公と個人が互いにフォローし合う、新しい図書館の姿。
クリエイティブサロン Vol.95 乾聰一郎氏
地域性という枠を越え、時代とリンクしたさまざまな催しで知られる、奈良県立図書情報館。なかでも、働き方研究家・西村佳哲氏による「仕事」をテーマとしたトークセッションなど、「これが図書館?」と驚くような試みも。その仕掛人であり、同館でプロデューサー的な役割を果たしているのが、乾聰一郎氏だ。 調べものや勉強をしに行く場所から、人と人がゆるやかにつながり、自由に活動する場所へ……やわらかな語り口調のなかに鋭い批判精神が見え隠れし、私たち利用者側にとっても図書館のイメージが大きく変わる、刺激的なトークとなった。
声を上げない人々の、見えないニーズに働きかけたい。
今回のトークサロンは初対面の4人がグループになり、自分の好きな本をそれぞれが紹介する異例のワークショップから始まった。突然のことにとまいどいながらも、参加者同士が笑顔で向き合い、1分間で最近手にとったお気に入りの本をプレゼンテーション。受け手として参加したつもりの私たちが思いがけず発信側にもなったことで、乾氏の考えや試みをより深く理解する一助となった。
氏が図書館業界に身を置くようになったのは、99年頃から。奈良県立図書情報館には準備室の段階から関わり 、2005年の開館後も在籍、去年で10年目を迎えた。しかし、当初から違和感があったのが、公共施設における「○○支援」や「○○サポート」といった言葉だったという。
「つまり、何らかのニーズに応えることイコール、サービスだというふうになってしまってるんです。でもそれは、パイとしては極めて小さいんじゃないかと。たとえば、よくある『ご意見箱』を例に挙げても、同じ人が投書されていることが多いという印象ですね。つまり、声をあげている人というのはごく少数派。そこで、声をあげない大多数の人たちのポテンシャル、潜在力みたいなものにどうにかして働きかけることが、見えないニーズを拾い上げることになるのでは?と考えたのです」
地域性を越え、全国から人が集まった異色のイベント。
そんな乾氏の考えを具現化したイベントのひとつが、西村佳哲氏による、働くことをテーマとしたトークセッションだ*1。2005年の開館記念のイベントを考えていた際に、最寄りの書店でたまたま西村氏の著書を手にとったことがきっかけとなった。図書館主催のイベントといえば、地元にゆかりのある文学作家を招いての講演といったものが主流ななか、異色の催しに。
ちなみに、乾氏がこれと思う人に声をかけるとき気を付けているのは、人を通さず、必ず直接本人にコンタクトすることだそう。
「人づてに呼ぶとお金もかかりますし、やはり思いが伝わりませんよね。人によっては、分厚い手紙を読まされて迷惑かもしれませんね……(笑)」
2010年より毎年1月、3年にわたって開催された「『自分の仕事』を考える3日間」は西村氏をファシリテーターとし、各界で活躍する多彩なゲストを招いて「仕事」や「働き方」についての話を聞き、また集まった参加者同士でも話し合うというもの。厳しい社会状況のなか、自分らしい生き方や働き方を模索する350人以上もの人たちが全国から集まり、過去のセッションは書籍にもまとめられた。
「3年で終了したのですが、なぜこんなに人が来るイベントをやめるのかとさんざん言われました。行政というのは、成功体験に固執しがち。ですが、イベントを続けるためのイベントになってしまっては、意味がないですから」
参加者が発信者となり、新たな場を生み出すことも。
さらに、この「『自分の仕事』を考える3日間」の参加者が名乗りを上げ、新たなイベントも生まれた。そのひとつが「ビブリオバトル」だ。発表者がテーマに沿った本を持ち寄り、自分自身の視点や言葉でその本の魅力をプレゼンテーションし、参加者全員で一番読みたくなった本を決めるという競技型の書評会である。2011年、東日本大震災の翌々日にスタートし、月1回ペースで開催。今年で6年目に入り、今年5月で67回目を迎えたという。
「冒頭にやっていただいた本の紹介やこのビブリオバトルは、本を通して、人と人がコミュニケーションをすること。その原点がここにあると僕は思ってるんです。本を介することで立場や世代の違いを越え、知的な場を共有できることに、おもしろさや不思議さを感じます。たとえば家庭や学校でも、スマホばっかりやってないでこういった試みをしてみたら、ひとつの場になるわけですね」
何らかの興味や関心に導かれて集まった人たちが場に触発され、自ら発信する側となり、また新たな人を巻き込んでいく。そんな知の循環を大らかに内包していることが、奈良県立図書情報館のユニークさの秘密であり、最大の特長といえるかもしれない。
経済に左右されない、新たな場の可能性を求めて。
一般的に、公共の施設といえば、サービスを「提供する側」と「受ける側」という一方通行の関係をイメージしがち。しかし、乾氏が思い描くのは、共生空間としての図書館だという。
「たとえば観光家の陸奥賢さんが提唱されているコモンズ・デザインでは、コモンズとは、江戸の入会地*2に当たるような場所だといいます。僕が考える共生空間もそんな考え方に近くて、互いに消耗せず、誰もが新たな発想に立ったり再生したりする場とでもいったらいいかもしれません。みんながただそこにいて、べつに競争するわけでもないし、評価し合うわけでもない、それでいて、自分たちの思いでコミュニティをつくったり、経済原理から離れたところで知的好奇心をかたちにできる、というような、ある意味、そんなことを試行したり、実験したりできる場……。他にそんな場所は見当たらないんです。博物館、美術館、公民館も何か違う。図書館ならいろんな分野の本というリソースが既にあり、目的なく訪れることもできる。そんな、学校とか社会ではありえない空間を使った、新たな場づくりができるのではないかと」
「公共と個人という関係性のなかでは、個人は要望とクレームしか出せない。しかし、公と個人というものが、互いにフォローし合う関係が生まれてこないだろうかと。僕は、それができるのが図書館なんじゃないかと考えてるんです」
図書館に足を運んだことで、誰かと誰かがつながったり、人生が少しだけ変わったり、自分らしい仕事や生き方のヒントを得たり……乾氏の試みが共感の輪を広げ、今後、個人と公共図書館の関係性も変わっていくかもしれない。
イベント概要
場の新たなあり方を考える。‐図書館の場合‐
クリエイティブサロン Vol.95 乾聰一郎氏
図書館は収益を生まない施設、でも「役に立つんですよ。」という発想もいいけれど。効率やマーケティングからだけでは見えてこない、「場」の魅力を探りたい。そんな発想はどこから出てくるのか、単に屈折した人間性からか。偏見と私見に満ちた図書館論を語ります。しかし、そもそも図書館なんてどうでもいいよという方はぜひ!
開催日:2016年5月19日(木)
乾聰一郎氏(いぬい そういちろう)
奈良県立図書情報館
奈良県立図書情報館 総務企画課 総務企画係長。
1962年、大阪生まれ。1999年より奈良県教育委員会事務局生涯学習課で、新県立図書館(現奈良県立図書情報館)の建設準備に携わり、主としてソフト面の整備を担当する。
2005年11月に奈良県立図書情報館開館。開館後は、総務企画担当として、主として企画展示やフォーラム、コンサート等のイベントなどの主催事業や、文化機関、外国機関、企業、団体等との連携事業の企画・立案・運営をはじめ、自主的な活動で館からの情報発信を行う緩やかなコミュニティとのコラボなどを通じた情報発信事業に取り組んでいる。また、館全体の広報を担当している。メビック扇町エリアサポーター。
2024年にご逝去されました。謹んでご冥福をお祈りいたします。
公開:
取材・文:野崎泉氏(underson)
*掲載内容は、掲載時もしくは取材時の情報に基づいています。