どんな仕事も状況も楽しんでやってみる。雑食で鍛えた顎を武器に独立。
クリエイティブサロン Vol.216 東 優氏

大学で建築を学び、修士課程を経て博報堂に入社。その後、中国法人への出向などを経てクックパッドに転職し、その幅広い経験を生かして、2019年に独立した東優さん。クライアント企業の新規事業立ち上げやブランディング、プロモーションプランニングなどを手掛ける会社で、ディレクター / プロデューサーとしてさまざまな案件に携わっている。「とりあえずまずは口に入れてみる」を人生のテーマとし、仕事、プライベートに関わらず、モノゴトに向き合う時の第一声は「やる(ります)!」「できる(ます)!」。どんな仕事も状況も咀嚼し食べてみる雑食のスタンスで、チャレンジしてきたと話す東さんが、これまでのキャリアを振り返り雑食度を示しながら語ってくれた。

東 優氏

9年間建築を学んだ末に総合広告代理店に就職

高専・大学・大学院と9年間にわたり建築を学んだ東さん。途中、プロのスノーボーダーをめざし、海外で1年間を過ごすも挫折し、建築の世界に戻った。興味の対象は「建築」「スノーボード」と当時の雑食度は5%とまだ低め。建築では、意匠的なデザインよりもロジックが求められる構造デザインに関心があり、大学院でも建築構造に関わる研究室に入った。

クリエイティブなことにも興味があった東さんは、博報堂のインターンシップに参加。内定まで後一歩のところまで進むも、大学院の研究室では教授の意向に沿って就職することが多く、博報堂に行くためには教授を説得する必要があった。

かなり厳しい状況だったが、奇跡が起こる。東さんの教授は以前、ビールのCMに出演しており、そのCMを制作したのが博報堂だった。撮影時の印象が良かったことから「博報堂なら行ってもよい」と許可をもらうことに成功。博報堂からも晴れて内定をもらい、卒業後の進路が決定した。

入社後に配属されたのは営業部。タレントを起用したCM制作など華やかな世界を想像していたが、東さんの担当は大手精密機器メーカーの複合機の営業だった。当時、取り組んだのは「カタログ」「合コン」「サーフィン」で、雑食度は20%。

「複合機のスペックなんて全然興味がなくて、どうでもええわ〜って(笑)、とにかく絶望感でいっぱいでした」。仕事はそこそこ、平日の夜や休日は飲み・合コン・サーフィン三昧。仕事で徹夜しても飲みに行く元気はあり、「毎日が楽しくて仕方なかった」と振り返る。

もちろん、仕事を通して得たこともあった。一番は、B to Bの営業方法だ。いくら営業力やコミュニケーション力があっても訪問先で門前払いをされてしまっては意味がない。東さんはなんとかトップにアプローチできる方法はないかと考え、あるアイデアにたどり着く。それは、クライアントであるメーカーが今後取引をしたいと考える企業の社長の座右の銘を新聞の15段広告に掲載するというものだった。初回のアプローチから文字稿の確認など何度も通い、最終的には額に入れた広告を持って会いに行くことで、企業のトップと多くの接点が得られるという仕組みだ。複合機の売り上げもアップし、掲載された社長からは感謝され、第二弾、第三弾と続くシリーズになった。

また、カメラのCMではフクロウなどの鳥に向かってシャッターを切るプロの写真家の姿を撮影し、一瞬を切り取る極限状態を表現した。クライアントからのオーダーは「この世で誰も見たことのないもの」だったことから、プレゼンは絵コンテではなくビジュアルコンテで勝負。プレゼンで負ければすべてが台無しになるが、時間も手間も惜しまず取り組んだ。

「ごはん、と。」スクリーンショット
独立後に手がけた、兵庫県の色々な”食べる”を動画で紹介するムービーマガジン「ごはん、と。

中国赴任から独立へ。雑食度を上げながら経験値を積み上げる日々

順調にキャリアを築いていた2012年、中国への赴任が決まり、北京に移住した。

中国ではPM2.5の被害がひどく、朝起きると、目が痛く外は薄暗い。そんな日常すら貪欲に楽しんだ。この頃の雑食度は80%とぐんとアップ。仕事でもイベントの企画や自動車のリブランディングなどさまざまなプロジェクトを手掛けたが、最も印象的だったのはモーターショーだという。ブースをつくるだけで数億円、来場者や発表される車の数など何もかもが日本とは桁違いだった。また、当時はちょうど爆買いブーム。ニュースで東京に一極集中でお金が落とされている様子を見た東さんは「関西にもこの流れを持ってこられるのでは」と感じたことがきっかけで、のちに博報堂を退社し、関西に戻ることになる。

中国での仕事を終えて帰国した東さんは、独立を視野に入れていたものの、まずは本社に戻り、新規に仕事をこなしていく。当時の雑食度は90%。人気のスマホゲームのイベント企画やプロモーション、乃木坂46がかわいいねずみ姿でマウス♪マウス♪パソコンマウス♪と歌いながら踊る姿が話題になったマウスコンピューターのCMなど話題性の高い仕事を次々と積み上げていった。

その後、いよいよ独立のタイミングが訪れ博報堂を退社するが、東さんは一度クックパッド株式会社に入社する。博報堂のような大規模な会社の経験だけでは、十分ではないと考えたからだ。当時は、クラシルやDELISH KITCHENなど動画でレシピを提供するプラットホームの利⽤者が急速に伸びている状況だったが、クックパッドは動画だけで「料理をする⼈を⼀⼈でも増やすこと」は難しいと判断。そこで、演者とファンが⼀緒に料理を楽しむcookpadLiveやスーパーマーケットの⽣鮮売り場にサイネージを設置するstoreTVをリリースし、東さんはそれらの事業開発を管掌した。

クックパッドでは0からビジネスモデルを構築し、マネタイズすることが求められたため、雑食度100%で取り組んだ。

五色担々麺
大阪の老舗食品メーカー6社が共同で開発した「五色担々麺」のクラウドファンディングをプロデュース

なんでもやりますの精神で、めざすは“一人広告代理店”

そして現在も雑食度は100%。冒頭で話した「なんでもやります」という姿勢でさまざまな案件を手掛けている。

大阪の老舗和菓子店茜丸本舗の新商品開発では、若い層をターゲットにした洋風どら焼きを企画。顧客層の拡大に成功した。その他、メガネメーカーのブランディング、サンケイリビング新聞社の事業開発、非常勤講師を務める大阪芸術大学では、オンラインイベントのキャスティングやコンテンツ企画を担当するなど活動範囲をどんどん広げている。

YODORA
商品開発、ブランディングを手がけた茜丸の洋風どらやき「YODORA」
コラボレーション事例:メビックでの出会いが導いた「 どらやきメーカー」の若返り

最後のクリエイティブの部分だけをやるよりも、プロジェクトの種の部分から関わりたいと話す東さん。これまでさまざまなことにチャレンジしてきたが、その根底にはキャリアの始めに目上の人に言われた二つの言葉がある。

「失敗しても死なないから大丈夫」

「お前、この競合に負けたら仕事失って死ぬって気持ちでやってる?」

両極端の言葉ではあるが、この振り幅で仕事をすれば大抵のことはなんとかできる、と東さんは話す。「とりあえずやってみようとか、ここで踏ん張らないとダメだとか、この言葉があって今の価値観ができあがったんだと思います」

「やる(ります)!」「できる(ます)!」という姿勢は、この価値観をもとに果敢に取り組み続けた続けた結果、たどり着いたスタイルだ。

「僕にできなくても、できる人を集めてチーム編成でチューニングすれば、それでいいと思うんです。最終的には一人広告代理店のような感じでやっていきたいので、それはいかにして関西で素敵なチームを組めるかにかかっていると思います。これからどんどんつながりが広がっていくのが楽しみです。一緒にチャレンジできる方がいればぜひよろしくお願いします」

そんな前向きな東さんのコメントでイベントは幕を閉じた。

イベント風景

イベント概要

来るもの拒まず、雑食的お仕事論
クリエイティブサロン Vol.216 東 優氏

早いもので起業をして2年。子供が生まれ、コロナが蔓延した2年間を改めて振り返ると、我ながら楽しみながらチャレンジを続けることができているなー、としみじみ。「どんな環境にあっても、楽しみ、チャレンジ」できる今があるのは広告代理店+α時代の苦行を経て身につけた強靭な“顎”のおかげな気がします。どんな仕事も、どんな状況も咀嚼し、まずは食べてみる、それが雑食の僕のスタンスです。変化の激しい時代を生き抜くための顎がどうやって鍛えられたか、そしてこれから何を噛み砕いて、食べてやろうと画策しているか、紹介します。

開催日:2021年11月2日(火)

東 優氏(あずま ゆう)

株式会社Engine 代表取締役

1982年生まれ、神戸市出身。東京工業大学を卒業後、2008年株式会社博報堂(日本→中国・北京→日本)、2017年クックパッド株式会社を経て、2019年に株式会社Engineを創業。クライアント企業の成長“エンジン”となることをミッションに、新規事業や新商品・サービス開発などゼロイチの挑戦をする企業の事業開発支援を行うコンサルティング事業、ブランディングやプロモーションなどの企画・実行を支援するマーケティングサポート事業を中心にサービスを提供。

一般社団法人都市文化研究機構 理事 / 大阪芸術大学デザイン学科 非常勤講師

https://www.engine-corp.biz/

東優氏

公開:
取材・文:和谷尚美氏(N.Plus

*掲載内容は、掲載時もしくは取材時の情報に基づいています。