ケタ外れの研究心から繰り出す“これから”の蝶ネクタイ
クリエイティブサロン Vol.207 あらいけんじ氏

「かなりマニアックな話になりますが」という前置きで始まったクリエイティブサロン。蝶ネクタイデザイナーのあらいけんじさんがこの日語ったのは、メンズファッションを生業とする人でも聞いたことがないであろう、蝶ネクタイのストーリー。膨大な資料に基づく歴史とあらいさん独自の考察を織り交ぜた蝶ネクタイの世界に引き込まれた。

あらいけんじ氏

ブランドアイテムに蝶ネクタイを選んだ理由

ファッションという広いフィールドから、なぜ「蝶ネクタイ」というニッチなアイテムを選んだのか。その背景から物語の第一章が始まった。あらいさんがデザインを学び始めたのは、27歳の時。会社勤めをやめて服飾デザインの専門学校でファッションデザインを4年間学んだ後、メンズフォーマルウェアの製造や販売を手掛ける会社に入社し、Web事業部でオンラインショップの運営に携わった。燕尾服やタキシードなどのフォーマルウェアを製造する自社工場を持つ会社で、商品の受発注やカスタマーサポートのほか、縫製仕様書を工場に送ったり、生地取りを計算したりと忙しい日々。お客さんからフォーマルルールについて質問されることが多かったので、否が応でも勉強せざるをえなかったという。

この経験が蝶ネクタイブランドを立ち上げる直接的なきっかけになったのだが、会社はわずか一年足らずで退職する。「せっかく専門学校に行ったのだから、もっと自分でデザインがしたい」という気持ちが強くなったためだ。アパレルデザイナーへの転職も考えたが、あらいさんが選んだのは、独立の道だった。「キャリアもない自分に、中途採用の道は厳しいという現実的な問題もありました。それに、自分がデザインしたい世界がアパレル企業にはないとも感じていたのです」。独自ブランドという制約のない世界でデザインに挑戦するべく、2013年に「アナザーデザイン研究所」を立ち上げた。

ブランドのアイテムに蝶ネクタイを選んだ理由は3つあったという。一つは、会社員時代に取り扱った経験があり、描きためていたアイデアもあったから。もう一つは、ニッチな市場ではあるものの、ネットショップ運営の経験から一定のニーズがあると分かっていたから。3つ目は、一人で作って一人で売りやすいから。「どんどん売れるというものではありませんが、規格化され大量生産された品では満足できないという人には必ずニーズがあります。それに、デザインが面白ければもっと売れるのではないかと考えました」。それが32歳の時。ここからあらいさんの研究と分析が始まる。

当日の資料より
独立した当初、頭に浮かんだ蝶ネクタイを描いたアイデアメモ。

“本当に新しいものかどうかは専門家にも分からない”

ブランド名は、「BOWTIE SPECIMENS(ボウタイスペシメンズ)」。これは、蝶の標本ならぬ「蝶ネクタイの標本」という意味。様々な形のパイプタバコの一覧表から着想を得て、「この蝶ネクタイ版ができれば面白い。ブランドを作るだけの価値はある」と考えたそう。

アイデアはすでにあったが、すぐには製作に取りかからなかった。「たとえば、『これは新しいデザインだ』と言って作品を発表したとしても、それが本当にクリエイティブかどうかは専門家ですら完全には証明できません。今は誰も知らないだけで、かつては存在していたデザインかもしれないからです」。そこで始めたのが、膨大な資料から蝶ネクタイの形状を調査し、分類し、まとめること。まさに標本だ。

一般的に流通している「蝶ネクタイ」といえば、端の形状が四角い「スクエアエンド」か、先端が尖った「ポインテッドエンド」に分類されるという。「同じ結び方でも先端の形が変わると見た目も変わる。もっと色んな形があれば面白い」と思い調べていくと、19世紀にはすでに先端が丸い蝶ネクタイを締めた肖像画があると分かった。では、端の形状が斜めになったものはどうか。結び方が変わるとどうか。古い文献や絵画、肖像画、ファッション雑誌、ウェブサイトなどを片っ端から調べ、蝶ネクタイのデザインの変遷を紐解いていった。「ネットの画像共有サイトで蝶ネクタイの画像を何万枚と、もう頭がおかしくなるくらいに見て、小さな発見をしてはテンションを上げていました」

当日の資料より
蝶ネクタイの歴史を知るために手に入れたという日本の文献。産業史や結び方全書など幅広い。

実物もまた、歴史を裏付ける貴重な資料になるため、ネットオークションやアンティークショップなどで珍しい蝶ネクタイを見かければ手に入れる。その中には、1900年代初頭の「博物館級」というほど貴重なホワイトタイや、大日本帝國海軍の大礼服の一部だったという蝶ネクタイも。「ただ見るだけでは分からないことも多いので、実際に自分で縫って結んで分析し、試行錯誤をかなり重ねました。一度絶滅したデザインを復刻させたり、原型のデザインを細分化させてオリジナルのデザインを作ったり。そうやってブランドのネクタイを作ってきたんです」

当日の資料より
あらいさんがオークションやアンティークショップで手に入れた貴重な蝶ネクタイ。

デザインと結び方から考える新しい蝶ネクタイ

参加者がその造詣の深さに圧倒される中、あらいさんはさらに蝶ネクタイのルーツを紐解いていった。なんと、遡ること約四千年。紀元前二千年のエジプトの壁画から始まり、秦の始皇帝、古代ローマ人へ。さらに16世紀のヨーロッパ貴族へ、そして現代へと歴史をたどっていく。

その途中、「これはおそらく形状としては過去にはない新しいデザインです」と自身のデザインをスクリーンに映し出してくれた。これだけの知識を前にすれば、その言葉に納得しないわけにはいかない。「完全に新しいものかどうかは分かりません。でも、こういう根拠でもって“今、この時代には新しい”と言えるのではないかと思います」

また次の節では、「蝶ネクタイの本質は結び方にあった」と題して、シンプルな形状でも結び方一つで印象が変わることを写真やイラストを交えて話してくれた。この研究を元に、ブランドでも「手結び蝶ネクタイ」を復刻させている。

当日の資料より
BOWTIE SPECIMENTSで復刻させた「手結び蝶ネクタイ」23種の“標本”

デザインの歴史の章の最後には、コンゴ共和国の「サプール」が紹介された。内戦が続き世界最貧国と言われる同国で、数カ月分の月収を注ぎ込んだハイブランドをまとい、町中を闊歩するおしゃれなファッション集団。コンセプトは「武器を捨て、エレガントな装いをしよう」。「みなさんはどう思いますか?」という問いかけの先に、ファッションに対するあらいさんの想いがうかがえる。

堅苦しさは終焉。自然に、リラックスできる蝶ネクタイを

第二部では、デザイナーを志すまでの道のりを紹介。小学校1年生で蝶ネクタイデビュー。大学では陶芸に、卒業後は着物や和道具など日本文化の研究に熱中し、古民家で仲間と一緒に伝統的な和の暮らしをしていたという。この頃から一つのことを深く追求するあらいさんの個性が光っていたようだ。現在は京橋の「鶴見印刷所」にアトリエを構え、公式オンラインショップのほか、阪急メンズオンラインでもその一部を販売するなど活動の幅を広げている。

産経新聞の記事によると、2005年のクールビズを境に国内のネクタイ生産量はおよそ10分の1に落ち込んでいるという。昨今のテレワーク推進の動きも重なって、あらいさんは会社員のネクタイへのニーズはますます減っていくと予想している。しかし一方で、「これからのネクタイ」には可能性を感じている。「ファッションはカジュアル化しているとよく言われますが、個人的に”リラックス化”という表現のほうがしっくりきます。義務的な理由で堅苦しくネクタイをする人はどんどん減り、機能的に心地よいネクタイを選ぶ人が増えるのでは。ネクタイが自然に身につけたくなるファッションになれば、デザインはもっと面白くなると思います」

権威や地位を表すアイテムから、自己表現のためのアイテムへ。これからもあらいさんは、蝶ネクタイデザイナーという稀有な存在であり続け、時代になじむ新しい蝶ネクタイを私たちに提案してくれるだろう。

イベント風景

イベント概要

ファッション史という文脈の中で蝶ネクタイをデザインする話
クリエイティブサロン Vol.207 あらいけんじ氏

メンズ雑誌の編集者さんも知らないであろう、これまで独自研究と試作を続けてきた「服飾文化という文脈の中でのネクタイの歴史とデザイン」を語ります。未だ知名度もなく儲かってもいない、超マニアックな蝶ネクタイブランドを、9年も続けている引きこもりデザイナー「あらいけんじ」の頭の中をちょっとだけ公開? いや、自分のために開放いたします。

開催日:2021年8月16日(月)

あらいけんじ氏

アナザーデザイン研究所 / BOWTIE SPECIMENS デザイナー

1981年大阪市生まれ。大学卒業後、京都でアルバイトなどをしながら、着物文化や和道具や和楽器などに浸り仲間とのんびり古民家暮しをする。2008年、27歳から4年間、大阪モード学園ファッションデザイン学科に通う。2012年メンズフォーマルウェアの会社に就職したがすぐに退社し、2013年に蝶ネクタイブランドBOWTIE SPECIMENSを始め現在に至る。

https://www.bowtie-specimens.com/

あらいけんじ氏

公開:
取材・文:山本佳弥氏

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