まだ見えぬ想いを掴み、顕在化させたい。
クリエイティブサロン Vol.66 松本幸氏

松本幸氏

あなたは最近、誰かの想いや考えにじっくり耳を傾けたことがありますか? 本やテレビなどのメディアを通さない、生身の人間が語る“生き様”に触れ、自分自身を顧みる時間を持っていますか。
メビック扇町で定期的に開催されるクリエイティブサロンは、まさにそんな機会を気軽に得ることができる。ゲストは、様々なジャンルで活躍するクリエイターたち。12月2日に開かれた66回目のサロンは、大阪在住のコピーライター、プランナーの松本幸氏が招かれた。約2時間にも及ぶトークは駆け出しの頃、出産、子育てによる前線離脱、海外暮らし、そして事務所開設と、紆余曲折あったこれまでの歩みと仕事上の信条を、包み隠さず語り尽くし、参加者を魅了した。

つま先立ちの20代、そして30代の意識変化

「世間知らずで呑気、職業観も希薄だった」という学生時代を過ごし、大学卒業後、映像制作系の会社を経て、23歳でグラフィックデザイン会社に入社。クリエイターとしての第1歩を踏み出した松本氏。コピーライターとして職を得たものの、未経験で、宣伝会議の養成講座を受講しながらしばらく働いたという。
職場は、主にスポーツメーカーのカタログや広告を請け負うデザイン会社。現場で制作プロセスを学び、コピーとビジュアルをセットで考えることを身に付けた。入社4年後には、新ブランドのプロモーションプランのプレゼンを任せられる。「自分には身の丈に合わないテーマに挑むチャンスを与えられ、つま先立ちで背伸びしている内に、気づけば実寸が伸びていくような」駆け出しの頃、そんな毎日を無我夢中で過ごした。

30歳で長男を出産。仕事をセーブして、しばらく育児中心の生活を送った。
「暮らしは激変。生まれた子どもはもちろん可愛いけれど、育児は想像以上に大変で、遠い場所に隔離されたような孤独や閉塞感もあった」
さらに身内が病に倒れ、それまで深く考えることのなかった、人の生と死、そしてそれに毎日向き合う病院の人々の気丈さに接した。一切虚飾をはぎ取った世界に身を置くなかで「クリエイターって、なんぼのもんやねん」という気持ちも芽生えたという。その頃から、周囲から「変わったね」といわれるようになった。「昔はもっと、取っつきにくかったようです。否応なくクリエイティブ業界から離された、その時間が今振り返れば私には必要だったのかもしれない」

2002年には、家族の仕事の都合で一時的にフランス・パリに移り住む。「言葉の壁とド貧乏生活で大変だったけど、楽しかった」が、第2子も出産し、異国での子育てで、あれこれしたい気持ちとはうらはらに、思うように身動きもとれず、無為に時間ばかりが過ぎていく。「ある時、何かしたい!と、衝動に駆られたんです」
実行に移したのが現地の取材企画だ。フランス人は、友人やご近所さんを自宅に招くことが好き。松本氏もあちこち招いてもらうようになって、各家庭の個性豊かなインテリアに関心を持った。「特にキッチンや料理は、その人のバックボーンに密接に結びつき、私自身がもっと知りたいって思ったんです」
企画書と記事のサンプルを作り、日本の出版社に片端から当たってみた。何社か問合せが舞い込み、当時季刊で発行されていたインテリア誌「美しい部屋」(主婦と生活社)で採用。2年続いた連載は好評で、帰国後の2007年には、それをまとめた本の出版も果たした。

書籍表紙「パリ発キッチン物語 おしゃべりな台所」
連載が本になった「パリ発キッチン物語 おしゃべりな台所」

屋号とロゴマークで顕在化した、仕事の信条

帰国後は、フリーランスで仕事を再開。2008年から2年ほどブランディング会社に外部スタッフとして関わるなど、さらに経験を積む。「2012年にメビックに巡り合い、いっきに世界が広がりましたね。たくさんの人と出会い、話を聞いた」その頃から、セルフプロデュースの意識が芽生えたという。そして、事務所開設へと突き動かされていく。
「自宅で仕事をすることも限界でした。私はのめり込むたちなので、家が戦場になってしまうと、自分も家族も心が休まらない」事務所と同時に掲げたのが、“羽ペン”を意味する屋号“クイール”とロゴマークだ。
「自分の仕事に対する姿勢を表したものにしたくて」ヒアリングを重ね、輪郭が浮かび上がってきた企業理念や商品にかけた想い=インクを、軸が空洞の羽ペンが吸い上げ、目に見える形や伝わる言葉で具現化する。そんな松本氏がイメージする「書く」という行為を表現した。グラフィックデザイナーである友人が作ったロゴマークは、クイールのLが2つ向き合っている。これは音読するときは読まず、けれど強調したい本質を、浮かび上がらすことができる“カギ括弧”をシンボル化。「まさに、私がやりたいことを的確に形にしてもらった」という。
事務所開設が起点となり、松本氏の仕事の幅はぐっと拡がり、今に至る。「周りの目が変わりましたね。この人、本気なんだと。大きな仕事の相談も増えました」

事務所開設時のDMビジュアル
事務所開設の際のDMには“言葉の力は死なず”が、羽ペンによって浮かび上がるビジュアルが使用された。

汗かきベソかき恥かき、一生懸命生きていく

現在、氏のこれまでの経験が最大限に活かされる仕事が進行している。神戸の給食受託会社「株式会社みらいたべる」のブランディングプロジェクトだ。同社はこれまで主に産院から依頼を受け、入院中の女性に食事を提供してきた。そんな現場で培ってきた調理技術と最新の医学的知見を背景に、2015年からは自社発信で、妊娠授乳期の食事の大切さを“産育食”というキーワードで広く社会に伝えていこうとしている。「妊娠前後はもちろん、女性が健康に子どもを産むためには10代の頃からの食事も大事。産育食を世に広めることで、若い女性が食を変えようと思うきっかけを作ることを目指しています」
情報受発信サイトを来年1月にオープン。いずれ近い将来には実店舗、さらに製品化も予定しているロングスパンの事業に、女性クリエイター2人とチームで参画する。情報を収集し、関係者に丁寧にヒアリングを重ね、社員全員にこれから取り組むブランディングの意義を伝える活動を継続中だ。
「これはモノを売るためじゃなく、コトを生み出す仕掛けなんです。すぐに結果がでるものではありませんが、高いビジョンを掲げ、未来を見据える同社に共感してるんです」
経営者や社員一人ひとりの想い、そして社会ニーズ。それらの本質を掴み、新たな表現を生むことがまさに求められている。女性として、母として、得てきた経験や想いを活かし、思う存分、その力を発揮する時がきている。

ネーミング、ブランディングを手掛ける「月とみのり」
みらいたべる社とともに取り組む「産育食」発信ブランド づくり。「月とみのり」というネーミングも手がけた。

「私が言葉を紡ぐとき、生まれ出ようとしている魂が空中にすでに存在し、それをぐっと掴んで自分の体に入れ、育て、産道から生み出すイメージなんです」と話す松本氏。
そして、言葉を紡ぐ自分自身が何を大切に思い、何を感じて生きているか、その生き方が常に問われていると姿勢を正す。これまでの幸せも孤独も子育てや介護の経験も、全てを肥やしに、これからもクイールであり続けたい。「だから汗かきベソかき恥かき、人生そのものを手抜きせずに、一生懸命生きなあかんのです」

会場風景

イベント概要

「すごろく6回休み」のスロースターター、走る!
クリエイティブサロン Vol.66 松本幸氏

行き当たりばったりに生きて、ひょんなきっかけでコピーライターになった20代。2度の出産や海外生活でまさに「すごろく6回休み」の30代。完全に戦線離脱したと思っていたクリエイティブの世界に、また戻ってくるまでのいきさつや、仕事をする上でエンジンとなっている思いについて、お話しさせていただきます。今も汗かきべそかき恥かき、さまざまなクリエイターと力を合わせながら、よりよいコミュニケーションのあり方を探す試行錯誤の毎日をお伝えできればと思います。

開催日:2014年12月2日(火)

松本幸氏(まつもとさち)

クイール代表
コピーライター / プランナー

神戸生まれ。23歳から大阪のデザイン事務所でコピーライター修行を始め、その後、出産や海外生活を経て、帰国後2006年よりフリーランスに。2013年に個人事務所「クイール」設立。新規ブランド立ち上げ、ブランドリニューアル、販促戦略やインナーブランディングに至るまで、幅広いフェーズで最適なコミュニケーションのあり方を考えます。
新聞雑誌広告、ウェブ、パンフレットなど各種ツールの企画制作にあたっては、「言葉にならない大切な思い」をすくい上げる丁寧なヒアリングがモットー。
取材記事の執筆も得意とし、書籍、雑誌、ウェブなどで手がけたインタビュー記事多数。
2007年にはフランス流インテリアと食文化を独自に取材した「パリ発キッチン物語おしゃべりな台所」(主婦と生活社) 刊行。
2008年、フランス「Madame Figaro」誌で掲載されたレシピを日本の読者向けに再編集した「フィガロブックスキュイジーヌVol.1~3」(阪急コミュニケーションズ) 刊行。

公開:
取材・文:土井未央氏(株式会社PRリンク

*掲載内容は、掲載時もしくは取材時の情報に基づいています。