“デザイン思考”が中小企業にもたらす事!
クリエイティブサロン Vol.69 藤井保氏

多岐にわたるジャンルのクリエイターを招き、その創造の原点や思いを聞くことができる「クリエイティブサロン」。今回は、広告代理店やデザイン会社勤務を経てフリーディレクターとして独立、二度の法人化を含め37年間、デザイナーとして働いてきた藤井保氏をゲストに招いた。2007年に「つくり図案屋」を設立してからは、企業ブランディングを基軸としたグラフィックデザイン、パッケージデザインのほか、中小企業の運営と営業企画などにも携わっている。藤井さんの軌跡とともに、デザイナー思考がどのように中小企業のブランディングに活用されているのか聞いた。

藤井保氏

デザイナーとして独立開業する夢に向かって

「デザイン事業は幸せと不幸を繰り返します」。藤井保氏はそう話す。1年がかりで取り組んできた大きなプロジェクトが、大震災の発生で一気に吹っ飛んでしまう。それで落ち込んでいたら、地下鉄で隣りに座った老人と話すうちに、その人の会社の仕事を受注する。休みもとらずに働いていたら、最高血圧が280まであがってしまって2週間入院をする。病院では仕事もままならなかったが、病院食を食べていたら6キロの減量に成功する……。藤井氏の飄々とした語り口に、クリエイティブサロンは笑いに包まれ、引き込まれていく。
藤井氏がデザインのしごとを始めたのは1978年、18歳の時だ。シルクスクリーン印刷・商品デザインを行う会社でアルバイトを始めた。デザインの仕事に魅かれ、79年に大学を中退して広告代理店に入社。が、想定外の「営業をやれ」。デザイナーを志望しているのに、苦手な人に接する仕事を命じられた。でも、藤井氏は前向きに考える。「営業職として仕事の流れを覚えれば、将来、デザイナーとして独立するために役立つはずだ」。クライアントは家電メーカーの掃除機事業部で、滋賀県の遠方へ打ち合わせに出向き、帰りは頭を切り替えて自由時間に。夏は琵琶湖で水泳、冬はスキーと小旅行を楽しんだ。
81年から2つのデザイン事務所で働いた。共にボスは当時の著名なデザイナーで、かなりユニークな人物。「仕事も無いのに得意先への集金に行かなかったり、報酬がわりにチョコレートを支給したり、お酒に溺れているのに仕事を始めたら、しゃっきりしていたり……驚きの連続でした」と笑う。デザインワークがアナログだった時代で、写真とイラストを合成するスーパーリアリズム、オリンピックの販促ツール、カーワックス商品のデザインなどを手がけた。
2年間で2日しか休まなかったが「仕事を早く覚えて独立したかったから平気でした」と藤井氏は言う。86年、フリーのディレクターとして念願の独立を果たす。29歳の時に法人化し、役員に就任。経理を担当する人と2人で経営にあたったが、次第にぎくしゃくするようになる。「経営者として会社運営に心を砕くより、純粋にデザインの仕事に戻りたい」と切実に思うようになり、退任した。

手がけたデザイン事例

膨大な量のデザインワークに取り組む毎日

自分の行く道はデザインなのだ、と割り切ると行動は早い。藤井氏は95年、企画・印刷会社に入社し、CIデザイン、ポスターやカタログ制作、ホームページ制作……を精力的に手がけていく。
「仕事量は半端ではなく、40代前半で夜中の2~3時頃まで働いていましたね。若いスタッフが残って働いているのに、自分だけ先に帰るのはちょっと。終電時間が過ぎれば、スタッフたちを車で送っていかなければならない。それより自分が働いた方がいいと思いまして」は、藤井氏らしいエピソードだ。
タウン誌を発行していた時のこと。地域に根ざして企画・編集し、いろいろな業種や職種の人や店をがっつり取材したが、ハプニングも起きる。「街の公園が汚いと正直に書いたら、『それは困る、そんなの書くなら、仕事を全て引き上げる』とお役所からクレームが入った。『そんなこと言うなら、次号の表紙にアンタの顔写真! 内容は全部、役所の悪口』と応酬しました(笑)」。卑屈にならず、何事にも本音でぶつかっていく。
経営トップの交代を機に06年12月、同社の役員を退任。翌07年3月、メビック扇町に入居し、「つくり図案屋」を開業する。藤井氏にとって2回目の起業だ。メビックでの企画展「この街のクリエイター博覧会」に参加。「関西ブランディングデザイン協会(KBD)」の立ち上げにも参加した。商品開発やセミナー・イベントを行いながら、企業やデザイナー、メディア、行政とのマッチングをはかり、クライアントと顔の見える関係をつくって、関西企業の活性化とクリエイティブ業界のネットワーク化をテーマに活動する。
「当時、僕は47歳ともう若くなく、前職の後半は役員でデザインの現場からやや離れていたので、最初のプレゼンテーション時には最近の成果物が無く困った。でもメビックという『場』があったから、自然に溶け込めたと思います」

展覧会会場風景
この街のクリエイター博覧会

他社の価値を尊重するクライアントと取り組め

藤井氏には仕事に対する信念がある。「仕事はもらうものではない。仕事は、つくること」
タクシー会社の販促物を担当した時には、依頼されていないのに社員のユニフォームや運転手が配る名刺まで想定して提案した。ブランディングにかかわる仕事に際しては、どの位置でクリエイターやデザイナーがかかわるのか、シミュレーションしながらひたすら提案した。現場主義を貫き、取引先には工場まで見せてもらい、レポートを出した。「元々もっている技術だけでなく、見せ方を工夫するのが僕のやり方かなぁ」と話す。
藤井氏は、自分の仕事の報酬を「価格表」として取引先に提示している。「ディレクション・CI価格表」「プレゼンテーション・デザイン価格表」など業務ごとに値段が一覧にされている。仕事の値段を相手に聞くのではなく、これぐらいかかると自分から告げた方がいい。それで仕事がなくなるのではないかと怖がらない方がいい。「どんなクライアントでも、どこかの時点で仕事がなくなるのだから、初めに商売。切られたら違う企業の仕事に取り組めばいい」と考えている。
振り返ってみれば、長い付き合いが続く企業は、他業種を尊重し、デザイナーの価値も認めている。なるべく安く発注しようとだけ考える相手とは続けられない。「企業の価値を上げ、業績を伸ばすためにも、デザインの仕事に対しても価格提示は大切」と藤井氏は話す。
「単にウマがあう相手と仕事をしているのは時間の切り売りにすぎない。食べていけるだけのデザインワークの力を築くと同時に、いつも相手の考えを理解する。調子のいい時は、このまま続けていれば儲かると思っても、相互の求める方向が違っていないか都度見極めることが大切」とも。

取引先に提示する価格表
2007年当時の価格表

プラス思考で中小企業の再生に取り組む

メビック扇町を“卒業”した後は、西区、中央区と移転し、今は大阪市北区天満に事務所を構えている。3Dのモデリングの会社、ボクシングジム、医療・医学学会、不動産会社などさまざまなデザインワークを引き受ける。
その傍ら、コーディネートを通して中小企業のブランディングや経営に参加するようになった。現在はつくり図案屋と別に、ミノックス株式会社で藤井氏は役員に就いている。製薬・医薬品業界に特化しメディカルライティングや申請書類の作成等を行い、70年ほどの歴史がある会社だ。中小企業としての現状を見極めた人員・報酬の体制に見直す一方で、一生懸命働いている若い社員のモチベーションを上げるため、デザイン、データベース技術の導入や、営業のスタイリングなど、きめ細かに対応していく。
かつて藤井氏がかかわった中には、明日には電気が止まるほど切羽詰まった中小企業もあったという。また、中小企業のトップには「会社を大きくしたいと公言しているのに、1日中ぶらぶらしていたり、自分を持ち上げてくれる人だけを回りに置く」そんな本末転倒な事例も目立つという。「トップには対話を通じて、少しずつ言動を修正してもらいます。その傍ら、相手と共倒れする覚悟で経営に踏み込む。そのぐらいの気概でないと信頼関係は築けない」と話す。
デザインの仕事を喜んでもらえることは嬉しいし、いい職業だと思っている。クリエイターの経験と知恵が加わることで、中小企業がブレークスルーした時にはホッとする。
「デザイン思考とは、おかしさに気づき、プラス思考で取り組むことが基本。目の前の人の思いを、何をプラスしたら実現するのかを考えます。また中小企業には、経営者の出来ない部分を専門家にかかわってもらうことで解決できる事も多い。デザイナーだけでなく外部の専門家でチームを構成し、企業運営の軸をつくっていくのです。偏人の私が言うのも変ですが(笑)」。
一方、クリエイター自身のストレスはその日のうちに解決した方がいいと説く。後先を考えずに買い物をする。気持ちよく酒を飲む。自転車で丘を越える。電車に乗って終点まで行ってみる……
「どんな方法でもいいので、その日にストレスを消化して、プラス思考へ自分が動くためのリズムをつくって」と勧める。

会場風景

イベント概要

“デザイン思考”が中小企業にもたらす事!
クリエイティブサロン Vol.69 藤井保氏

環境や仕事内容が変われど、ふわふわとラッキーにも2度の独立を経て、約35年間続けて来たデザイナー稼業。多種多様のデザイン制作、場数だけは踏んできたその変遷と現在に至るまでをお話しします。
また、メビック扇町以降のミッションであった“クリエイターと企業間のコーディネイト”を行っているうちに、段階を経て中小企業の経営自体にも係わってしまった現在。
そんな経験を基に“ものづくり”や“サービス業”との関係の中で“デザイナーならできる事はナンボでも有る!”と仕事をつくってきました。そんなこんなを気楽に語りあいましょう。

開催日:2014年12月15日(月)

藤井保氏(ふじいたもつ)

つくり図案屋

大阪市出身。なんばデザイナー学院卒業後、1980年から広告代理店、デザイン会社に勤務。
1986年、フリーディレクターとして独立した後、法人化。製造、サービス業を中心にCI・VI、商品デザイン、SPを手がける。
1995年から企画・印刷会社にて印刷分野のデジタル化によるデータベース作成、印刷商品開発に携わる。
2007年3月メビック扇町にて、つくり図案屋を設立。
企業ブランディングを基軸としたグラフィックデザイン、パッケージデザイン等を行い、現在は自分のデザイン事業と並行して、中小企業の運営と営業企画等にも携わっています。

藤井保氏

公開:2015年1月14日(水)
取材・文:鶴見佳子氏

*掲載内容は、掲載時もしくは取材時の情報に基づいています。