見て、感じたものを絵に描く!のが信条
タカダ キミコ氏:イラストレーター

タカダ氏

物心がついた頃から、毎日、毎日絵を描いていた。絵を描くのが大好きな少女は絵を描き続けるために、地元神戸の工業高校のデザイン科へ進学をする。高校ではデザインの勉強をメインに、並行して建築、工業系の勉強も学んだ。これもひたすら絵を描き続けるため。
「ドラフターで製図を描いたり、建築パースも経験しましたし、プロダクトも学びました。デザイン科では、デザインの歴史から技術、写真、色の三原則とか基本的なことをみっちり仕込まれましたが、どの授業も絵を描く事に繋がるので、楽しかったです!その頃はパソコンなどなかったので烏口とインクを使って線を引いたり、筆でレタリングをやったりアナログな技術を学びましたね。でも、デジタルな時代だからこそアナログな技術を学んだことは大きいと感じています。」

イラストレーターという仕事、そして理解し合える友人との出会い

工業高校でデザインを学びながらも、デザイナーという職業を目指したいのではなく、絵を描くことを仕事にしたいという強い思いを持っていたというタカダさん。
そんな彼女が進学したのは国立高岡短期大学の金属工芸科(現在は富山大学に統合。高岡キャンパス(芸術文化部)となっている)。


寳諸さん(左)とタカダさん(右)

手ぬぐい

「工業高校のプロダクトの授業で立体を造るのが凄くおもしろくて、立体をやりたいと探した大学がここでした。高岡市は400年の歴史のある鋳物の町で、ここで学んだ伝統技法で、自分の手がものを作り出せることに感動しました!卒業後は工芸学科で学んだ技術を使って仕事をしようと考えていました。」

しかし、いざ仕事となると3Kで、銅像や仏像を造るか、ジュエリー関係の仕事に限定される。厳しい現実に直面し、食べていくために、神戸に戻り広告デザイン会社にグラフィックデザイナーとして就職した。ここでタウグラフィック 寳諸陽子さんと知り合う。

「デザインの勉強は楽しかったのですが、仕事としてのデザインにはあまり興味が持てませんでした。」
そんな彼女にも勉強になったということがあったという。
「広告に使うイラストを描いてもらうために、イラストレーターの方と一緒に仕事をさせて頂いたことですね。生の作品を見せてもらったことで刺激を受けました。」

本格的にイラストレーターとして独立!将来は絵本作家

興味がなかったデザインの仕事を通して出会ったイラストのおもしろさに惹かれていったタカダさん。それ以降、少しずつ友達からの依頼でイラストを描いたり、寳諸さんの紹介でデザイン事務所から紙芝居のイラストの依頼を受けるなどしたことで「好きな絵を描いてお金をもらえるなら最高!」と3年間働いた広告デザイン会社を退社。時間の融通が利く派遣の仕事をしながらイラストレーターとして仕事を始めた。

タカダ氏

なんだかんだといっても、やはり絵を描く事から離れられないタカダさん。彼女のどこか憎めないほんわかとしたイラストは、ユニセフの紙芝居や天神橋商店街の垂れ幕、スポーツメーカーのTシャツ、大学案内など幅広く使われ、イラストレーターとして活躍している。
「紙芝居を描いたときに、絵本を描きたいんだ!と気づきました。今はいっぱい経験を重ねて、たくさんの人に喜んでもらう絵本作家になります!」
イラストの仕事を始めて、あらゆる仕事をしてきた中で紙芝居というストーリー性のあるものを創りあげることに触発されたタカダさん。富山県の手づくり絵本コンクールに応募、賞を獲得。
ひとつのことに興味を持つととことん取材し、自分が感じたものをすべて描こうとするタカダさん。
「絵本を描くことは大変と思われるかもしれませんが、絵本は自分にしか描けない世界。私自身、その世界を表現できることにワクワクします!この人生を与えてくれた両親と私を支えてくれる仲間に感謝して、たくさんの人に笑顔になってもらえる作品を描くことが私の仕事であり、恩返しだと思っています。」と最後に彼女らしいコメントを頂戴した。

公開日:2010年10月21日(木)
取材・文:株式会社ルセット 松本 希子氏
取材班:デザイン・エイド 北條 佑布子氏