お客さまと私、お互いの顔が見える。私にはそれが大切なんです。
堀内 幸子氏:RIADO

堀内氏

「『RIADO』のRってかわいいでしょ? かわいく書ける字がいいなと思って」
“建築士のセンセイ”らしからぬオトメな発言に続いて、「Rのつく字をいろいろ探していたら、以前訪れたことがあるモロッコに、昔の邸宅を民宿にしたリャド(RYAD)という宿泊施設があることを思い出して。そのスペルを読みやすく変えてRIADO(リアド)にしました」との説明に、サスガは建築の専門家と納得させられる。

ほんわりとした雰囲気をまといつつも、一本芯のとおったところがある堀内氏。建築士・インテリアデザイナーである彼女が建築の世界で生きる決意をするまで、そしてこれからについて伺った。

30歳までは道探し

「建築士になりたいっていう強い意志があったわけじゃないんですよね」
苦笑いしながら、堀内氏は学生時代を振り返る。

京都芸術短期大学(現・京都造形芸術大学)で建築デザインを選んだのは、「芸大に行きたかったんです。高校時代は数学が好きだったから、大学での専攻を考えたときに、建築の勉強なら数学も使うんじゃないか」という動機からだった。2年間の短大生活を終えて、専攻科に進んだのは「芸大生活が楽しくて、もうちょっと学生でいたかったから」。専攻科時代、大学から紹介されて建築設計事務所でアルバイトをはじめ、日本を代表する建築家・高松伸氏が率いるその事務所から就職を進められるも、卒業ギリギリまで返事を渋った。
「アルバイトでも徹夜はあたりまえ。夜中でも海外から電話がかかってくる。正直、乗り気じゃなかったんです」
結局、アルバイト時代から担当していた模型の仕事が年度をまたぐという理由で高松伸建築設計事務所に就職するが、1年後に退職している。

建築の世界に飛び込む気持ちが湧きあがらない――そんな心境のまま、30歳までは自分の道を探す期間だと考えていた彼女は、アルバイトでお金を貯めてイタリア・ミラノへと飛びたった。

ミラノ留学

ミラノでのホームステイ先は建築会社の社長宅。彼の息子さんも建築士、その友人も建築関係が多かったり、ミラノ工科大学の日本人留学生と仲良くなったりと、周囲は建築業界の人が多くなっていた。

友人たちとイタリアのさまざまな建築を見て見聞を深めたが、堀内氏がミラノ滞在中にもっとも興味を持ったのは建築ではなく、むしろインテリアだった。ロココ調のクラシックなものからスタイリッシュなものまで、イタリアのインテリアのふところの深さに感動した堀内氏は、1年間のミラノでの生活を終えて帰国後、キッチンメーカーに勤めながら家具の製作・デザインの勉強をはじめている。
セミオーダーのシステムキッチンを手がけるキッチンメーカーでは、図面を引く仕事を手がけた。建築の世界からは少し離れていた堀内氏に転機が訪れるのは、1年半後のことだ。

ある日、とある建築設計事務所が雑誌に出した求人広告に、堀内氏の目が釘づけになる。
「ミラノでサローネ(国際家具見本市)に行ったとき、ここの社長が出展していらっしゃって知り合いました。それで、大急ぎで電話をして『就職したいんです!』って。めでたく採用していただきました」

タイムリミット

堀内氏

カフェやインテリアショップと事務所が一体となった社屋。今でこそ広く知られるようになっている、珪藻土やパイン材といった自然素材を取り入れた家づくりの提案。堀内氏が就職した90年代末から2000年代初頭、彼女が就職した会社は建築業界の最先端にいた。
「併設のカフェやショップにはいろんな人が訪れて、会社の雰囲気がすごく好きでしたね。仕事の9割は住宅で、オーダーキッチンや家具の要望にも応えていました。私が採用されたのも、キッチンメーカーでの経験が買われたんです」
通常はひとつの案件に対して、営業、堀内氏のように図面を引く人、その図面を持って指示を出す人など複数の人間がかかわる。しかし、この会社では打ち合わせから予算の立案、図面作成、現場での指示、果てはクレーム処理まですべてひとりで担当することになっていた。現場で職人たちと一緒に作業をすることも多く、30人の職人と現場に2週間泊りこんだこともあった。
「当然、大変でした。でも、お客さまの顔が直接見えることで、自分の引いた図面と現場とのミスマッチも防げる。こういう仕事の仕方ってやりがいあるなと思いました」

この会社に在職中、堀内氏は30歳を迎える。
「仕事は充実していたし、自分で“タイムリミット”と決めていた30歳にもなり、ようやくこの世界でやっていこうかなと思うようになりました。一級建築士やインテリアコーディネーターの資格を取ったのも、30歳になってからでしたね」

これからがんばろうと意気揚々としていたところに、突然「会社の倒産」という現実が突きつけられる。就職して約5年。次の方向性を考えていたときに声をかけたのが、中崎町で建築事務所「GOSiZE」を営む藤田豪氏だった。

旅館やホテル、店舗、住宅など、多くのプロジェクトを抱えていたGOSiZEでは、ありとあらゆる施主の要望に応えるべく、新しいことを学びながら仕事に邁進する日々を送っていた。
「特に旅館やホテルなど、個人ではなかなかできない業種・規模の物件を設計したりデザインするのは楽しかったですね」
そして4年間在籍した「GOSiZE」を離れ、2011年4月に独立を果たした。

求められれば応える

現在、販促・企画会社のオフィスにデスクを借り、仕事をしている堀内氏。建築やインテリア以外にも販促イベントの会場のディスプレイ・商品企画など、他業種の人々と共同で仕事を進めることも少しずつ増えてきた。なかには一風変わった仕事を引き受けることもある。
「イベントの景品で相談を受けて、リサイクルろうそくのデザインを提案したら、採用していただいたんです。使わなくなったクレヨンとろうそくを集めて200個のキャンドルを、私が手づくりで用意しました」
こうした仕事を通じて「3D空間の感覚を持つ建築士や色彩を扱うインテリアデザイナーが必要とされている分野は、意外と建築物以外でも多いんだと実感しましたね」と堀内氏は言う。

「建築も家具も、キャンドルのような雑貨も、相談してくれる人がいて、自分のできる範囲のことならなんでもやりたい。大切なのはお客さまと私、お互いに顔の見える仕事をすることなんです」
もちろん、“本業”もおろそかにはしていない。店舗や住宅の改装を手がける一方、「今後は新築住宅やホテルの改装にも携わりたい」と次の展開に想いを巡らせる。

また、今春にはタチカワブラインドの「ブラインドコーディネートコンテスト」で、空間コーディネート部門準グランプリにも輝いた。日本の四季をそれぞれイメージしたブラインドをデザインし、季節にあわせて和風旅館に配するコーディネートが評価されたのだ。
「じつは、グランプリの賞品『サローネ・ツアー』が目当てで応募したんですけどね。準グランプリの賞品は瀬戸内海のアートの島・直島への旅行。ここもすごくよかったですよ」

たしかな才能と温かみのある飾らない人柄。堀内氏の2つの魅力は人を引きつけ、これからも自身の仕事の世界を広げていくだろう。

店舗改装 オフィス改装
堀内さんが手がけた店舗やオフィス改装の仕事

雑貨デザイン
提案したリサイクルろうそく

タチカワブラインド
ブラインドコーディネートコンテスト準グランプリ作品「風景の気配」。イラストは夏をイメージした部屋。
涼しげな緑をイメージしたブラインドをデザインして部屋にかけている。

公開日:2012年06月08日(金)
取材・文:細山田 章子氏
取材班:株式会社ライフサイズ 南 啓史氏