社会と豊かにかかわりながら人の心を動かす絵を描きたい
クリエイティブサロン Vol.249 サトウノリコ*氏

まるでヨーロッパの雑貨を思わせるようなレトロ感のある色合い、思わず口元がゆるむユーモラスなキャラクター。イラストレーター・サトウノリコ*さんのウェブサイトには、明るく洗練されながらもどこか懐かしさを感じさせるイラストがあふれる。

2006年から本格的にフリーランスとして活動をはじめて以来、女性誌や文芸誌のカット、語学講座のテキスト、百貨店の季節イベントのパンフレット、子ども向け教材の挿絵など、多様な仕事を手がけるサトウさん。サロンではトークの合間にイラスト制作を実演し、ライブ配信をするという。まるでアトリエを訪問しているようなワクワク感の中で、トークがスタートした。

サトウノリコ*氏

絵を描くことが好き。それを素直に出せなかった少女時代

「今日はキャンバスを張るところからお見せしたいと思います」。サロンの冒頭、カメラの下で小さな木枠と画布を手に話し始めるサトウさん。プライヤーと呼ばれる道具を器用に使いながら、あっという間に作業は完了。そこからジェッソという下地材を塗りすすめていく。

「仕事ではデジタルで描くことも多いんですが、やっぱり手描きはいいですね。描いている時の手の感触が好きなんです」

 子どもの頃から一人で遊ぶことが多かったというサトウさん。鉛筆と紙を持つと、飽きることなく絵を描いていた。「チラシなどの裏だけでなく、レシートの裏にまで絵を描いていたんですよ」と笑う。

物心ついたころからずっと、絵を描くことが何よりも好き。しかし、描くことによって学校という社会の中では孤立しがちだったという。

「マンガやアニメ、ゲームなども好きで、おとなしくて絵ばかり描いている自分は、クラスの中ではなかなか受け入れてもらえませんでした。好きなものを好きと言い、好きなことをすることで、自分の居場所がなくなっていったんです」

アニメ雑誌の表紙を飾ったことが原点に

中学校では美術部に所属しながら、アニメ雑誌への投稿や同人活動を始めた。

「クラスではやっぱり孤立していました。だんだんと、絵を描いていることがコンプレックスに思えてきてね。高校に進学したら描くのを辞めようと思ったこともありました。辞められなかったんですけどね」

高校時代も同人活動に熱中。しかし学校では絵を描くことを隠しながら、学校外に同人仲間をつくった。多くの女子高生が興味を持つようなファッションやメイクにはほとんど興味がなく、バイト代のほとんどをアニメやマンガ作品の購入、同人活動、画材の購入に費やしていたという。

そんな中、一つの転機がおとずれる。大好きだったアニメ雑誌の表紙に、自分のイラストが採用されたのだ。

「表紙の絵を公募していたんです。毎月熱中して投稿しつづけてやっと採用。これが嬉しくて。私の原点はこの経験だったと言っても過言ではありません。高校の卒業文集には“将来の夢はイラストレーター”と書いていました」

高校卒業後、創造社デザイン専門学校のイラストレーション専攻科に入学。そこには自分と同じように、絵を描くことが好きな仲間が集まっていた。

「これからは本当の自分を隠さずに生きて行ける! 周りを気にせずのびのびと絵が描ける! そんな開放感でいっぱいでした。友人も急激に増えました」

イラストが採用された「FindOut」表紙
初めてイラストが採用された雑誌の表紙。季節感があること、タイトルが入る場所が空いていることなどの条件をクリアして採用された。

やっと見つけたイラストレーターへの道

専門学校卒業後は、念願のゲーム会社に就職。絵の技量が認められ、すぐに開発部に配属された。対戦型格闘ゲームのデモンストレーション画面を担当し、ドット絵を描くことになった。

「自分もずっと楽しんできた作品だったので、その開発に携われたのは嬉しかったです。ただ仕事はとてもきつく、日付が変わるまで仕事をするのはあたり前。土日もほぼ出勤。このままでいいのかと、自分の中でも迷いを感じて、入社してちょうど2年で退職しました」

再び就職活動を始めるも、思うような就職先はなかなか見つからない。アルバイトをしながら活動を続ける中でようやく見つけたのが、山本イラストレーション制作室(以下、制作室)のアシスタント募集だった。

「イラストレーターの山本重也氏は主に水彩を使って雰囲気のある絵を描かれる方で、私は絵に惚れたんです。話を聞きに行くと、デッサンの課題を与えられました。その課題を月に一度、山本氏に見てもらいに行くという生活が始まりました。もちろん就職活動は続けながらです。アシスタントの応募資格は18歳から23歳で、その時私はちょうど23歳。ぎりぎりの年齢だったんです。同じように見習いに来ている人たちもいましたが、みんな辞めていきました。でも私はもうここしかないという気持ちだったんです」

しばらく通い続けたある日、「正式にアシスタントにならないか」と声がかかる。折しも、印刷会社のデザイン部に再就職先が決まった矢先のことだった。その会社にはデザイナーとして半年間勤務し、2004年に正式に入室。イラストレーターへの道をようやく一歩踏み出した。

独立初期の作例
大阪で営業活動をして受注に至った新聞広告の仕事。サトウさん独特のシュールな世界観が好評だという。

何でも描ける人は忘れられてしまう

アシスタント業務は、師匠である山本重也氏の個展準備から、資料の整理、先輩イラストレーターの筆洗の水替えまで、雑用がほとんど。夜はバーテンダーのアルバイトをしながら朝は9時から制作室に通い、自分の作風を探す日々が続いた。

「師匠からはいろいろなことを教わりました。イラストはあくまでも受注制作。芸術作品ではなくクライアントの要求に忠実に応える絵を描くこと。万人が心地いいと思える絵を描くことなど、その頃に師匠から教わったことは、今でも活きています」

入室から約半年後の2005年、制作室のイラストレーターとしてデビューを果たす。日常のシーンをユーモラスに描いた「サラリーマンの日常シリーズ」を代表作として、営業活動が始まった。

「やっと念願のイラストレーターになれたものの、制作室では独立採算制を取っていたので、仕事がないとどうしようもなかったんです。大阪中のデザイン会社に電話をしてアポを取り、自転車で回りました。半年間で120件くらいでしょうか。おかげで少しずつ仕事が入るようになりました」。

2006年1月、制作室から独立。屋号はYellowgroove(イエローグルーヴ)、名前はサトウノリコ*。現在のサトウさんのスタイルができた。

「東京にも営業活動に回りました。大阪ではいろいろな作風を描き分けられることが強みだと思っていたのですが、東京のある会社を訪れたときに言われたんです。もっと作品に個性を出した方がいい、何でも描ける人は逆に忘れられてしまうと。それから自分の作品の個性について真剣に考えるようになりました」

2007年に初めての個展を開催。アクリル画を中心に、作風を絞って展示した。その縁で東京にも足がかりができ、現在は東京の会社からのオファーも多いという。

サロン当日にライブ配信しながら制作していたイラストの完成形。クリスマスに近かったので、サンタクロースをモチーフに。

たくさんの人と出会い、世界を広げたい

「これからやってみたいことを50個、書き出してみたんです」。トークの終盤、スクリーンには、仕事に関するものから私生活まで、現在のサトウさんの心に宿るたくさんの願いが並ぶ。

「中でもやっぱりこれが一番大切かな……」と、控えめな口調で指さしたのは最後の行、“自分の能力を活かして、社会とかかわり続ける”。

「子どもの頃や中高生時代は、自分を理解してくれる人なんて周りにいないとあきらめていました。大人になってやっと、絵を描く自分を肯定できるようになったんです」

自分の殻に閉じこもっていた少女時代。学校という社会になじめずにいた思春期。けれど大人になってからは、絵とは生きていくための糧であり、社会との接点であり、人とつながるツールであることを実感してきた。だからこそこれからはもっと、自分の強みを活かして、より豊かに社会とかかわり続けたいと願うサトウさん。

最後に、保育園の卒園アルバムに書かれた先生の言葉を紹介してくれた。

毎日楽しいおはなし絵をいっぱい描いていたね。
描くこと、つくること、本当に大好きで、すごくいきいきとした表情ののりこちゃんでした。
おはなし絵で、かわいい先生たちの絵を描いてくれてありがとう。
つくって表現することのよろこびを、たくさんのおともだちに広げていってね

天性の絵描き。サトウさんにはそんな言葉がぴったりだ。これからより多くの人と出会い、心を交わしながら、筆を動かし続けるにちがいない。50個の願いを、一つ一つ叶えながら。

当日のライブ配信の様子

イベント概要

絵を描くことで社会のはみ出し者だった自分が、絵を描くことで社会と関わっている奇跡
クリエイティブサロン Vol.249 サトウノリコ*氏

今、イラストレーターとして絵を描くことを仕事にできていることは幸せなことだと思っています。ですが、10代の頃には絵を描くことで小さな社会からは、はみ出た存在でした。自分がどんな人間か?と問われると、良くも悪くも不器用で真っ直ぐな人間だと思います。生き方についても同じことが言えると思います。思えば絵を描くことを仕事にしようと決めてから、様々な障害はありつつ不思議なご縁もあり、その道から逸れることなく生きてきたと思います。それでも不器用なりに、不器用だからこそ色々な迷いや葛藤がありました。アカデミックだったり感動的なお話は出来ませんが、この機会に一人の人間のありふれた物語をお話しすることができればと思います。

開催日:

サトウノリコ*氏

yellowgroove
イラストレーター

2006年独立。大阪を拠点に活動する西洋かぶれなイラストレーター。主に教材や雑誌、広告などの媒体でイラストのお仕事をしております。「レトロヴィンテージな外国の絵本風」「ユーモアを含んだタッチ」「高キロカロリーな絵」を得意としており、可愛くておしゃれで海外の香りのするイラストに定評があります。コンセプトは “あなたの心意気、小粋に表現します”。だいたいいつもハンチング姿。
主な仕事に、『まいにちロシア語テキスト』(NHK出版)など
受賞歴「おおしま国際手づくり絵本コンクール2012」優秀賞・井口文秀賞(作品名『雨あがりのおつきさま』)など
2018年『へい、いらっしゃい! かいてんずし シールえほん』(講談社)出版

http://yellowgroove.com/

サトウノリコ氏

公開:
取材・文:岩村彩氏(株式会社ランデザイン

*掲載内容は、掲載時もしくは取材時の情報に基づいています。