自分のオリジナリティとは、“自分らしさ”を出さないこと
クリエイティブサロン Vol.190 佐藤大介氏

大阪市の1.5倍の面積に、およそ4,000人が暮らす鳥取県日南町。澄んだ川にはオオサンショウウオが生息し、冬は一面の雪景色となる。そんな小さな田舎まちで生まれ育ったグラフィックデザイナー・佐藤大介さんが、190回目を迎えるクリエイティブサロンのスピーカーだ。まち唯一の書店でパンクロックやプログレッシブロックを特集した音楽雑誌を買い、サブカルチャーに目覚めたことが、クリエイティブの原点だと語る佐藤さん。独立10年を迎えたという2020年の終わりに、「人とは違う、自分らしさ」をテーマにお話しいただいた。

佐藤大介氏

70年代ロックをきっかけにサブカルに魅了された10代

3人きょうだいの真ん中として生まれた佐藤さん。小学校時代は少年野球チームに所属するなど、自然の中で子どもらしくのびのびと育った。中学生になったある日、テレビで70年代ロックの特集番組を観て、その世界に魅了される。ブラウン管に映し出されるパンクやプログレのミュージシャンたち。それまで知らなかった音楽カルチャーとの出会いだったという。

「なんだこの世界は!と衝撃を受けました。知れば知るほど好きになり、町にたった1軒の書店で手に入れたサブカル雑誌や音楽雑誌は隅々まで読みました。部屋にポスターを貼り、その世界にどっぷりと浸りました。でもあんな雑誌が、どうして田舎町の書店に売っていたのか今でも謎なのですが……」と、笑う佐藤さん。ただ、「根が真面目」であるがゆえに、ファッションや行動までパンクになることはなく、「見た目は普通、心の中だけパンクな少年」で、勉強には真面目に取り組んでいたという。

米子市の高校に進学後、さらなるサブカルチャーの扉を開いていった佐藤さん。ライブハウスや音楽イベントに出かけ、アングラ演劇に憧れたりもした。そのころに影響を受けたのは、歌人・劇作家の寺山修司氏、デザイナーの横尾忠則氏や粟津潔氏など。そして小説では江戸川乱歩の作品を多く読んでいたという。

「通っていたのが米子市内の進学校で、受験勉強が中心の学校生活でした。でも自分が将来どうなりたくて勉強しているのか分からなくなってきて……。そんなときに横尾氏や粟津氏の作品に出会い、また大阪のデザイン専門学校に行った兄にも影響されて、芸大をめざすようになりました」

高校卒業後、滋賀県の成安造形大学に入学。映像コースを専攻したが、グラフィックデザインにより興味を持ち始め、コースを転向。これがグラフィックデザインへの道の第一歩だった。

キャリアを積んだ20代、そして独立へ

学生時代の代表作として、卒業制作展の作品を挙げる佐藤さん。制作したのは、展覧会に出すための作品制作ではなく、卒展そのもののサイン計画だった。当時、お寺の境内や博物館などで開かれていた卒展の会場案内や看板を、ブルーの木製キューブを使って制作。大学から制作予算を付けてもらって実現したサイン計画は、各会場で目を引き、好評を得たという。

「実際に機能するものをデザインしたいと考えたんです。角材を購入し、塗装屋さんに交渉して塗料を調合してもらい、作ったキューブは約300個。大学から予算までもらっていたので、相当なプレッシャーでしたが、完成したときには自分のアイデアが会場できちんと機能しているという確かな手応えがありました。卒業前の一つの自信となりましたね」

卒業後、デザイン事務所、印刷会社など経て、広告代理店に入社。飲食店、ホテル、育児雑誌など、さまざまな業種の制作物を、アートディレクターとして、企画からディレクション、撮影までを任されるようになる。

「めちゃくちゃ忙しい毎日でした。でもそんな中で、“何をどう伝えるか”というコンセプトや企画の大切さを学びました」と、佐藤さん。やりがいを感じていたものの、自分の力を試してみたい、という気持ちが日に日に強くなり、27歳で独立。2010年、知り合いのデザイナーとのシェアオフィスで、事業をスタートさせた。

独立後しばらくは勤めていた広告代理店の案件をメインにしていた佐藤さん。さらに仕事の幅を広げたいと考え、メビックのクリエイティブクラスターに情報を掲載し、JAGDAにも入会。そこで多くのクリエイターと出会い刺激を受けたという。

「メビックやJAGDAで多くのクリエイターさんと知り合って、自分がいかに狭い世界の中で仕事をしてきたかということがよく分かりました。それまで代理店やデザイン事務所で実績を積んできたという自信も少なからずあったのですが、いろいろな人と話をする中で、自分はまだまだだなと感じました」

少年時代からの真面目さは変わらず、以来、コツコツと努力を重ねながら少しずつ人脈を広げ、仕事の幅を広げてきた。

佐藤大介氏の作例

展覧会のコンセプトや資料の内容を理解することから

現在、製品パンフレットやロゴ、本の装丁など、幅広く活躍する佐藤さん。最近では国立民族学博物館(以下、みんぱく)での特別展『驚異と怪異——想像界の生きものたち』の仕事が印象深かった案件の一つだと話す。

「それまでも、みんぱくでの展覧会のリーフレットやポスター、図録などを手がけたことはあったのですが、この特別展ではそれだけではなく、展示空間のグラフィックも担当させていただきました。展示するものは博物館の先生方が、情熱を持って世界中からコレクションされたものばかり。その熱意をどう伝えればいいか、試行錯誤しました」

佐藤さんがその特別展の企画に関わり始めたのは、会期の約2年前から。それ以前から始まっていた企画チームに、追って加わるという形だった。

「だからこそ、展覧会のコンセプトや展示資料の内容をまずきちんと理解しなければ、デザインができないと考えました。教授らの打ち合わせに参加させていただき、博物館の裏側の収蔵庫を一緒に見て回ったり、資料の解説を聞いたりしながら、理解を深めていきました」

その中で見つけたのが、中世ヨーロッパの貴族の間で流行していた珍品陳列室、「驚異の部屋」だったという。今回の展覧会を象徴するものだと直感した佐藤さんは、メインビジュアルを「驚異の部屋」のモチーフでデザインすることを思いついた。

「毎回、先生方との企画会議の中では、専門用語が飛び交いました。最初は戸惑いましたが、僕の専門はデザイナー。視覚的な面から、内容の理解や鑑賞の楽しみを支えるという立場です。それをしっかりとわきまえていれば、戸惑うこともないと少しずつ分かってきました」

佐藤大介氏の作例

デザイナーは“裏方”であることに徹する

独立からこれまでの作品を、スクリーンに映し出しながら説明する佐藤さん。デザイナーとして大切にしていることは「外に出て観察し、感じること」「クライアントや案件の世界観を理解すること」、そして「客観的な視点を大切にすること」。その上で「自分らしさとは何か」について考えたとき、「自分らしさがないデザインが自分らしさだと思う」と語る。

「逆説的ですが、デザイナーはあくまでも裏方だということです。クライアントが伝えたい、見せたいと思うものをきちんと理解し、それを適切な形で表現する。それが僕たちの仕事だと思っています。だから“佐藤さんらしいデザインでいい感じに作ってください”なんて言われたら、何もできないんですよね」と、控えめに笑う佐藤さん。しかし作例の数々には「確かに佐藤さんらしさが出ている」との一人の参加者の言葉に、全員がうなずく。

「自身のオリジナリティとは何か」。クリエイターであれば、少なからず想いを巡らせることだろう。「クライアントや案件を理解する」、そのプロセスの中にさえも、オリジナリティは息づいている。心を揺さぶられたアーティストやミュージシャン、映画や文学、幼少期の原風景、家族や友人とのなにげない会話……。それらはすべて、唯一無二の自分自身を形づくり、オリジナリティとして図らずも成果物ににじみ出る。オリジナリティとはアウトプットの手法ではなく、形になるまでの思考のプロセス。佐藤さんの作品群を眺めながら、そんな言葉を思い出した。

イベント風景

イベント概要

人とは違う自分らしさとは
クリエイティブサロン Vol.190 佐藤大介氏

今年で、独立してちょうど10年が経ちました。新人時代は仕事についていくのがやっとでしたが、ここ数年で、やりたいと思っていたようなお仕事に関わらせていただく機会も増えてきました。今回のお話をいただいた時に、人とは違う自分らしさとは何か考えてみました。デザイナーを志したきっかけや、どういったものに影響を受けてきたのか、今までのお仕事のこと、またこれからについて、お話しさせていただければと思っております。

開催日:2020年12月22日(火)

佐藤大介氏(さとう だいすけ)

satodesign.
アートディレクター / グラフィックデザイナー

1982年鳥取県日野郡日南町生まれ。成安造形大学卒業後、デザイン事務所、広告代理店勤務を経て2010年に独立。2012年、株式会社サトウデザイン設立。

https://www.sato-design.jp/

佐藤大介氏

公開:2021年2月1日(月)
取材・文:岩村彩氏(株式会社ランデザイン

*掲載内容は、掲載時もしくは取材時の情報に基づいています。