではないんですよ」
そう語る様子から、この急転直下の出来事でさえ自身の学びに昇華していることが分かる。
ようやく辿りついた「当たり前のこと」
この一件は、白波瀬さんの働き方にも大きな変化をもたらした。
「病気になり障がいのある方の視点に触れたことで、今までと物事の捉え方が変わりました。Web制作でも、自分だけでなく、クライアントさんやそのお客さんの視点で考えるようになり、もっと人の役に立つWebサイトを作りたいと考えるようになりました。当たり前のことですが、働くとは人の役に立つことだと気づいたんです」
そうして制作したのが、尼崎市にある行列必至の人気ラーメン店「ぶたのほし」の案件だ。飲食店のWebサイトには珍しく、大量のテキストが敷き詰められているが、これには白波瀬さんの狙いがある。
「飲食店さんの場合、どうしても有名グルメサイトが検索のトップにあがり、お金をかけてWebサイトを作ってもあまり見てもらうことができません。だから普段なら依頼されてもお断りするのですが、今回は店主さんの素材へのこだわりが相当強かったので、それなら行列の待ち時間にじっくり読んでもらえるものを作ろうと、あえてテキスト量を増やしました」
また、あるスポーツジムのWebサイトでは、「トレーニングを日常生活に組み込めず退会する人が多い」というクライアントの悩みに応え、実際に通う会員さんたちの生活スタイルを詳しく掲載し、読んだユーザーが参考にできる仕組みにしている。いずれもクライアントの要望に合わせたコンテンツを作ることで、その先にいるユーザーにとって最適な提案を叶えようというわけだ。
さらに現在は、大阪デザイン振興プラザ(ODP)のWebサイトや、台湾からアイテムを輸入する「Hao!Taiwan」のネットショップの運営にも携わり活躍の場を広げている。今後は、自社メディアの立ち上げや法人化も視野に入れ、新たな流れを生み出す予定だ。
独立以来20年、収益線と健康線が大きく交錯する紆余曲折を乗り越えてきた白波瀬さん。現在の活躍は、時に流れを味方につけ、時に激流に飲み込まれて余分なものをそぎ落とし、どんな流れも自らの勢いに変えてきた証だろう。それだけに「僕のように流されながらでも、何とかやっていけることを皆さんに知ってもらいたい」という言葉は、大きな説得力を持って参加者に届いたのではないだろうか。
イベント概要
独立して20年、自ら切り開いてきたと思っていたが、どうやら違っていた!?
クリエイティブサロン Vol.253 白波瀬博文氏
フリーランスってなんでも自分で考えて自分で行動している人。要は自ら人生や仕事を切り開いている、まさに開拓者ですよね。でも今までの自分を思い返せば僕は違っていた!? 流れでサラリーマンを辞めて、流れで独立して、流れでWeb制作を始めて……そして今年20周年。自分で切り開いてきたと思っていたが実は違っていた!! そんな自分がどうやって仕事を獲得し、どうやってピンチを切り抜けて、どうやって20年間やってこれたのか? そんなお話ができればと思っています。流れに身を任せながらも好きを仕事にして自由に生きていきたい人の何かのヒントになれば幸いです。
開催日:
白波瀬博文氏(しらはせ ひろふみ)
メイクイットプロジェクト
Webデザイナー
1975年生まれ。大阪府八尾市出身。現在は吹田市に在住。オフィスは大阪市西区にある築90年以上のビルの隠れ家みたいな5階を3人のクリエイターでシェア。2003年に独立して以来、Web制作いっぽんで活動してきました。比較的古参なのでWebサイトデザインとコーディングの両方をやります。これまで多種多様な中小企業や個人事業主のWebサイトを制作。その数少なくとも400サイト。今後は、Webサイトの制作を中心にトータル的な関わり方で中小企業の価値や魅力を伝え、社会に貢献できるような活動をしていきたいです。コンセプトは「ユーザーに最高のウェブ体験を」
公開:
取材・文:竹田亮子氏
*掲載内容は、掲載時もしくは取材時の情報に基づいています。