リニューアルしたホテルに、人と情報が集まるサロン文化を。
クリエイティブサロン Vol.205 井ノ上智里氏

今回のクリエイティブサロンは、MEBICを飛び出し、東心斎橋にある「HOTEL MORNING BOX」の2階ラウンジで開催。老舗菓子メーカーのデザイナーを経て、老朽化したカプセルホテルのリニューアルに姉妹で関わることになった井ノ上智里氏が登壇。これからというタイミングでコロナ禍に見舞われるも、前向きに奮闘する日々についてお話しいただいた。

井ノ上智里氏

思いがけず関わることになったホテル運営

むき出し配管の天井やモルタルの壁、オープンキッチンが今風のカフェを思わせる2階ラウンジ。1階にはフロントのほか、カフェやギャラリーもあり、ふらりと立ち寄ってみたくなる。

「HOTEL MORNING BOX」は地下鉄心斎橋駅から徒歩6分という好立地にある、2019年9月にリニューアルオープンしたホテルである。かつては「サンプレイン長堀」なるカプセルホテルで、歓楽街で飲み明かし、終電を逃した中高年男性がおもなターゲットだったというのが信じられないほど洗練された空間だ。

これらのプロデュースを専門家と協力しながら担ったのが、井ノ上智里氏。たまたま姉妹そろって前職を離れたタイミングだったことから、姉の泰栄氏とともにリニューアルに関わることに。

メーカーで企画の仕事をしていた泰栄氏がホテルの仕組みづくりをすすめ、智里氏が外観や内装、アメニティといった意匠にまつわることを任されるという役割分担も自然にでき、次第に初めてのホテル運営にのめり込んでいった。

典型的な都心のカプセルホテルを、現代のニーズに合わせて、どう変えていくのか。ヒントは、泰栄氏が前職で各地のビジネスホテルに泊まり、「狭い部屋で、孤独に夜を過ごすのが辛い」と感じた経験にあった。そこで、ゲストが自宅のように心地よく過ごせる「大阪の第二の家、セカンドホーム」をコンセプトに決定。

「自宅だと、家族みんなが過ごすリビングやダイニングがあって、一人になれる個室もあるという感じですよね。同じように、1階を玄関とお庭に見立て、2階をリビングとダイニングに、3階から9階が自分のお部屋……という考え方で改装をすすめました。お部屋がコンパクトな分、共用スペースをくつろげるものにしようと」

その思いを象徴しているのが、家(ホーム)を思わせる、特徴的な形状のエントランスである。現在では、長堀通りでもひときわ目を惹く、街のシンボリックな存在となっている。

「HOTEL MORNING BOX」エントランス

APUで“場づくり”のおもしろさに目覚める

現在はデザインのみならず、館内の設備担当として不具合があれば対応しており、副支配人というポジションにいる智里氏。トークでは、彼女のこれまでの経歴についても語られた。

奈良生まれ、奈良育ち。母方に陶芸家や美術教師など芸術関係者が多く、幼い頃から絵を描くのが好きな少女だった。

「ですが、美術で身を立てていく自分がうまく想像できなくて。海外への憧れも強かったので、世界中から留学生が集まる、別府の立命館アジア太平洋大学(APU)に進学しました」

大学では観光学を学びつつ、サークル活動にも積極的に参加。なかでも印象に残っているのは、別府の「駅前高等温泉」を支援する活動だったという。大正浪漫の香りが漂う、とんがり屋根の歴史ある建物で、かつては町の人々が交流する憩いの場であったが、時代とともに存在価値が揺らいでいた。

智里氏の所属サークルでは、この温泉を文化遺産として守っていくため、建物前にパラソルや椅子を並べた簡易カフェをつくり、売り上げを寄付。学生、別府市民、観光客が情報交換できるような場になれば……という目標を掲げ、一定の成果を得る。仲間たちと人と人がつながる場をつくる経験は、やがて「HOTEL MORNING BOX」の運営にも生かされることに。

一方、在学中に友人が所属するサークルのロゴをつくる機会があり、好評を得たことから、デザイナーという職業に興味を持つように。卒業後は奈良に戻り、大阪のデザイン専門学校へ。老舗菓子メーカーに就職が決まり、プライスカード1枚にも徹底的にこだわり、めざす世界観を構築していく厳しい現場に8年ほど身を置き、プロとしての技術やセンスを着実に磨いていった。

ショップカード
植物からさす朝陽の木漏れ日から色を連想した、モスグリーンのショップカード。カプセルをイメージした四角形に、太陽を感じさせる放射線があしらわれている。

“今”を感じる、魅力的なグラフィック

「HOTEL MORNING BOX」のプロデュースは、そんな智里氏のデザイナーとしてのターニングポイントといえる大きな仕事で、同ホテルのイメージを決定づけるものとなった。20~30代の女性たちにもっと利用して欲しいという思いから、いわゆる“インスタ映え”する壁紙や、記念に持ち帰りたくなるショップカード、着心地が良いリネンのルームウェアなど隅々にまで、智里氏の細やかなホスピタリティが散りばめられている。

ルームウェアとルームキーホルダー
ニューヨーカーの部屋着をイメージしたという、リネン製のルームウェア。フロアごとに異なる部屋タイプに合わせ、ルームキーホルダーも色とりどりに。

オープン後、ほどなくしてコロナ禍に見舞われるも、「イマジンプラン」を考案。海外旅行を我慢する日々が続くなか、いつもとは違う場所で、空想旅行を楽しむというコンセプトで、これまでに南の島、北欧、パリなど第6弾まで実施したという。各プランのイメージグラフィックも洗練され、ウェルカムドリンクや朝食、海外を思わせる室内装飾もアイデアを凝らしたもの。菓子メーカーでパッケージはもちろん、販促ツール、店舗のプロデュースにいたるまでを手がけていた智里氏ならではの企画といえるだろう。

イマジンプランのロゴと「南の島のホテルに泊まりに来た(想像)プラン」 のイメージヴィジュアル
(左)イマジンプラン”VOL.6「南の島のホテルに泊まりに来た(想像)プラン」 のイメージヴィジュアル。
(右)朝食にはハワイ風のパンケーキが供され、客室には想像を部屋でより楽しむためのアイテム浮き輪や麦わら帽子などが置かれており、プロジェクターで海の映像も楽しめたという。

パリのカフェをイメージした自由で刺激的な場を

オープンからトライ&エラーを繰り返した2年が過ぎ、最近では心境の変化も。

「差別化しなくては、キャッチーなものをつくらなくてはという思いで試行錯誤してきたのですが、今後はそういうものに左右されないホテルづくりをしていかなければ、と思うようになりました。そこで、新たな目標として立てたのが、“泊まらなくても来たくなるホテル”です」

めざすのは一時しのぎではなく、長期的な視点に立ち、育てていける取り組みである。そこで手はじめに、19世紀後半~20世紀初頭のパリのカフェ文化をヒントにした会員制のプロジェクト、「Co-」をスタート。ピカソや藤田嗣治といった芸術家たちが語り合い、時には議論をたたかわせ、互いの関係を創作の糧としたような、サロン的空間をめざすという。2階ラウンジをさまざまな職業の人々が自由に使えるコワーキングスペースとして開放し、オンラインサロンとも連動させながら、イベントやワークショップも開催していく。ホテルという特性を活かし、東京や地方からのビジターとも交流できる場になる予定だ。

ここ数年、地方の魅力的な文化がメディアで発信される反面、コロナ禍で外出が制限されるなか、都会の魅力が急激に失われつつあることに危機感を感じるという智里氏。これからは街の人々を巻き込みながら、都市ならではの魅力をここから発信していくーーそんな決意とともにトークを締めくくった。

質疑応答の際には、参加者から「このホテルのいちばんの魅力は姉妹。おふたりのファンを増やしていくことが、愛される近道になると思う。最も核になるところに、最も想いのある人がいることが、ホテルへの信頼につながる」という意見も。

大阪市内に拠点を持つメビックの参加クリエイターにとっても、コロナ禍による都市の衰退は人ごとではない状況である。そんな中、初々しくひたむきな智里氏の挑戦は、他にない文化が息づくエネルギッシュな大阪を再び、ともに創っていかなければーーそんな思いを揺さぶってくれた。

イベント風景

イベント概要

「つながるホテルをつくる」の今までとこれから
クリエイティブサロン Vol.205 井ノ上智里氏

2019年、突然、リニューアルするホテルに姉妹で携わることとなり、現在まで駆け抜けてきました。ホテルでクリエイターとして何ができるのかを模索している中で、「場」を持っていることの大切さに気づき、今までは漠然と捉えていた「人と人とのつながりをつくること」について深く考えるようになりました。これまでのグラフィックデザイナーとしての話を少しと、ホテルリニューアルの話、また、これからの挑戦についてお話しできればと思っています。

開催日:2021年7月29日(木)

井ノ上智里氏(いのうえ ちさと)

HOTEL MORNING BOX / デザイナー

1985年、奈良生まれ。大学卒業後、デザイン専門学校卒業、菓子メーカーのデザイン課に8年勤務。退社後、ホテルのリニューアルに携わり、そのままホテルでアートディレクターとして勤務。現在は、主にホテル内に関わるデザインや企画をしつつ、フリーでロゴやパッケージのデザインの仕事をしている。

https://hotelmorningbox.com/

井ノ上智里氏

公開:
取材・文:野崎泉氏(underson

*掲載内容は、掲載時もしくは取材時の情報に基づいています。