たくさん失敗して、独立開業の大事なことを学んできた
クリエイティブサロン Vol.244 田口 剛氏

独立7年目のフォトグラファー田口剛氏が登壇。現在、仕事は軌道にのり、私生活では5人の女の子の父親で、公私ともに穏やかな毎日だが、ここに至るまでは試練の多い道のりだった。一人前になるまでの七転八倒、独立後の大きな痛手など「たくさんの失敗が今の糧になっている」という経験を語ってくれた。

田口 剛氏

就活で「カメラマンに向いていない」と言われて

2016年に14年勤めた広告写真スタジオから独立した。料理、インテリア、建築、モデルなどの撮影が得意で、中でも料理写真は定評があり、食品メーカーや飲食店からの依頼も多い。「判断に迷ったら、お客様の利益になる方を選びます。いい写真だとほめられるより『よく売れた』『お客さんが増えた』と言われる方がうれしい。広告写真なので宣伝・集客効果が大事です」

1977年、東大阪市で生まれる。「凝り性でオタク気質、熱しやすく冷めやすい性格」と言い、うどん、コーヒー、キャンプ……興味は転々としたが、写真と競馬への熱は冷めずに続いている。「写真を始めたきっかけは競馬です。中学のとき競馬ゲームに熱中し、馬と人の逸話を知ると、今度は競馬の方にはまり、競馬番組を欠かさず見ました。高校のとき、競馬場に行って“写ルンです”で馬を撮りましたが、いい写真が撮れなくて、小遣いをためて一眼レフを買うと、写真に夢中になりました」

大学受験に失敗し進学をあきらめ、写真の専門学校に入学した。「ストリートスナップが好きで、街でよく撮っていました。先生から『好きな写真では食えない。広告写真なら食べていける』と言われて、広告業界をめざしました」。成績優秀だったが、就職活動は難航した。「入りたかった会社の社長から『カメラマンに向いていない。やめておけ』と言われて落ち込みました。あの頃はめちゃくちゃ大人しかったので、性格的に難しいと思われたのでしょう」。卒業間際、名古屋の写真スタジオの大阪支社に就職が決まる。念願の広告写真の道へ踏み出すが、ここから苦難の日々が始まる。

学生時代、ストリートスナップが好きで、モノクロフィルムで街をよく撮っていた

失敗と苦労ばかりの前職のおかげで、今がある

2002年、広告写真スタジオに入社し、アシスタントになる。「学校の成績が良かったので、3年勤めて次へ行ったる!と思っていました」。しかし現実は甘くなく、そそっかしい失敗ばかり。スタンドに足を引っ掛けて倒す、商品を落として壊す、会社の車をぶつけるなど、撮影以前の問題で見放されても仕方ないが、幸運なことに「撮れる人を早く増やしたい」と育ててくれた。というのも大阪支社にカメラマンは2人だけだったのだ。

「早い段階から簡単な商品撮影を任され、『こんなのすぐ撮れる』となめていましたが、まったく歯が立たちませんでした。ライティング、構図のとり方、商品を見せるポイントなど、ことごとくダメ。怒られ続けて悲愴な顔をしていたのか、いつしかなぐさめられるようになりました。根は優しい社員さんばかりでした」

カメラのデジタル化で撮った後すぐに確認できるようになり、撮影の失敗が少なくなる。そのうち部長(カメラマン)が名古屋本社へ戻り、人員が足りずアシスタント兼カメラマン兼経理に。多忙を極めて、帰宅はほぼ毎日終電になる。大手百貨店の仕事が多く、料理、宝飾品、刀剣など様々な商品撮影を経験した。

「宝石の撮影は苦手で、何度シャッターを切っても、デザイナーからOKが出ないこともありました。苦労したので、今はきっちり撮れます。料理写真が得意なのも、料理撮影がうまいカメラマンに付いて学べたからです」

2008年のリーマンショックで広告費削減の流れになると、先輩カメラマンが辞め、ついに大阪支社でただ一人のカメラマンとなる。チーフカメラマンとしてすべての撮影をこなし、営業や経理もやった。「中間管理職の立場で、上からは売上を指摘され、下からは『早く帰りたい』と突き上げられました」

状況を打開するため、カメラマンを育てようと、母校の後輩をアシスタントに迎え、撮影を少しずつ任せながら鍛えるが、3年たって一人前になると辞められる。気持ちがポキッと折れるのを感じた。そんなとき、五女が生まれることがわかり、給与面などに不安を覚え、考えた末に退職を決断した。「嫁に相談したら、『毎日つらそうだから、もうやめていいよ。なんとかなる』と賛成してくれました」

悪戦苦闘の14年間だったが、撮影技術を学べ、苦手な経理や営業も経験した。周りとコミュニケーションをとり、人を育てることもやった。「この頃のおかげで、今があります」と語る。

作例
好きな競馬をもっとうまく撮りたいと思ったことが、写真を始めるきっかけ

独立3年目に大失敗。痛みから学んだことは多かった

自分を売り込むのが苦手でフリーランスは向かないと思ったが、就職先が見つからず独立する。1年目の2016年は前職の人脈からの仕事に助けられた。また、頼まれて学校関係の出張撮影を手伝った。

「幼稚園や小学校のイベント撮影は子ども目線で撮ります。しゃがんで撮影、立って移動を繰り返し、元々弱かった膝を壊しました。瞬時に判断するスピード感は鍛えられましたが、肉体的にきつく、やりたくないと思いました」

独立2年目、稼ぎ頭だった学校関係の撮影をやめて、得意なスタジオワーク中心にしようと考えた。「流れを変えたいのなら、行動を変えるべき」と思い、これまでの自分なら選ばない方をあえて選び、苦手な営業に力を入れた。「打率は低くても、打数を増やせば、ヒット数は上げられます。営業トークは下手で打率は期待できなくても、出会う数を増やせば、いい人と会えるはず」と考え、人と会う機会を増やすため、メビックのイベントに参加し、いろいろな異業種交流会にも顔を出した。仕事につながらないことも多かったが、助けてくれる人に知り合えた。

そして、今の仕事の要となるライターと出会い、飲食系の仕事が増える。雑誌『関西ウォーカー』の表紙撮影も依頼され、「フォトグラファー 田口剛」というクレジットが載ったことで営業しやすくなり、1年目の収入を上回った。

作例
フードコーディネーター、制作会社とともにコンペに参加し、仕事を獲得したときの写真

独立3年目、大きな痛手を負う。「業績が上向きで調子にのり、大阪市西区の広めの物件を借りてしまいました。カフェ兼事務所にして撮影スタジオにも使おうと考えていたのですが、人通りが少ない場所のビル2階で、今思えば、立地が悪かったですね」。飲食経験のある人と一緒にやる予定が、物件を決めた後で抜けられて単独スタートに。別の人と組んだもののうまくいかなかった。

「毎日深夜まで働きました。でもカフェの赤字で、本業の売上を食われる始末でした」。精神的ダメージも大きく、オープン翌年の2019年秋、閉店する。「融資を受けたことは勉強になりました。サッといなくなる人、協力してくれる人がいて、人付き合いも学びました。飲食店オーナーの経験は今の仕事に生かされています」

2020年、同業者の写真スタジオを間借りすると、仕事を振り合うことができ、気持ちが楽になった。途絶えていた競馬場での撮影も再開し、競馬好きの五女を連れて行くのも楽しみになっている。現在45歳。これからどこへ向かって行くか、事業の展開を考えている最中という。

成功だけを望めば、前に進めない。失敗してもへこたれず、前を向いて動き続ければ、行きたいところへたどり着ける……。たくさんの失敗を明かしながら、行動する人の強さを教えてくれたトークだった。

イベント風景

イベント概要

たくさん失敗したけど、多くの機会に飛び込んだことで今がある
クリエイティブサロン Vol.244 田口 剛氏

そんなに順調ではなかったけれども、たくさんの失敗の経験の中で多くの気づきを得てきました。若い頃にお世話になったデザイナーさんに「田口はへこたれないね」って言われたことをよく覚えています。失敗しても鈍感なふりをしていたからかもしれません。自分で見てみて、触ってみて、やってみて、確かめるタイプだから、たくさんの、時には大きな痛手を負ったこともあるけれど、今となってはそれも糧になっていると思います。“為さねば成らぬ何事も” そんな経験をお話しできればと思います。

開催日:

田口 剛氏(たぐち つよし)

TGC
フォトグラファー

1977年、東大阪市生まれ。馬が好きで、馬を撮りたくてカメラを買ったのがきっかけで写真を始めた。途中ブランクがありつつも、ライフワークとして今も撮り続ける。写真専門学校を卒業後、広告写真スタジオで修行。大手百貨店や様々なクライアントの広告写真撮影に携わり、多様な撮影を学ぶ。2016年、フリーランスとして独立。独立以前から定評のある料理写真、建築撮影や商品・モデル撮影を得意とする。元カフェオーナーの経験から、飲食店オーナーの気持ちがわかるカメラマンとして活動中。熱しやすく冷めやすい。

https://t-tgc.com/

田口 剛氏

公開:
取材・文:河本樹美氏(オフィスカワモト

*掲載内容は、掲載時もしくは取材時の情報に基づいています。