25年の経験を活かし、IPOを狙うIT起業家の挑戦
クリエイティブサロン Vol.255 齊藤真也氏

インターネット黎明期の1998年に起業し、次々と進化するIT業界のなかで持ち前の情報収集力と発想力を武器に、Webサイト制作やWebマーケティング、翻訳サービス、Webアプリ開発・販売と、続々と新しい事業を展開してきた株式会社ファーストネットジャパン代表取締役の齊藤真也さん。経営者として25年間の軌跡や、改めて得た気づき、新たに抱く野望について語っていただいた。

齊藤真也氏

ホームページの制作は必ず伸びる

「不動産情報を検索ができるホームページをつくってほしい」

大学卒業後の1996年。京都の不動産会社に就職した齊藤さんら数名に、役員から社命が下された。齊藤さんは中学時代からオリジナルのゲームをプログラミングして遊ぶほど、無類のパソコン好きだったがホームページはつくったことはない。プロジェクトを組んだメンバーと一緒に本を読んで勉強し、初めて使うソフトと格闘しながら何とかつくりあげた。

祖父や父、親戚が経営者という環境のなかで育ち、「いつかは起業したい」と考えていた齊藤さんは、「これからホームページ制作の需要は必ず伸びる。これで起業すれば食べていける」と確信したという。しかし、当時は起業する資金もなく、まずは経営を学びながらお金を貯めようと、1998年に退職して実家のある香川県高松市に戻り家業のレンタルビデオ店を店長として手伝うことになった。

「当時からレンタルビデオ店は廃れ気味で、暇だったためノートパソコンを店に持ち込み、ホームページを制作していました」。齊藤さんが最初に制作・運営したのが「あっぷっぷ」というポータルサイト。ホームページのつくりかたやアクセスアップ方法などの情報を発信する一方、Yahoo!をはじめとする検索エンジンに一括登録できるシステムを開発し、登録代行を低価格で請け負っていた。そのつながりでホームページ制作やシステム開発の依頼を受け、本格的に事業を個人で始める。

屋号は「IT業界で一番になる」という意味を込めてファーストネットジャパンと命名。Webサイトのタイトルを「1stネットジャパン」としたところ、Yahoo!の上位に表示されアクセス数が上昇。仕事の依頼が急増することになる。数字の若い順から検索エンジン上位に表示されることを知っていた齊藤さんの戦略が大当たりしたのだ。

また2003年にはショッピングカートやメールフォーム、メールマガジンなどをパッケージ化にしたソフトや、アフィリエイトが作成できるソフト、Webサイトの解析ソフトなどを業界に先駆けて開発・販売。最先端の情報をつねにインターネットで探して、独自に開発・販売し、事業は順調に拡大していったという。

「あっぷっぷ」キャプチャ
齊藤さんが創業期に運営していたポータルサイト「あっぷっぷ」

翻訳、顧客管理、下請け業と、多様に事業を展開

当時、仕事のほとんどは東京や大阪の企業からの依頼。かねてから「都会で勝負してみたい」という気持ちもあり、2007年に大阪への移転を決意する。「僕は東京に行きたかったのですが、長男は2歳、妻はお腹に次男を身ごもっており、関西に住んでいる妻の母や妹に何かと助けてもらえると思い大阪に移転することにしました」と振り返る。

大阪市平野区に事務所を構えた齊藤さんは、営業とデザイナーを雇い3人体制でスタート。順調に売上は伸び従業員を6人まで増やした矢先に、リーマンショックが発生し仕事が激減してしまった。

「まさに、どん底の時代でしたね。しかし、ピンチはチャンス。悪い時にこそ新しいことを始める時期と考え、2013年に翻訳代行サービスをスタートしました。時は政府が日本を観光立国にするという方針を掲げ始めたインバウンド開幕前夜。来日観光客が増え、Webサイトの多言語化により翻訳の需要は高まると判断しました。優秀なネイティブの翻訳者を集めたこともあり、受注は伸びましたね」

このように新しい事業を次々に展開し成功へと導いた齊藤さんであるが、失敗した例もある。2015年に開発・販売した顧客管理システムは、そのひとつ。「システム自体の質には自信を持っていましたが、低価格で販売したので広告にお金をかけられなかったんです。また、費用をかけずにできるマーケティング手法を考えられず、世の中に認知されないままサービスを終了せざるを得ませんでした」

そんな失敗にもめげず、新しい戦略として2017年からWeb制作会社に自らテレアポを始める。コーディングの仕事を「下請け」で請け負うためだ。それまで直取引のWeb制作受託事業をメインに、自前のシステムを開発・販売してきた齊藤さんが、「下請け」という180度ちがう仕事も手がけるようになったのは何故だろうか。

「Web制作会社が増えて相見積りやコンペが当たり前になるなか、価格もデザインのクオリティもフリーランスの人には勝つのが難しくなってきました。『これまでのやり方ではダメだ』と思い、当社の強みであるコーディングやシステム開発の技術を活かし下請け屋になろうと決意しました。コーディングやシステムのことを熟知している僕が電話をかけると話が早く、約50%の確率で会っていただけましたね」と振り返る。もちろん直取引のWebサイト制作をやめたわけではない。得意なSEOとシステム構築力、Webマーケティング力を武器に集客する仕組みをつくっている。

「ITキャピタル」キャプチャ
2022年12月に新しいサービスとしてローンチしたWebメディア「ITキャピタル」。IT関係の最新ニュースを記事にして集客していく。既にChatGPTやAdobe XDプロトタイプ、Yandex、RPAなどのAI系など、多くの解説記事がバズっている。

リアルに人と会ってこそ仕事につながる

「下請け」の仕事も増え始めたころ、次の展開として展示会に着目。たまたまインターネットで見つけたメビック主催の「デザイン・クリエイティブ活用展」に2019年に出展し、多くの新しいクライアントに出会う。

「2017年まではインターネットの営業に頼り、僕自身は社内に籠って仕事をこなしていました。外に出て人と会ったり、お酒を呑んだりすることが好きではなく、ほとんど出歩きませんでした。それがメビックの交流会で人と会って話す楽しさを知り、部下に仕事をまかせて積極的に外に出るようになりました。補助金なども活用するようになりました。今から5年前、僕が45歳の時です。気づいたのが遅すぎるんですが、20代の頃に分かっていたら、今とは違う自分になっていたかもしれませんね」

「EasyMail」
お問い合わせフォームをサイトのデザインや内容に合わせて最適化できるオープンソースソフトウェア「EasyMail

めざすはEasyMailでIPO

このように順調に会社経営を進めていた齊藤さんに、またもや試練が訪れる。新型コロナウイルス感染症の蔓延だ。

「うちのクライアントはイベント関係やホテル、旅行会社が多かったため、コロナの影響を大きく受けました。一方で業界の状況を見てみると業務を効率化するシステムや、Zoomなどのツールの需要は大きく伸びていました。リスク回避のためにも、Webサイト制作受託と自社サービスやツール開発を両輪で提供しなければいけないと、コロナで改めて気づかされました」

そしてコロナもチャンスと早速、動き出し、かねてから構想を温めていた「EasyMail」の開発をスタートした。

「EasyMailは企業のホームページの内容やデザインに合わせた、お問い合わせフォームを無料で作れるオープンソースウェアです。Webサイトは、お問い合わせが来てナンボ。一番、肝となるところです。しかし現状は、おざなりにしているサイトが多いんです。ここを最適化することによって、お問い合わせを増やし、そこで得た情報を営業に活用していこうというシステムです。顧客管理サービスの失敗を活かし、受託事業で得た利益を投入して開発を進めています。また、当社の強みであるSEOの知識を活かして、メールフォームに関するブログを書き、専用サイトへの集客を図っています」

齊藤さんは「EasyMailを誰もが使いやすいアプリにバージョンアップし、まずは日本で実績を積み上げて世界中に広げたい。そしてCMSなら世界シェアナンバーワンのWordPress、ECサイトはEC-CUBE 、『お問い合わせメールフォームならEasyMail』というポジションを確立し、IPO(上場)を実現したいと考えています」と意気込む。齊藤さんの新たな挑戦は、始まったばかりだ。

イベント風景

イベント概要

創業25年目。第二創業スタートアップとしてIPO(上場)をめざす!
クリエイティブサロン Vol.255 齊藤真也氏

26歳で起業し、順風満帆にスタートし仕事をこなしてきたかと思えた創業時。叔父の会社の倒産で連帯保証人をしていた祖父の大借金問題。父親からの搾取。そして父親の不慮の事故によるさらなる大借金相続。当初描いたビジネスストーリーはどこへやら……。心機一転、大都会大阪への移住からの再スタート。リーマンショックを経て苦しみながらも会社の存続を死守。コロナ禍になって追い込まれたからこそ新しいことにチャレンジする気持ちになれました。50歳となった今、さらに高みをめざすためにIPOに挑戦する話をお話しします。

開催日:

齊藤真也氏(さいとう しんや)

株式会社ファーストネットジャパン 代表取締役

1972年生まれ。香川県高松市出身。京都外国語大学を卒業後、京都に本社がある東証プライムに上場している不動産企業に就職。この会社のホームページの立ち上げメンバーとして参画したことをきっかけにWebの制作業務に興味を持つ。1998年に退職し、実家の高松市で家業を手伝いながら、趣味レベルで開発していたWebアプリが売れるようになり、本格的に個人会社として活動。2007年には業務拡大のため高松から大阪に移住。現在「EasyMail」というプラットフォームでIPOを狙っている。経験職種:プログラマー・営業・マーケター

https://www.1st-net.jp/

齊藤真也氏

公開:
取材・文:大橋一心氏(一心事務所)

*掲載内容は、掲載時もしくは取材時の情報に基づいています。