“守りながら攻める”アートディレクションで作品の可能性はエンドレスに拡がる
クリエイティブサロン Vol.47 宮田聡氏

様々なジャンルのクリエイターをゲストに招き、その人となりや活動内容をお聞きし、ゲストと参加者のコミュニケーションの場として開催している「クリエイティブサロン」。今回は、大阪・浪速区稲荷に拠点を置き、第55回全国カタログ・ポスター展 会社案内部門賞 銀賞受賞をはじめアートディレクター、グラフィックデザイナーとして活躍を続けるセラヴィの宮田聡氏にお話を伺った。当日は、同事務所の開設時からのパートナーでもあるデザイナーの谷口真由美氏も宮田氏と共に登壇。宮田氏の発言の合間に、ときおり谷口氏が追加説明を挟みつつ、和やかな雰囲気の中でトークは進んでいく。宮田氏のグラフィックデザインの源流やアートディレクターとして抱く仕事上のポリシー、果てはセラヴィの代名詞ともなった事務所猫“ミィーくん”モチーフの“セラヴィグッズ”の制作裏話まで。多岐にわたった話の一端を紹介する。

宮田聡氏

写植会社で培った経験がデザイナーとしての原点

宮田氏が携わるグラフィック作品すべてに共通するもの。私的な意見で恐縮だが、それは文字、グラフィック、写真などすべてのパーツが自然に織り成す“一体感”であると私は思う。コピーがビジュアルの一部として違和感なく溶け込み、一方でビジュアルもコピーの情報を極めてさりげなく補足するという非常に心地よい感覚。たとえそれがアート作品であれ広告作品であれ、見る人はその心地よさの中に身を置きながら、視覚へ届けられたメッセージをすんなりと受け取ることができる。

このスタイル(センス?)を宮田氏はどのように会得したのだろうか。トークはまず、そのヒントとなる彼の修業時代の話からスタートする。「高校卒業後にまず入社したのが写植会社でした。今でこそパソコンでのDTPが主流となっていますが、当時は『写植機』という機械を使って、1つ1つガラスの文字盤から文字を拾っていかねばなりませんでした」。光とレンズを使って文字を印画紙に焼き付ける写植機の使用は、DTPが普及するまでは印刷用版下を作るための代表的な手法であった。「19歳から22歳までの4年間は、残業の毎日。今思えば、夜の食事は出前のうどん定食、そば定食と炭水化物しか摂取していませんでした(笑)」
写植機オペレーターとしての経験値を積むうち、1つの魅力に気付き始めたという宮田氏。「『上手いオペレーター』に求められるのは、文字を組み上げる際の美的バランス感覚なんです。今でこそキー1つで自動文字詰めができますが、当時は文字間を見ながら1つ1つカーニングを調整することもオペレーターの仕事でしたから」。そのために必要なのは1つでも多くの文字のシルエットを覚えること。「例えばひらがなの『り』という文字は極端に細いですよね。一方で『が』という文字は、枠の中に隙間なくぎっしり詰まっている。すべての文字はフォルムや左右の空きが少しずつ異なるんですよ。文字について知っている上手なオペレーターは難しい原稿を任されますし、下手なら簡単なものしかできません。もともと負けず嫌いな私の性分が多いに刺激されました(笑)」
文字をフォルムとして捉える――今の宮田氏にも通ずるこの感覚は、どうやらこの若い写植会社時代にそのルーツを辿ることができそうだ。

サロン風景

2人の先駆者との“出会い”が理想のアートディレクター像を指し示す

その後23歳の時にたまたま参加した専門学校のデザイン1日体験コースで、イラストレーター多田潔氏と運命的な出会いを果たす宮田氏。その紹介により、デザイナーとして広告制作会社に入社する。「他のデザイナーはほとんどが専門学校出身。やはり最初はコンプレックスがありました。シルク印刷の版を刷る時に絵具を溶くのですが、基本ができていない僕は1人だけ手元が汚れてしまって(笑)。今思えば『写植ができる』ことが大きな武器だったのですが、そのことに気付いたのはようやく最近になってからですね」。さらに20代半ばで中嶋清介氏の声掛けにより、同氏の個人デザイン事務所へ。30歳で独立し、同じ事務所だった谷口氏を含めセラヴィを立ち上げるに至る。

仕事上で大きな影響を受けた人物として宮田氏は2人の名前を挙げた。1人目は全国的に有名なアートディレクターの木村裕治氏。ある時、先輩から木村氏の仕事の進め方を聞く機会があった。「広告制作はチーム作業なんですが、どうしても流れ作業的になってしまう時期がありました。そんなとき東京で『Esquire日本版』のアートディレクションをされていた木村さんの仕事ぶりを耳にして……とにかく衝撃を受けました。チームワークがすごいんですね。例えばカメラマンが写真を撮るときには、『木村さんならここにキャッチを置くだろうな』とあらかじめ余白を作って撮影するそうなんですよ」。木村氏ならきっとこう作るだろうと考えながら、全ブレーンが自発的に役割を全うしていく。「日本代表のサッカーでたとえるなら、遠藤がボールを持った瞬間、岡崎が、本田が、彼を全面的に信頼して『ここにパスを出すだろうな』というスペースに全力で走り込んでいくようなイメージ。これってプロフェッショナルだからこその“思いやり”だと思うんですよね。いつかこんな風に仕事がしてみたいと、強く心に残りました」

サロン風景

そして宮田氏が名前を挙げるもう1人。中嶋氏である。
「直接デザインを教えてもらった覚えはほとんどないんですけど……(笑)。それでも中嶋さんの仕事を1番近くでずっと見せて頂いたのはものすごく貴重な経験です。相手を尊重しながらトータルディレクションをする大切さを学びました」。現場にはそれぞれ長い経験を重ねてきたカメラマンやスタイリストがいる。1人のデザイナーが自己満足で『こうしてほしい』というのではなく、しっかりと意見を聞きながらディレクションしていくことが大切なのだ。「各分野のプロがどういう意味で意見を主張しているのかをじっくり考える。もちろん必要に応じて自分の意見も推しますが、大事なのは“守りながら攻める”こと。これがアートディレクターとしての私の基本スタンスになっています」

パンフレット
専門学校のパンフレット

そんな宮田氏が、仕事の転換点となったと語る仕事の1つに、40歳の時に手がけた某調理専門学校のパンフレットの仕事がある。フランスでの取材時に、初めて仕事をする同い年の現地日本人カメラマンに撮影をお願いしたのだとか。「現場で驚いたのは、初対面にも関わらず信じられないほどカメラマンと息が合ったこと。『僕がこんな写真を取ってほしいな』と思ったら、アイコンタクトだけで次々とフレームに収めてくれるわけです。結果、デザインを組む段階ではほとんどの写真がノートリミングでバシバシとページに嵌っていく。その時にふと思ったのが、もしかしたら木村さんや中嶋さんが見ていた景色もこんなものなのかな…と思いながら理想に近づいた仕事でした」

つなぐこと、つながることで新しいアイデアが生み出されていく

ミィーくんをモチーフにしたグッズ

最後にトークは、お馴染みの事務所猫・ミィーくんの話へ。30歳で独立。ハードな仕事で精神的にも参っていたある日、窓から1匹のネコがひょいっと入ってきた。「当時私はイヌ派だったので、最初は谷口さんに『今日は帰ってもらって』なんて言っていたのを覚えています(笑)」。ところが次第に、事務所がネコにとってもお気に入りの場所になり、2人は“ミィーくん”と名前を付けて可愛がるように。同年、ビルの老朽化にともない事務所を南堀江より南へ移転することとなり、一緒に連れてきたことから事務所の正式なメンバーになった。以来、“事務所猫”ミィーくんをモチーフにしたグッズを年初のDMとして取引先に送付するのが恒例に。「最初はただの紙ベースだったんですが、『毎年楽しみにしています』なんて反響が来るので、肉声(?)入りのレコードやカセットテープ、事務所開設10周年にちなんだ軍手、腕にくるりと巻き付くリストバンドなど、次第にエスカレートしちゃって……」と谷口氏。その結果、クライアントからはパッケージデザインやオフィシャルグッズの作成、ブランディングなどの仕事も舞い込むようになる。「当初はまったく意図していませんでしたが、コミュニケーションツールとして非常に役に立ちました。ミィーくんと、その後新たに加わったウーちゃんは、実はここ数年で2匹とも亡くなりまして……。今は喪に服している状態ですが、彼らにはものすごく感謝をしています」と谷口氏は話す。

宮田氏の話を聞くにつれ、実感させられるのは“つながる”ことの大切さだ。デザイナーとして転職する際に作品づくりを協力してくれた多田氏に、アートディレクターとしての心構えを学ばせてくれた中嶋氏に、窓の外から幸せな“何か”をそっと運びこんでくれたミィーくんに。そして何より、時に熱くなりすぎる宮田氏のそばでブレずに支え続ける谷口氏に。周りに支えられ、周りを支えながら、その刺激や化学反応を元に新しいアイデアを日々生み出していく。「自分達のサッカー」ならぬ「宮田氏のワークスタイル」を言葉で表現するなら、“周りと繋がっていくこと”。おそらくこの一言に尽きると思う。

イベント概要

つくること、つなぐこと その先により魅力的な発想へと
クリエイティブサロン Vol.47 宮田聡氏

  • デザイン業界に入ったキッカケ
    写植の手動機オペレーター時代に経験したプロ意識。
  • 広告制作会社から個人デザイン事務所へ入ったことによりデザイナーとして本格的に経験し、見えてきたもの。
  • セラヴィを設立
    常に相手の立場となって接する信頼関係の大切さ。
  • 仕事とは別の作品づくりをすることで得たもの。

事務所の猫をモチーフにした
15年間におよぶグッズの数々を紹介。

開催日:2014年7月4日(金)

宮田聡氏(みやた さとし)

アートディレクター、グラフィックデザイナー

1963年大阪生まれ。高校卒業後、アルバイトで写植会社に。そして3ヵ月後、正社員になり勤めながら「写研」の写植学校へ行く。4年間在籍し写植会社退職後、広告制作会社へ。そして個人デザイン事務所を経験し、30歳でセラヴィを設立。独立後4年間、デザイン専門学校の講師を努める。事務所の窓から突然やってきた猫との出会いによってセラヴィグッズにつながる。
日本印刷産業連合会 主催 第55回 全国カタログ・ポスター展 会社案内部門賞 銀賞受賞。

宮田聡氏

公開:
取材・文:田中哲也氏(プレス・サリサリコーポレーション)

*掲載内容は、掲載時もしくは取材時の情報に基づいています。