地道な積み重ねの上に真のデザインは存在する
クリエイティブサロン Vol.189 中井詩乃氏

189回目を迎えたクリエイティブサロンは、プロダクトデザイナーでありクリエイティブディレクターでもあるchicaiの中井詩乃さん。現在はさまざまなプロジェクトに関わって活躍する中井さん。学生時代から就職、転職、そして独立して現在に至る……という時間軸の中で、どんな気づきを得たのかを語ってくれた。

中井詩乃氏

メーカー志望が、デザイン事務所に就職

1988年に和歌山で生まれた中井さんは、京都造形芸術大学(現:京都芸術大学)でプロダクトデザインを学んだ。大学4年の頃にはすでに将来の独立を視野に入れていた。「いつか独立するなら、まずはメーカーでものづくりを学ぶのがセオリー」と考え、1社目に大手文具メーカーを受ける。しかし、最終面接の前まで進んだところで不採用の通知が来る。初めての就活に力を使い果たしてしまい、それ以降はメーカーの採用試験を受ける勇気がなくなってしまう事態に。

就職が決まらない状況に悩み、大学時代の恩師となるUMA/design farm代表の原田祐馬氏に相談したところ、3年生の時にインターンとして働いた経験があるTERUHIRO YANAGIHARA STUDIOに就職することを薦められた。その時になって初めてデザイン事務所という選択肢に気づいた中井さん。代表の柳原照弘氏との面談では「いつか独立したい。それまでに何年間か勉強させてほしい」という旨を伝えた上で採用が決まり、良い形で就職活動の幕を閉じることができた。

膨大なリサーチと模型づくりに没頭する日々

TERUHIRO YANAGIHARA STUDIOで働き始めた中井さん。プロダクトデザイナーとして多くのプロジェクトに関わりながら、洗練されたプロダクトを生み出していく。しかし、形状の設計と同じくらい、その前段階に多くの気づきや学びがあったという。柳原氏のもとで働く中で、本当に伝えたいコンセプトを見つけることが重要であり、そのコンセプトやプロジェクトの設計を決めるには多方面からの膨大なリサーチが必要だと気づく。さらに、大量の模型づくりが美しさ・使いやすさを生み出すことも学んだ。膨大なリサーチ結果をもとに論理的に生み出されていた緻密なプロジェクト設計は、今も中井さんのデザインプロセスの根幹を形成している。

約2年間働いて退職した中井さんは独立を選択せず、学生時代に考えていた「メーカーで働くこと」を実現しようと、再び転職活動を開始した。

そして決まった新たな就職先はアイデアグッズを生み出すメーカー。「両方から履けるスリッパ」や「風に飛ばされにくい帽子」など、デザイン事務所とはうってかわって商業的なアイテムを開発している。商品企画として入社し、商品の形だけでなく、パッケージや販促POPなどに加え、生産工場の手配、品質・安全の管理など、ひとつの商品が世に出るまでのすべての工程に関わるディレクター的な役割を担うことに。

毎週行われる新商品のアイデア出しに苦労しつつも、年間10アイテムほどを担当。この会社に約4年勤務する中で「商品企画から販売までプロジェクトを進める力」や商品づくりの種となる「日常にある違和感を感じる力」を身につけた反面、前職で経験した大量のリサーチやリサーチ結果から論理的に作るべきものを導き出す感覚が、日々の業務で少しずつ失われていく危機感も感じていた。

独立後の初仕事は「企画室を作るプロジェクト」

充実感と危機感の狭間で悩みながらも「若いうちに失敗したいから、今独立しよう!」と、ついに決断した中井さん。恩師も含め、さまざまな人に相談する中で、独立後初の仕事となる依頼が舞い込む。初めは商品開発の依頼だったのだが、最終的には、2年掛けて社内に企画室を作るというプロジェクトをスタートさせる。チーム作りからプレゼン方法、コスト算出といった商品企画全般に関するアドバイスなど、プロジェクト設計そのものにも携わることに。プロダクトデザインではなかった独立後初めての仕事。しかし中井さんはこのプロジェクトを通じて、デザイナーは「商品を作って売るサポートだけではダメ」だと感じ、「能動的に動ける人を育む必要性」もあることに気づけた。

独立後は、さまざまなプロダクトデザインの依頼も舞い込むように。
コーヒーの移動販売を営む「entrance coffee 」のプロジェクトでは、コーヒーを初めて扱う人でも美味しく飲んでもらえるコーヒードリッパーをデザイン。持ち手がフックになっていることで、フィルターを捨てやすく、洗ったあとは吊して乾かしやすい形状に。機能以外にも、吊るしている風景が目に止まることで、意識しなくても自然にコーヒーを飲む習慣が継続できるような仕掛けなどがいくつも組み込まれている。

作例
「entrance coffee」コーヒードリッパー

校正・校閲を専門に行う「鴎来堂」のプロジェクトでは、「暮らしに本がある風景をつくりたい」をコンセプトに複数のブックシェルフを共同でデザイン。さまざまな人たちから「本がある風景」の写真を集め、人の行為や習慣などをリサーチ。雑誌・単行本・文庫本の各サイズに特化したstackshelfは、組み合わせを変えることでテレビ台や化粧台といった本棚以外のものにも姿を変える。papershelfは、1枚の厚紙を折り畳んで壁に簡単に取り付けられ、本の表紙を絵画のように気軽に飾ることができる。各アイテムごとに、異なる本への寄り添い方を楽しめる。

中井詩乃氏の作例
「鴎来堂」stackshelf

福島県郡山にある酒蔵「仁井田本家」では、日本酒を醸す際に用いる酒袋が2年に1度役目を終えることを知り、プロジェクトがスタート。1枚の酒袋から切り出した大小のバッグを企画し、蔵の祭りの際に限定販売した。バッグは蔵の商品ラインナップに合わせ、日本酒瓶が入る大サイズと、お酒が飲めない人や子ども向けのスイーツ系商品が入る小サイズを展開。今後は、酒蔵で使うアイテムを考えつつ、サスティナブルな循環の仕組みを構築していきたいという。

中井詩乃氏の作例
「仁井田本家」酒袋を利用したバッグ

プロジェクトの本質を学んだイタリア研修

独立後、プロダクトデザインの依頼が増えていた中井さんに、自身のデザインに対する意識をさらに高めるような出会いが生まれる。それはメビック主催のイタリア研修「プロジェッタツィオーネを学ぶ旅」だ。知人からの話で研修を知り、調べてみると恩師の原田氏も過去に参加していたことを知った。相談してみると「想いを共有できる人と一緒に行くと良い」とのアドバイスを受け、そのアドバイスに従って仲間とともに参加することに。

この研修では「プロジェクトの本質」や「造形や機能の本質」など、それまでの仕事スタイルを一変させるような気づきを得た。また同時に、一緒に参加したクリエイターやコーディネーター多木陽介氏との出会いも、その後の自分自身の考え方に大きく影響を与えたという。

最後に、さまざまなプロジェクトに取り組むようになって「簡単なデザイン手法はない」ことを実感した中井さん。クライアントが思い描く風景を一緒に明確にしていくことが自分の役割であり、そのために膨大なリサーチも模型づくりも存在するのだ、と改めて理解したという。

ていねいにプロジェクトを前進させる経験と推進力を備え、「今後はチームで取り組むプロジェクトをどんどんやっていきたい」と語る彼女のもとには、これから多くのプロジェクトや素晴らしいメンバーが集まってくると感じた。

イベント風景

イベント概要

プロダクトデザインだけではない
変化を生むプロジェクトの話
クリエイティブサロン Vol.189 中井詩乃氏

独立して約4年が経ちました。ただプロダクトデザインをするのではなく、デザインという切り口でどんな可能性があるのかコツコツと考え、クライアントと共に変化し続けられるように取り組んできました。今回のトークでは、今までのお仕事を紹介しつつ、どういった視点でプロジェクトを進めているのか、裏話なども交えてお伝えできればと思います。

開催日:2020年12月16日(水)

中井詩乃氏(なかい しの)

chicai
プロダクトデザイナー / クリエイティブディレクター

1988年和歌山生まれ。京都造形芸術大学(現京都芸術大学)卒業後、TERUHIRO YANAGIHARA STUDIOにてプロダクトを担当し、1616 / arita japanなどに携わる。その後、アイデアグッズメーカーの商品企画を経て2016年に独立。2020年chicai(近い)を設立。

中井詩乃氏

公開:2021年1月21日(木)
取材・文:中直照氏(株式会社ショートカプチーノ

*掲載内容は、掲載時もしくは取材時の情報に基づいています。