クリエイターの想いと現場をつなぐプリンティングディレクター
クリエイティブサロン Vol.94 築山万里子氏

印刷技術は進化を続け、その選択肢は無限に広がるなか、ひとつひとつのプロジェクトに応じて適正な技術・工程などを提案し、進捗・クオリティ管理をおこない、完成までのパートナーとなるのが、プリンティングディレクターだ。特に一つとして同じ繰り返しのない、美術印刷の世界は、未知の可能性に満ちあふれている。アサヒ精版印刷株式会社の築山万里子氏は、この世界で20年以上にわたって、作家やクリエイターの作品集の制作に関わってきた。この仕事に求められることやその難しさ、大切にしていること、さらには作品=紙でつくられた本の魅力について語っていただいた。

築山万里子氏

「機械を持たない印刷会社」の担うべき役割、プリンティングディレクターの仕事とは。

買ったばかりの本を開き、そっと顔を寄せてみる。そこからかすかに立ち上る、紙とインキの匂い。それはまだ見ぬ世界へと誘う予感に満ちている。印刷物を手にしたときの喜び、ページをめくるときのワクワク感、美しいものを見たときの感動と驚きを追求し、「新しい印刷の可能性」に挑み続けている人がいる。アサヒ精版のプリンティングディレクター、築山万里子氏だ。

築山氏の祖父が1927年に創業したアサヒ精版は、35年ほど前に父親である現社長がハードをすべて捨て去り、ソフトでやっていくと決めた、「工場を持たない印刷会社」だ。もともと手のかかる美術印刷が多く、多くの工場を回ってやっとひとつの仕事が完成する。そんな状況下で自社工場に執着していても採算があわないし、幅広いものづくりができない。紙の厚み、サイズ、ロット、刷り色などの条件に対応する印刷機が異なるため、印刷所はそれぞれに得意とする専門分野を持っている。加工工場も同様だ。「これからは優秀な工場とがっちり組んで、内容によってコーディネートする方法が良いだろうと、その方法に切り替えたんです」。ここ数年で同社の仕事のやり方も理解されるようになったという。

ファイリングされた印刷見本
アサヒ精版には、これまで手掛けた印刷見本が多くあり、紙の種類や加工別にファイリングされている

もともとはスタイリストになりたかった築山氏。短大は英語科を卒業後、夜間の服飾専門学校に通いながら、服飾デザイン事務所で3年間働いた。その後、父の会社(アサヒ精版)にたまたま欠員が出たので、入社。美術系の勉強をしていたわけでもなく、何の知識もなく入ったため、がむしゃらに働き、実践で学んだ。転機が訪れたのは25歳の頃。カタログの制作を任されて、デザイナー、コピーライター、カメラマンといったカタカナ職業の人たちとはじめて一緒に仕事をし、少しずつ制作の仕組みや楽しさがわかるようになっていった。

それから数年、制作の仕事に半分くらい携わりながら、高いクオリティが求められる印刷物も担当するようになる。そのなかで一緒に仕事をしたあるアートディレクターが、制作物にスタッフクレジットとして、築山さんの名前を入れてくれた。その肩書は「プリンティングディレクター」。印刷をディレクションする、「この仕事こそ印刷機械を持たない会社が担うべき役割だ」と感じた。この日をさかいに、築山氏の肩書は「プリンティングディレクター*1」となった。

どんな機械であっても、動かすのは「ひと」クライアントの想いを現場に翻訳して伝える

プリンティングディレクターの仕事は、クライアントであるデザイナーや編集者、作家が想い描くイメージをできるだけ印刷物に再現させること。たとえば、クリエイターが作品集をつくろうとした時に、まずはどんなものにしたいか、印刷でどう表現したいのか、作品集に対する想いや要望をヒアリング。それを受け、判型(サイズ)は? 紙は何を使うか? 製版は? 加工は? と技術的なディレクションをおこないつつ、コストや納期を考えてスケジューリングする。そして納品形態~配送まで細部にわたり設計していく。わずか数日で終わるものもあれば、完成まで2年以上の歳月を要するものまで。

装丁を手がけた書籍など

最初のイメージづくりに重要な「紙選び」ではデサインとの相性、紙のとり(サイズ、紙目)、印刷適性(インキのノリ、紙との相性)、その上に施す加工との相性などを想定して選ぶ。「紙は経験して覚えるしかないです。特殊紙を使うお仕事が多かったので、自然と自分の中にインプットされました」。また製版においては、色校チェック、色味の指示、分版、抜き合わせ処理など技術的な判断をして現場へ伝える。次は印刷工場の選定。紙のサイズや厚みによっても使用する機械は異なり、小さな印刷所から大型輪転機を持つ工場、何十件もある中から適性を見極めて選択していく。

「加工の工程は、案件によりバラバラ。多い時には5~6の工場をたどって、ひとつの印刷物ができる時も少なくない。だから印刷と並んで加工工場の選定も大切になってきます」

機械を持たないがゆえ、逆に多くの工場とやりとりできるのが強みだという。要望が100あれば100通りの指示が必要になってくる。「技術というものはコミュニケーションを図らないと伝わらないもの。現場と一緒になってつくっていくことが大事なんです。製版・印刷・加工、それぞれの職人とやり取りをする工程では、ひとこと言うか言わないかで、上がりが違ってきます。機械がやっているように見えて、実はすべて“ひと”が動かしているんです」

「印刷の可能性」に挑み続けこだわりぬいた品質が、仕事を連れてくる。

後半はこれまで手がけた作品を紹介。写真家・津田直『漕』は、築山氏がアーティストとはじめて深い関わりを持った作品である。ここでは写真作品、その作品を撮影した情景写真、詩のページ、クレジット部分など、4種類の紙を使ったという。この仕事を機に、アーティストとのやりとりが面白くなっていった。

「こんな贅沢なことができるのは二度とない、貴重な体験をさせていただきました」と振り返るのは、絵師・東學の『天妖』。特注のA2漉き和紙を合紙して、両面フルカラー印刷。しかも作品タイトル頁は作家の名前の漉き透かし入り。テキストはすべて組版で活版印刷、上製本で仕上げ、表紙は金糸刺繍入り布貼り。絵を美しく再現させるために、丁寧にスキャンしたデータを、通常の4色分解でなく“スミ基調”に。これはスミ版を基本にCMY版の配分を微調整したもの。通常スミは他の3色の補色になるのが、これはスミの配分を多くしたもの。「絵師が本当に1枚1枚描いたような質感」を出した。こういったこだわりが、「美術印刷」として創業したアサヒ精版の根底にある。「印刷物としての作品価値」を生み出す、創造性が問われる部分だ。

墨画集「天妖」装丁
東 學 墨画集『天妖』

ほかにもニューヨークADCにて最高賞であるゴールドキューブ2部門を受賞した、サントリーミュージアム天保山で開催の「純粋なる形象 ディーター・ラムスの時代−機能主義デザイン再考」展の図録や、泉鏡花の作品を絵本(絵草紙)にした中川学の『龍譚譚』まで。こういった特殊な美術印刷から、最近ではオンデマンドの極みのような作品にも取り組む。「最新の技術があってこそできるものもある。小ロットに対応するクオリティは見過ごせない部分です。アナログから最新の技術まで柔軟に受け入れ、広がり続ける選択肢を取り入れていくことは、とても大事です」

製本も、昔からある技術の組み合わせとアイデア次第でいくらでも可能性は広がるという。だから毎回勉強。常にイメージを膨らませて現場で体得する。そうやって、ひとつひとつを丁寧にこなすことが次へとつながっていく。高い品質が、仕事を連れてくるのだ。

紙というツールだからこそ生まれる感動。「残せる」ことが印刷物の良さ。

“印刷”が簡単になった時代でも、きちんと伝わるものをつくることは簡単ではない。「印刷は最後の工程。失敗したら取り返しがつかないので、常に緊張感はあります。クライアントが持つイメージを一番わかっているのは、お客様から直接話を聞いている自分。製版作業でできるだけ近づけたものを、また印刷現場でいかに近づけるか」

築山氏の話のなかで、いくども「適正」という言葉が出た。作品と紙、製版、印刷、加工。それは膨大な組み合わせの中から、ふさわしいものを選び抜くこと。トライアンドエラーを繰り返すなかで、答えに少しずつ近づけていく。たとえばきれいで鮮やかな印刷だけが、完璧な印刷ではない。色の彩度や濃度が最優先の場合もあるが、クリエイターが求めるところは感覚的な部分が多く、その微妙なニュアンスをくみとって理解し、それを現場で職人に伝え、認識を共有したうえで再現していくこと。これは永遠の課題だという。だから現場には必ず立ち会う。

「クライアントに“喜んでもらってなんぼ”、それが基本。ちょっとでも面倒くさいと思ったら、絶対失敗するんです。いくらデジタルが進んでも、そういうアナログな部分は大切にしていきたい。それと何でも楽しまないと、いいものはできないですね」

印刷現場がどんなにIT化されても、紙やインクといった繊細な材料を使う仕事に、経験と技術は必要だ。人に伝わる印刷物は、人の手から生まれる。築山氏は、時代の流れを受けとめながら、丁寧に美しいもの、新しいものをつくれる現場を、職人を大切にしている。人から人へ受け継がれてきた緻密で繊細な感覚は、世の中から求められ続ける。印刷物は、「何のインターフェースも必要とせず、誰でも手に触れて楽しむことができる」という、デジタルにはない強みを持っている。Webは時が経つとデータが消去されてしまうが、紙は手元に残り、世の中に残っていくもの。

「いろいろな人の手を経たものが、最終的に作品というカタチとして残る、それこそが印刷の醍醐味であり、かけがえのない財産だといえます」

イベント概要

実はあまり知られていないプリンティングディレクターという仕事。
クリエイティブサロン Vol.94 築山万里子氏

ここ数年やっと肩書きを耳にすることも増えたが、その仕事内容は印刷会社により様々。
プリンティングディレクターの役割とは?
独自で走ってきた20数年、その仕事内容と大切にしていることについてお話します。
また、手がけた代表作品も一挙公開……!

開催日:2016年4月22日(金)

築山万里子氏(つきやま まりこ)

アサヒ精版印刷株式会社

大阪生まれ、大阪育ち。短大英語科卒業後、留学の夢むなしく、ファッション業界へ飛び込む。3年間修行の後、特に目的もなくアサヒ精版印刷株式会社に入社。
無我夢中で走り回っている20代半ば、或るADの方からはじめて「プリンティングディレクター」という肩書きで印刷物にクレジットを載せて頂いて以来、自覚が生まれ20数年。広告企画・印刷物のディレクション、また作家の画集や作品集も多く手がける。
仕事を通してひとと関わること、知ること、そしてモノづくりの課程を大切にしたい。
サントリーミュージアム『純粋なる継承』ディーターラムス展のポスターと図録がNYADC金賞を受賞。又、同作品が第51回全国カタログ・ポスター展で経済産業大臣賞、金賞、審査員特別賞の3部門受賞。

https://asahiseihan.jp/

築山万里子氏

公開:
取材・文:町田佳子氏

*掲載内容は、掲載時もしくは取材時の情報に基づいています。