少なくとも僕を頼ってくれる若い人には、お金の稼ぎ方を身を以て見せてあげたい。
出合 コウ介氏:フォト・オフィス・コング

出合氏

実家は散髪屋という出合氏。中学卒業後には理容師の専門学校に行くと考えていたものの、祖母から高校に進学すべきと勧められ、手に職をつけるべきと考える父も納得の選択をするために写真工芸科のある高校に進学した。そこから現在にいたるまでのお話を紐解くと、これからのクリエイターにとって役立ちそうな大切な話をお聞きすることができました。

写真を写すということについて
真剣に考えるようになったのは27歳の頃だった。

出合氏

高校卒業後、写真館に就職した出合氏。結婚式の撮影や、修学旅行に同行して撮影する中、月に休みが一日あるかないかの日々だった。その後、同級生に勧められて撮影スタジオに転職。スタジオのメインの仕事は大手家電メーカーのオーディオやビデオの撮影など大手企業の仕事に携わることができた。
「車の運転や道具の用意、機材を組むなどのアシスタントの仕事でしたが、楽しかったですね。ロケハンするために前乗りして屋久島に一ヶ月半ぐらい住ませてもらったこともありました」。

その後、結婚が決まり、当時の給与では生活が厳しいと考えていた頃、前社の先輩がホテル系列の会社の社長になり、働きに来ないかとお誘いがあった。師匠とも相談してスタジオを退職し、某ホテルの子会社に27歳で入社した。
「写真部のカメラマン兼マネージャーとして働きました。変わった会社で写真専門学校出身者をひとりも採用しないんですよ。お菓子をつくっていたとか証券会社で営業していた、でも写真が好きって感じの子らで(笑)。そしたら自分がしっかりせなと思いますやん。そのときに写真を写すということについては真剣に考えるようになりましたね」。

すべて独学だったが、今まで師匠のところなどで見たものを頭の中で整理する良い機会となった。
パートさんをうまく活用するためにマニュアル整理して、素人ができる職場にしてほしいというのが社長からのオーダーだった。
「ちょっと覚えると良い写真を撮るための欲が出てきますよね。コストをおさえるというのが会社の方針でしたが、スタッフは機材がほしくなるわけです。僕は社長に『親会社から予算でますかね』と聞いても『なんとか黙らしてえな』という感じですよね。本当に親会社に話してくれてるんかなと不信に思って、親会社の社長に話すると物わかりが良さそうな感じだったんです。でも上司である子会社の社長は株主のひとりだったんですよね。だから辞めさせることもできない。『出合くんならひとりで食べていけるよ』と言われ、30歳で子どもを抱えて首になりました」。

事務所が仕事仲間の
コミュニケーションの場となっていった。

高校の同級生はフリーランスのカメラマンとして活躍していた。同級生のM氏に連れて歩いてもらいながら雑誌媒体の仕事をちょっとずつやらせてもらった。
「京阪神エルマガジン社の仕事だったのですが、どこに行っても『Mさんの同級生の方ですよね、聞いてますよ』と言うわけです。Mくんは数年間で信頼と信用を得ているんだなあ、と思いました。彼の食べているパンを僕にわけてくれているわけですよ。できるだけ彼とはかぶらない媒体の仕事をしようと思いました」。

出合氏

その後、リクルートなどの媒体を数多く手掛け、現在は住宅関係の撮影仕事に進出している。事務所はクライアントの企業や現像所に近い場所を選んだ。
「コミュニケーションの場所になればと思いました。当時の編集者の方はよう飲んではりましたからね。食べに行くのも好きやからよくいっしょに飲みに行きましたよ。事務所は休憩場所みたいな感じですね」。

飲みに行ったあとも、事務所に戻って仕事が待っていた。
「ネガ修正をやっていました。顔のしわを消したりゴミが入っていたら修正するのですが、松ヤニと鉛筆で専用の眼鏡をかけてやるんですよ。七五三とかになったらネガがどっさーと来るんです。作業している横のピンクのソファで寝てた編集者がいっぱいいましたよ」。

その後、出合氏の事務所が入居するビルに多くのクリエイターが集まってきた。
「最初に借りたときは普通の会社がいっぱい入ってたのですが、それがひとつ抜けて、独立するライターさんに奥の部屋が空いているよと教えてあげて、またひとつ空くとそろそろフリーになるというクリエイターに物件を紹介しているうちに、少しずついっしょに仕事ができそうなクリエイターが集まってきたんです」。

現在、同じビルのクリエイター3組で歯医者さんの説明書をつくる仕事に携わっている。僕はそれできひんねん、ちょっと教えてえなあ、と言える間柄がちょうど良い。仕事をとってくるからみんなでやろうよ、という感覚なのだと言う。

クリエイターのチームをマネジメントする働き方。

出合氏

職業として聞かれればカメラマンだが、チームをマネジメントするような働き方も引き受ける。
「関西のクライアントは冊子を一冊つくるにしても、なんぼでできるのって聞かれるでしょ。内容を検討しないとわかりませんってクリエイターは答えますよね。僕は即答できればと思うんです。商売の基本は親父から学んだのですが、お客さんに塩がきれた、と言われたら塩も砂糖も醤油も持っていくのが商売の基本やと思っています。だから信頼のおけるチームをつくって、僕はみんなで動けるパッケージをつくっているんです」。

仕事をする機会を誰かが提供してくれれば一生懸命仕事する。一生懸命仕事すればクライアントにも伝わる。そして出合氏はこう続ける。
「雑誌媒体で言うなら僕ら世代がフタしてしまったと思っているんです。お金儲けさせてもらったし、それでさよなら言うのは申し訳ないなあと思っていて、若い方にお金の稼ぎ方ってほかにもあるんやでってことを、身を以て見せてあげないとわからないじゃないですか。僕がやることでもないのかもしれないけど、少なくとも僕を頼ってくれる若い人には教えてあげないとな、と思うんです」。

公開日:2010年11月01日(月)
取材・文:狩野哲也事務所 狩野 哲也氏
取材班:株式会社ジーグラフィックス 池田 敦氏