オモロさを探求し、仲間とともに日本を変えていきたい
クリエイティブサロン Vol.250 原田進歩氏

「想いを、オモロいに。」をコンセプトととする会社BALUE, Inc.の代表取締役、原田進歩(すすむ)氏。ニューヨーク留学後、兵庫県佐用町に移住し、主に地方自治体などをクライアントとして集客やブランディング、イベントの企画構成、オンライン配信代行など、多彩な事業に取り組んでいる。そんな原田氏が、これまでの経歴や事業戦略、未来への展望などについて語った。

原田進歩氏

音楽や表現活動に邁進した学生時代

父はスポーツビジネス、母は身体表現の専門家で、どちらも大学教員という両親のもとに生まれた原田氏。しかし、運動音痴だったためにアニメやマンガの世界に没頭する小学生時代を送ったという。中学生になるとテレビで見たアーティストに憧れて音楽の道を志しつつも、やや内向的な性格は変わらなかった。だが、高校生になり小さな変化が起こり始める。

「1年間カナダに語学留学しました。その時に、厳格なキリスト教徒のホストファミリーと暮らしたり、カナダの大自然を見る中で、自分がまだ目にしていない世界、知らない世界がたくさんあることを知りました」

大学時代はバンド活動に明け暮れていたが、3回生になって同級生は就職活動を始めた。だが、当時の原田氏は表現活動への欲求が爆発していた。

「きっと就職活動から目を背けたかったんでしょうね。そんな時、テレビで『デザイナー』という仕事を知り、バンドでの経験とインテリアデザイナーの仕事を重ね合わせて『俺はデザイナーになる!』って(笑)」

しかも、その恩師とも言える人の言葉から、ニューヨークへ留学してインテリアデザインを学ぼうと決意する。

無理だと言う父にプレゼンや説得を重ねた結果、今通う大学を4年で卒業することを条件にOKをもらう。そしてなんとか卒業を決め、ニューヨーク留学を認めてもらえた。

原田氏とNY時代のクラスメイト
ニューヨーク州立大学ファッション工科大学(FIT)でインテリアデザインを学んでいた頃

挫折と自分の生きる道を知ったニューヨーク留学

留学すべく日本からニューヨークへ旅立った原田氏。まずは大学に入学するための英語の勉強を約半年間、加えてプレスクールに通って提出用の作品づくりに取り組んだ。そうしてなんとか入学を勝ち取った原田氏だが、入学後に年下の才能溢れる同級生たちを見て大きな差を感じた。

「考える部分ができても、アウトプットセンスが絶望的に低いことに気づかされたんです。なんとなくデザイナーの夢が遠のいていくのを感じました」

絶望的な差や孤独を感じる原田氏を癒やしたのがブログだった。当時、ニューヨークの情報を現地から日本人向けに発信する日本人は希少で、ブログのアフィリエイトで生活費を賄えるほどの収入も得られるように。

「稼ぐのが楽しく、Webサイト制作もこの頃に独学で覚えました。ただ、デザイナーになるためにニューヨークに来たのに……というモヤモヤ感が晴れることはなかったです」

それでも日本人旅行者を相手にしたビジネスを始めると人気になり、あまりの忙しさに大学を中退。その頃にはニューヨークで生活できる金額を稼げるように。しかし、相変わらずモヤモヤは晴れない。そんな時、友人の父親から「自転車イベントを成功させたい。家と車を用意するから兵庫県の佐用町へ来ないか」と誘われる。そこでニューヨークでは感じられなかった「人から必要とされること」に歓喜し、佐用町への移住を快諾。帰国前には42日間アメリカ横断自動車旅行も敢行し、帰国の途に就いた。

企画運営や発信、ロゴやウェブサイト、広報物などのトータルデザインをてがけた佐用町のサイクリングイベント「いなちく(因幡街道・千種川)ロングライド」

クリエイティブの力を体感し、向き合い方が変わった

佐用町で提供されたのは、山間エリアの集落にある、修繕が必要なほど古めいた一軒家。日中はイベント準備、夜はブログ作成、休日は家の改修を行う生活を続けながら取り組んだ自転車イベント「いなちくロングライド」は見事に成功を収め、これを機にプロジェクトメンバーとともに複数の企画に参画するように。さらに契約の都合で2018年に法人も設立し、仕事の関係もあって大阪と佐用の二拠点生活が始まった。

「会社を作ったり、いろいろな仕事に関わらせていただくようになりました。でも、最大の経験は『クリエイティブで人のマインドを切り替える』という瞬間を目の当たりにできたこと。自分自身がクリエイティブと向き合う上でも少し自信になりました」

法人設立後は主に動画やデザイン制作を中心に活動し、自社スタジオ立ち上げるも、時を同じくしてコロナ禍に突入。スタジオやデザイン関連の業務は激減するも、新規事業としてスタジオ機能の一部を配信に切り替えていたことで窮地を切り抜け、さらには大きな成長につながった。

「コロナ禍でのオンライン配信需要の高まりで配信サポート業務が一気に忙しくなって、売上は過去最高に。その結果、若い頃に憧れていた東京にスタジオ兼事務所も設立できました」

デザインシテン
メビックのイタリア研修ツアーで知り合ったプロダクトデザイナーの江口海里さんと配信しているポッドキャスト「デザインシテン」

多くの仲間とともにオモロイ取り組みで社会を変えたい

クリエイティブの可能性に惚れ込む原田氏は、今後は作り手とは異なる立場でクリエイティブに携わりたいと考えている。最近は「常に自分は崖っぷち」という意識を持ち、「つくる会社のつくれない社長」としてのサバイバルアイデアを考える日々だという。

「今は『横を向いて歩こう』『ミーハーであれ』『百聞は一見に如かず、百見は一行に如かず。』『できないことはない。なんでもやる。』の4つを意識することが、自分の生き残り戦略だと考えて実践しています」

さらに「もっと日本をおもしろく」というビジョンを掲げ、仕事を通じての日本中の小さな点を結びつけていきたいと語る。さらに海外から日本を見てきた経験や、海外の人々とのコミュニケーションで感じた課題や違和感を活かし、自らの社会的役割も意識しながら仕事に取り組みたいという。

「日本の地方観光には大きな可能性があることは、各種データや佐用町での取り組み経験からも明白です。今後は観光地域の課題解決を実践するデザイナーとして、さらには観光関連組織運営や街の観光設計に携わる『観光デザイン』に取り組みたいです」

また、新ジャンルへの挑戦意欲も旺盛だ。特に今は教育へのアプローチに興味を持っている。

「グローバル感覚やデザイン思考、クリエイティビティなど、子ども向けか大人向けかに関わらず、義務教育では学べないことを教えるスクールなどができないかな、と。ビジネスとして成立させるべく、パートナーや仲間と議論を深めながら進めたい」

サロンのスライドは、次のような言葉で締めくくられていた。

「35歳。まだまだ発展途上。自分のステージを挙げていきます。もっとオモロくしたいと思っています。そのためにも、たくさんの仲間が欲しいです」

周囲の仲間にも社会にもプラスになるオモロイ取り組みを実現するために、原田氏は仲間とともに走り続ける。

イベント風景

イベント概要

NYから地方移住、そして起業。ミーハー経営者の生存戦略と、その先に見るもの。
クリエイティブサロン Vol.250 原田進歩氏

リーマンショックによって就職氷河期が到来し、就活に絶望した大学時代。やりたいことを叶えられる力を手に入れるため、ニューヨークに移住し、デザインを学びました。帰国後は地方に移住しまちづくりに携わり、制作会社を設立。二拠点生活を経て、気がつけば大量の機材を抱えながら全国を飛び回る日々を送っています。流行り物が好きで、人に影響されやすく、やりたいことがコロコロ変わる。いわゆる「ミーハー」な自分が、これまでどのようにその性質を活かし、仕事へと変えてきたのか、そしてその先にどんな未来を見ているのか、たくさんの挫折と失敗エピソードを交えながら、お話しさせていただければと思います。

開催日:

原田進歩氏(はらだ すすむ)

BALUE株式会社 代表取締役 / 合同会社NOT4H 代表社員
プランナー・プロデューサー

1987年生まれ、大阪府豊中市出身。関西大学社会学部在学中の音楽活動をきっかけに、空間作りに興味を持ち、卒業後デザイナーをめざしてNYに移住。ニューヨーク州立大学ファッション工科大学(FIT)でインテリアデザインを学びながら、独学でウェブサイト制作やブログ運営などを学び、個人事業主として独立。その後、兵庫県佐用町へと移住し、地域イベントのブランディングなどを経て会社設立。主にウェブ領域のデザイン制作のほか、YouTubeやPodcastなどのコンテンツ制作やスタジオ運営、コロナ禍においては企業のライブ配信支援などの事業を展開。趣味はソロキャンプ、ソロ映画鑑賞、ビデオゲーム、データベースづくりなど、一人遊びが好き。

https://balue.jp/

原田進歩氏

公開:
取材・文:中直照氏(株式会社ショートカプチーノ

*掲載内容は、掲載時もしくは取材時の情報に基づいています。