人やコトやモノが出会い、何かが生まれ、育っていく。そのきっかけをデザインする。
鈴木暁久氏:デザインひろば
グラフィックデザイン、アートディレクション、フリーペーパーの企画・編集・発行、イベントの主催、専門学校の講師…と、デザインというフィールドで、型にはまらない活動を繰り広げる『デザインひろば』の鈴木暁久さん。自分が大切にするものを見失わず、人との出会いや経験の中で、常に新しい自分を見いだしていく人。デザインには、次へつながる何かを生み出す力があると信じて行動し続ける鈴木さんの、今までとこれからについて、お話を伺った。
行動すれば、何かが変わる。
チャンスは自分で引き寄せる。
本の挿絵を描く仕事がしたい。1998年、専門学校のイラスト科を卒業した鈴木さんは、その夢を叶えるため、心斎橋筋の路上で自作のポストカードの展示販売を行った。道行く人が足を止め、自分の描いた作品を手に取り買ってくれた。人と出会い、話し、作品を手渡す。そのコミュニケーションが、嬉しかった。「行動すれば、何かが変わる」と踏み出した最初の一歩は鈴木さんに、デザインを通じて人とつながるコミュニケーションの喜びを教えてくれた。
チャンスを夢見て1年、広告代理店に勤めることになった。全国版の雑誌広告に関われることが嬉しくてグラフィックデザインを担当、デザインからアナログとデジタル入稿に至るまでの必要な業務一切を行った。仕事をするうちに、どんどんと広告作りが好きになった。が、制作スタッフ1名の状況で仕事を一手に引き受ける日々に悩み始めた。そんな時、肩を痛め仕事に支障が出た。悩む心と向き合えというサインのようだった。鈴木さんは会社を辞め、自分をニュートラルポジションに置いた。
鍛えられ、成長する自分を実感した日々。
デザインの仕事を続けていきたい、広告を作りたい。あらためて心が決まった時、出会いがあった。企画会社の広告デザインをすることになった。仕事のクオリティに対して妥協を許さないアートディレクターとクリエイティブディレクターのもとで、グラフィックデザイナーとして日々、鍛えられた。考えろ、考えろ、見る目を養え、そして自分の意図を明確に言葉で伝えろ。「そのデザインで伝えようとすることは何なのか。何度も撥ね返されながら、ロジカルに説明することを鍛えられました」
一を聞いて十を悟れ、自分の頭と体を使って仕事を高めろ、というプレッシャーに倒れる人間が出るくらいの厳しさだった。その要求に「絶対に何とかするんだ」と応える中で、自分が成長していることを実感できる日々だった。
そしてもう一つ、この日々の中で鈴木さんは、アイデアを実現する仕事の凄さを目の当たりにした。当時まだ先駆的だった、企業コラボレーションによるキャンペーンを、そのクリエイティブディレクターは実現していた。
自分の足で動き、人に会い、共感を得て、新しいコトを生み出す。その基本にあるのは、人と人が熱量を交換し合うコミュニケーションだった。「私が関わったのは一部分でしたけど、その仕事ぶりをこの目で見られたこと、その場にいたことが幸運でした」
自分の成長を実感できる環境で腕を磨いた仲間たちの多くは、東京や、より大手の会社へと巣立っていった。入社から4年6か月、鈴木さんにもその時が訪れた。次のステージは、アートディレクターとしての映画の広告制作だった。大阪に本社を置き、従業員250名、グループで1000名という、それまでのスタッフ全員の顔が見える会社とは異なる規模の組織だった。
「今までとの環境の違いに戸惑いが大きくて、最初の頃は、正直、自分が浮いているように感じることもありました」。関わるメンバーが増えれば、コミュニケーションに要するエネルギーも大きくなる。鈴木さんは、チームワークの経験を積む中で、場に和やかな空気を生むという、コミュニケーションの新たな要素を吸収していった。
全国ロードショーの大阪での集客、地域の特性に合わせて広告展開を考えるなど「オリジナリティを求められ、大阪で考えた広告がおもしろいと他都市へも展開された時は、喜びと充実感でいっぱいでした」
デザインの更なる可能性を模索する。
好きな映画に携わっている喜びと充実感はあったが、その一方で、一所にとどまり続ける自分への違和感を感じ始めた。「先が見えない」。現在の延長線上にいる自分の姿がイメージできなかった。そんな思いを抱えている時に、東日本大震災が起きた。「広告デザインの意義は何だろう」という疑問が胸に浮かんだ。
そんな自問自答を続ける中、メディアで『コミュニティデザイン』『ソーシャルデザイン』というデザインの領域を知った。鈴木さんは、広告の世界の外へも視野を広げ、デザインの更なる可能性を探し始めた。アンテナを立てて、気になる人、デザインを通して社会的課題の解決に挑んでいる人を見つけると、会いに出かけた。「行動が変化を起こす」という鈴木さんの信条を映し出すかのように、次々と出会いがあった。会いたいと思った遠方の人が、ちょうどそのタイミングで来阪することもあった。「自分が行動することによって起こる化学反応に奮い立って、また行動を起こすような日々でした」
そんな日々の中、一冊の本と出会った。ミシマ社の創業者・三島邦弘氏著「計画と無計画のあいだ」だった。「そこに書かれてあるすべてが、その時の自分とシンクロしていたんです。この会社で働きたいと思いました」。折しもミシマ社のイベントがあった。「イベントに参加して、ミシマ社で働きたいという思いを再確認しました」。持参していた作品集と思いを綴った手紙を、その場で渡した。しばらくして三島氏からメールが来た。「今の我が社に採用は無理ですが、お会いしましょう」と。
通りすがりに立ち寄った書店で手にした一冊の本が、「自分がほんとうにすべき仕事」への道を拓いてくれた。出会った人たち、自分のすべきと信じる仕事を自分自身で作り出している人たちの熱量が、鈴木さんの情熱を抑えようのないまでに掻き立てていた。
「自分がそうであったように、人って、一冊の本で人生の道が変わることがあります。そんな本を作るような仕事が、どうしてもしたくなりました」。そして、自分の手で実現したいいくつかの企画アイデアが浮かんで来た。「自分がやるべきことを、どこか、すでにある場所に求めるのではなく、自分自身が矢面に立ってでも、作り出していこうと、心が決まりました」
「人の間を旅するフリーペーパー」を
企画・編集・発行。
2013年、鈴木さんは独立した。「自分で仕事を作りたい」という情熱と「丸ごと24時間、自分の考えで動く時間」があった。「さあ、どうする?」。ヒリヒリするような自由とプレッシャーの中で見えた答えは「自分の原点に戻る」ことだった。
心斎橋の路上で、一人ひとりに手渡し、売ったポストカード。そこには出会いがあり、コミュニケーションがあり、人とつながることで何かが生まれる予感やワクワクがあった。「クリエイティブをきっかけに、人と人が出会い、次へつなぐ力が生まれる」。それが鈴木さんにとっての原点だった。
原点に立ち返った時、一枚のイラストとの出会いがあった。「私のキャリアのスタートはイラスト。そのイラストの世界でがんばっている人を、自分が培って来たデザインの力で応援しようと決めました」。十数年前、自分自身でセルフプロデュースの難しさを実感している。広告やプロモーションのキャリアを活かしてできることを考え、「作者の人間性を伝えることで、作品の魅力をより深く理解してもらう『人を届けるフリーペーパー』を作ろう」と決心した。
鈴木さん自身が、「出会った!」と感じたイラストレーターに取材を申しこみ、思いが通じればフリーペーパーにして届ける。フリーペーパーの名は「Artn」(アートン)。企画、編集執筆、発行はもちろん、読者に届けるところまで鈴木さんが自ら行う。「各号、紹介するイラストレーターさんは一人。それぞれの個性につながると感じたギャラリーやカフェなどを選んで、置いてもらっています」。作品と作者の思いに似合う場所を選び、読者との出会いのチャンスを広げる。次につながると信じて「Artn」とともに、鈴木さんの新たな旅は始まった。
人とコトとモノが出会い、
ワクワクする発見が生まれる「ひろば」に
鈴木さんは、ご自身の「デザインひろば」を「“次につながる動き”を育てていく場」と考えている。広告やプロモーションなど、その先を見据えたコミュニケーションのデザイン。若者たちを、社会や将来へとつないでいくことに甲斐を感じる専門学校の講師の仕事。親子が感動や発見を共有する場づくり。「私自身も含めて、人が、学び育つ場になりたいと、したいこと、できることを一つひとつ、積み重ねています」
「Artn」の刊行、イベントの開催、広告デザインと、「デザインひろば」のフィールドは、「出会いや新しい体験の中で常に更新中」という鈴木さんの世界の広がりとともに、境界なく広がっていく。訪れた人が、人やモノ、コトと出会い、自分の思いにあらためて気づき、次の思いを育てていく。「広場」でつながった人の思いが、どんな花を咲かせ、実をつけるのか。鈴木さんの柔らかな笑顔に誘われて、訪れ続けたいと思った。
公開日:2016年11月02日(水)
取材・文:フランセ 井上昌子氏
取材班:360 清水友人氏、株式会社PRリンク 土井未央氏