いつ独立しても、不安の数や必要な勇気は変わらない。
冨士 武徳氏:(株)ノンバーバル

冨士氏

西区阿波座にあるクリエイター集積ビル『ACDC』内に、今回取材させていただく株式会社ノンバーバルのオフィスはある。CIやVIロゴやサイン計画をはじめとしたさまざまなグラフィックデザインを手掛けるほか、美術大学やデザイン専門学校に通うクリエイターの卵をサポートする活動に取り組んでいる。今回は代表の冨士氏にグラフィックデザイナーとして独立する際のエピソードや、クリエイターの卵をサポートする活動に取り組む想いなどについてお話をうかがった。

バンドのフライヤーやグッズ製作がきっかけ。

高校生の頃はバンド活動に明け暮れ、デザインという言葉すら知らなかったという冨士氏。ただ、その頃から自分を表現することが好きだったという。デザインとの初めての接点は、ライブの告知のフライヤー制作や、Tシャツをはじめとしたバンドグッズのデザイン。そんな時は、決まって冨士氏が制作していたという。

気付けば、演奏はメンバーに任せて、自分はフライヤーなどを制作する裏方にまわっていた。
「当時の先輩に聞いたり、インターネットで調べると、今自分がしていることはデザインというものだと知り、デザイナーという仕事に対する憧れが生まれました。同時に、デザイナーへの道もこの時初めて知ることができました」
この時すでに高校3年生。芸術系の大学進学には時間が足りず、デザインの専門学校へ進学することに。専門学校でもデザインの仕事に就くために必死で学び、学ぶ中でさらにデザイナーという仕事への憧れは増幅し続けた。

25歳と決めていた独立のタイミング。

専門学校で一生懸命学んでも、就職のハードルは高かった。それでも、就職を希望していた広告代理店の人がよく行く会社の前のお店で待ち伏せて採用担当者と直談判。なんと制作物の倉庫整理のアルバイトとして採用してもらった。
「資料や作品を整理しつつ、社内のデザイナーなどに質問していましたね。これがとても勉強になりました」
全社員が揃う朝礼でも、常に前向きの姿勢をアピールした。
「『整理整頓もひとつのデザインです。働きやすい環境をつくり、社内をより良くしていける』とプレゼンしていました。すると、半年後にはアシスタントデザイナー、さらに半年後にはデザイナーとして働かせてもらえることになったんです」

その後、いくつかのデザイン事務所でデザイナー、アートディレクターとして働き、25歳で独立。
「専門学校へ進学する19歳のときに、25歳で独立することを決めていました。根拠?全くありませんでした(笑)」
ただ、冨士氏の心の中には確信があったようだ。
「ちゃんと決めないといつまでもダラダラしてしまう性格なので。独立直前の24歳の時には焦りや悩みがありました。自分自身の知識や経験が足りない、と。でも、25歳でも30歳でも40歳でも“独立すること”への不安は変わらないだろうな、と思えたんです。独立すれば、今持っている何かを切り離すことになる。でもそれは、何歳になっても勇気のいること。だったら今、独立してやりたいことをやる方が楽しいと思えたんです」

作品

学生をサポートし、ともに成長したい。

ddproject

今、最もノンバーバルが力を入れているのが、『ddproject』というクリエイターを目指す学生のための支援プロジェクト。
「将来、クリエイターを目指す学生を少しでもサポートしたいという想いから生まれました。デザイナーとしての即戦力がないと就職しづらい中で、大学や専門学校で学ぶ時間が少なすぎる。私自身も体感した学校と企業とのミスマッチを解消したいという想いから立ち上げました」

実際にインターンの学生が企業のオリエンからデザインやアイディア出し、そしてプレゼンまでを行い、お客様とのコミュニケーションなどを体感する。彼らが主体となって、一つのプロジェクトを成功させようというもの。ノンバーバルがサポートし、クライアントも社会貢献の一環として協賛してもらう形式をとっている。
最近の学生について冨士氏にたずねてみると、
「今の学生は人間力が少し弱い。だから、人間力を鍛えるために学生プレゼンイベントを開催したり、積極的に人と話し、つながり、コミュニケーションを楽しんでもらう。その中で企業から就職の誘いが来るかもしれませんから、学生も本気で取り組んでいますよ。フレッシュなインターンが頑張ると社内にも活気が出ます。」

目指すのは「いかに感動させられるか」

取材風景

ノンバーバルが目指すのは、人を“感動させる”こと。ちょっとしたプラスアルファの心遣いや想いが大きな感動を生む。人と人が出会い、コミュニケーションが湧き起こるような“仕掛け”こそが感動の源泉だという。
「確かに“感動させる”のはハードルが高いかもしれません。だからこそハードルを超えた時、私たちも一緒に感動できる。ただ、お客様が喜ぶだけじゃなく、私たちも感動できる仕事を目指しています。弊社で発行していた企業経営者向けフリーペーパー『Xs(クロス)』もそう。関わる人々に感動を与えられたことで、次なるステップとして『aeru(アエル)』という媒体『aeru本』にグレードアップできたのだと思います」

また、自分が生まれ育った関西に貢献したいという想いも大いにあるという。
「私は関西が大好きなんです。大阪の活気を取り戻すことに貢献したい。私ができるのは、デザインで媒体やコンテンツを作って人と人を繋げ、そこに新しいビジネスの風を吹き込むこと。だからノンバーバルも関西に愛着を持つ人が集まって、もう少し大きくなりたいですね。いろいろなプロジェクトで関西を元気にするためにも。クリエイティブ集団として30人ぐらいでしょうか。これもデザイナーを目指した時同様、根拠がない数字なんですが実現しますよ(笑)」

公開日:2010年09月08日(水)
取材・文:株式会社ショートカプチーノ 中 直照氏