ちゃんと伝わる広告づくり。
橋本 和明氏:ワーキング・スタジオ


ワーキング・スタジオ代表の橋本和明さん

ポスターやカタログなどの「プリントデザイン」、手描きやデジタルでの「イラストレーション」、商品や店舗、イべントなどの「ロゴマーク」を手がけているワーキング・スタジオ代表の橋本和明さん。グラフィックデザイナー、イラストレーターとして30年あまり働いてきた中で培ったスタンスや仕事のモットーを聞いた。

土木製図からグラフィックデザインへ

橋本氏
クライアントの内なる思いを具現化する

人生の歯車は突然、動く。工業高校の土木科で学び、そろそろ進路を考えなければ…と思っていた橋本さんに、教師が声をかけた。
「この修学旅行のしおり、表紙の絵は君が描いたんやて?うまいなぁ。デザイン系の学校へ進んだらどうや」
子どものころの夢はマンガ家だった。だが、緻密な背景画を描けなければプロにはなれないことを自覚し、夢を諦め工業高校へ進学。将来は土木製図を書く仕事に就くか、親が勧めるように公務員の道を選ぶかと、漠然と考えていた。「デザイナー」という仕事があることを、教師のひと言ではじめて知り、魅力を感じた。
しかし、受験勉強を始めてから愕然とする。工業高校では、専門科目の履修に重点が置かれている分、一般の受験に必要な科目の学力が足りないのだ。受験した芸大はあえなく不合格となったが、79年に専門学校のグラフィックデザイン科へ入学。デザインの勉強は、まさにゼロからのスタートで、ポスターや図面の線画や版下の罫線などを三角定規やカラス口をつかって描いた。まっすぐな線を1本描くのがこんなに難しいとは…。

時代の新しい息吹をデザインに送り込む

作品を前にして
時代に即した売れるデザインと、クライアントの良さを引き出す

卒業後は、大阪にある製版会社の制作部門で働いた。最初のうちは下働きばかり。やっと版下制作を担当させてもらうことになったが、紙媒体が全盛のころで多忙を極め、深夜まで働いたり寝袋で仮眠したりする毎日に、とうとう体調を崩した。明石からの通勤に少しでも楽なようにと神戸の会社へ転職し、心身ともにゆとりを取り戻した。
やや保守的なビジネス風土の神戸から、スピード感が問われる大阪へ再び戻ってきたのが88年。デザイン事務所で働き、ベンチャー企業の傘下で華やかな時期も経験した。バブルが弾けた後、93年夏に独立開業を決意。Macintoshのパソコン2台とファックス、プリンタをリース契約で揃えると600万円かかった時代だった。
大阪市内に事務所を構え、しばらくは学習系情報誌や大学案内など教育関連の仕事が中心だった。新聞の求人広告を見て手当たり次第に飛び込み営業をしたことも。徐々にクライアントが増えてきたころ、またもや橋本さんの人生の歯車が動く。
2005年、ゴルフ用品メーカーが新しいグリップを発売することになり、そのポスターのデザインを依頼された。ゴルフといえば、中高年男性や富裕層のスポーツで、ウッドやアイアンのグリップも黒色が当たり前の頃。しかし、この会社は、業界で初めてカラーのグリップを発売するという。Choose the color(グリップの色を選べ)というコピーと16色のグリップを扇状に並べたデザインで、時代の新しい風を感じさせるポスターに仕上げた。
このポスターが起爆剤となった。スポーツ量販店で商品は売れに売れ、このポスターを貼らせてくれという売り場が増え、販売店のスタッフにもすこぶる好評で、このポスターは何度も増刷した。おじさんのスポーツから女性や若者のスポーツへ、ファッショナブルなスポーツへとゴルフが大きく変わっていく時代を、ジャストミートした広告だった。
この仕事は橋本さんの代表作となり、その後も、このクライアントとは引き継き、取り引きがある。橋本さんは、静かで温厚な語り口で話す。
「誰かの紹介を受けたり、口コミだったり、人を介して仕事をいただくことが割と多いんですが、その時々でキーパーソンとの出会いが歯車を動かすような気がしています。このグリップのクライアントも、以前から知り合いの代理店の人が声をかけ、紹介してくれました。今まで縁がなかったジャンルの仕事でも、『販売の促進』につながるブランディングさえぶれなければ『モノ』は売れる、そう信じてデザインすることが大事ですね」

橋本に任せたら安心だと思ってもらうために

作品送カタログ
ドイツ製のゴルフフシューズカタログ

橋本さんのモットーは、「ちゃんと伝わる広告づくり」。このデザインを、この広告を、誰に何をどんな気持ちで届けたいのか、クライアントからしっかりヒアリングして形にしていく。「このデザインにしたのは、こんなふうに伝えるためです」とデザインの意図をきちんと説明する。
仕事を進める時に大切にしていることがある。「特に最初に打ち合わせをする時に、僕に仕事を任せて大丈夫だと“安心していただくこと”に努めています」
例えば、「こんなデザインにしてほしい」「では案を考え、次回の打ち合わせにもってきます」と帰ってしまっては、結局でき上がるまでの間、顧客は、さまざまな思いを抱きながら待ち続けなければならない。そのため橋本さんは打ちあわせのその場で、クライアントから聞き出したことをベースにしてデザイン案を書く。「こんなふうにしてみようと思いますが、どうでしょう」と見せると、クライアントのもやもやした頭の中は一気に整理され、形になった案は判断しやすくなる。「あぁ、そんな感じでいいよ」「君に任せるわ」と合意が成立し、ミスマッチもおきにくい。
ノートにラフ案を手書きという、あえてアナログな手を使うことで、相手に安心してもらえるし、ニュアンスが違う場合には、その場で再提案して、すぐ外堀を埋めていく。

描いた似顔絵は数千人に

作品キャラクター
神戸市職員信用組合のキャラクター

金融機関の預金通帳のイラストで、7社コンペになったことがある。他の会社は、別々のタッチを複数案もってコンペに参加したが、橋本さんはあえて1案だけを提案し、それが採用された。
「僕は、見る人が楽しくなる、幸せになるようなタッチが好きなんです。これがダメだったらこっちもある、ではなく、これしかないと思ったものを大切にしています」
周産期学会のパンフレット、ジーンズショップのオリジナルキャラクター、ドラッグストアのカレンダー、イベントのリーフレットなど、たくさんの業種で橋本さんのイラストは採用されているが、どれも生き生きとしたキャラクター、デザインばかりだ。
今でこそイラストレーションは、デジタル全盛の時代だが、橋本さんは手書きのイラストも得意にしている。そんな橋本さんの得意技の一つが「似顔絵」。名刺や広告物に似顔絵を使ってみませんか、と提案している。
実は子どもの時から似顔絵が得意で、小学生のころには、クラスメート全員の似顔絵を使ったストーリーマンガを描いていた。社会人になって駆け出しのころに、似顔絵のアルバイトをしたことがある。イベントの集客のために似顔絵を描くブースが企画され、駆り出されたのだ。
それ以来、似顔絵も橋本さんの仕事の一つになった。似顔絵作家が複数並んでいても、橋本さんのブースに、客はどんどん並ぶ。昨年の似顔絵イベントが集客の柱として成功したから、今年もきてくれとオファーがかかる。
「私の顔を描いて」「子どもを描いて」「ペットを描いて」と客は並ぶ。1枚の似顔絵を描くのに12,3分。客が途絶えず、1日に30人近く描き続けることもザラ。描いてもらった人はみんな大喜びだ。「私に似ている」「こんなに可愛く描けるなんて」。
目の前の人の“良さ”を引き出すことがうまいのだ。“一期一会の似顔絵”は橋本さんのライフワークとなり、「この30年間で数千人は描いたと思いますよ」。こんなにみんなを幸せにするツールなのだから、広告戦略の中にも似顔絵を組み込む余地があるはずだと、今、新企画を考案中だ。
「30余年、広告デザインに携わってきて、今は大きな節目だと実感しています。企業はどこも広告の予算を減らし、今日明日のお金で苦労し、長いスパンで広告戦略をたてられなくなっています。そんな今だからこそ、売れるデザイン、売れるためのデザイン表現に、プロの手を借りてほしい。これからも、クライアントの『良さ』を引き出すデザインやイラストをつくり、本当にちゃんと伝わる広告づくりと、企業・会社のブランディングづくりをしていきたいと思っています」と橋本さんは話す。

公開日:2012年07月06日(金)
取材・文:鶴見佳子 鶴見 佳子氏
取材班:株式会社Meta-Design-Development 鷺本 晴香氏