「デザイナー兼メーカー」として、母・生活者・クリエイター視点で行うものづくり
クリエイティブサロン Vol.313 黒田弥生氏

今回の登壇者はプロダクトデザイナーの黒田弥生さん。同じくプロダクトデザイナーである父が代表を務める「有限会社アイ・シー・アイデザイン研究所」でデザイン、設計、ブランディングのみならず自社商品の開発も手がけ、プライベートでは2人の子どもを育てるワーキングマザーだ。デザイナーとしてがむしゃらに仕事に打ち込んだ20代、家庭を優先しながらキャリアを継続した30代、そして40歳を過ぎた頃からゆるやかに活動範囲を広げているという黒田さんの現在にいたるまでの歩みを振り返る。

黒田弥生氏

有名デザイナーの父と衝突。自力でデザインの道へ。

子どもの頃からつくることが好きだったという黒田さん。高校一年生のときに「デザイナーになりたい」と考えるようになるが、進学クラスだったため美術の授業がなく、画塾に通い神戸芸術工科大学に進学した。当時はまだまだアナログが主流だった時代。大学では工房での製作や手書きのプレゼン資料など手を動かすものづくりを一から学んだ。

黒田さんがデザインに興味を持ったのには、松下電器産業(現パナソニックホールディングス)から独立しプロダクトデザイナーとして活躍する父、飯田吉秋氏の影響があった。本来であれば周りが羨む恵まれた環境。しかし学生時代の黒田さんはそれを活かすことができなかった。「大学に入学した頃からめちゃくちゃ父と衝突するようになったんです。普段は仲がいいのですがデザインのことになると口論になる。課題を見せたらけちょんけちょんに言われるけど、当時は何をいわれているのかもわからなくて」。入学時に父から一眼レフカメラを渡され「阪急百貨店のショーウィンドウを4年間撮影すれば社会が見える」と言われたが、1枚も撮ることはなかった。就職活動は、阪神淡路大震災と時期を同じくし苦戦を強いられたが父に頼らず自力で内定を勝ち取った。「若気の至りですね」と黒田さんは振り返る。

メーカーからデザイン事務所へ。アイデアはすべてボツの日々。

キャリアのスタートは業務用食器やホテルグッズを手がけるメーカーの総合企画部。デザイン業務に加え、工場との打ち合わせ、試作発注、展示会、品番の付け方などメーカーとしての基礎を学び、それが今に活きているという。仕事にやりがいを感じながらも、入社して3年たった頃、次のステップを考え始めた。ちょうどその頃、父のデザイン事務所で経理や内部調整を担っていた母が体調を崩し、飯田氏の希望もありアイ・シー・アイデザイン研究所への入所を決意する。しかし、メーカーの経験しかない黒田さんはクライアントワーク中心のデザイン事務所で、これまで培ってきた力を発揮することが難しかった。また、大学時代にあれほど反発していた父の仕事を目の当たりにして、その思考プロセスやスピード感に圧倒された。アイデアを100個だしてもすべてボツ。父からは「大学で何を習ったんや」と叱責され、社内にある資料を片っ端から読む日々が続いた。「いつか父をギャフンと言わせてやる」。その思いだけが黒田さんを支えていた。

「アイ・シー・アイデザイン研究所」のウェブサイトのスクリーンショット
黒田さんが所属する「アイ・シー・アイデザイン研究所

感性を磨きつつ管理能力も向上。クリエイターとして成長できる環境。

プレゼンをしてはボツになる。そんな日々が2年ほど続いたある日、「このままデザインばかりやらせていたら潰れてしまう」と考えた飯田氏は黒田さんをCAD担当に任命した。ちょうど世の中がアナログからデジタルへ本格的に移行しはじめ、デザインのやり方も変化しつつあった時代。黒田さんは3DCADのソフト「SOLIDWORKS®」を使い始め、コンセプトメイクも担当するようになった。

今でこそ働き方が見直されているが20年以上前のデザイン業界ではめずらしく、同社では基本的に残業がなかった。仕事は9時から18時まで。限られた時間に集中し仕事をすすめることで「必然的に生産性が上がった」と黒田さんは言う。終業後はデザインに役立つ書籍や資料を渡され、そこから学んだことを言語化してアウトプットすることを求められた。また、街に出て仕事中にはできないことを体験することも推奨された。厳しいスケジュール管理とクリエイターとして感性を高めること、そして常にアンテナを張って市場を見ること。これらすべての経験が現在の黒田さんの血と肉になっている。

シリコーンキャップ「Kiss®シリーズ」

子どもの入院がきっかけで誕生した知育玩具ブランド「nocilis®」

デザイナーとして確かなキャリアを築いていった黒田さんは、クライアントワークのみならず自社商品の企画開発にも乗り出した。最初につくったのは偽札判別機。さまざまな障壁を乗り越えての開発だったが取引先の倒産により生産は中止になり、手元に残ったのはサンプルと初回製造分の100個のみ。メーカーとしての商品第一号は幻となってしまった。

一方、プライベートでは第一子を妊娠。公私共に多忙を極め、出産直前まで3DCADでの造形手法を解説した書籍「3DCADデザイン術」の原稿を書いていた。「陣痛と共に出版社に原稿を送って、出産後に校正が戻ってきました(笑)」

その後も自社商品の開発を続け、シリコーンキャップ「Kissシリーズ®」はキッズデザイン賞 最優秀賞、グッドデザイン賞 中小企業庁長官賞、iF Product DESIGN AWARDなどを受賞。さらに同素材の復元性に着目し、知育玩具「nocilis®」を開発。子どもが入院した際に、音や衛生面で制約のある病院内で遊べるおもちゃを考えた時、シリコーン素材につながったという。これらの製品は補助金を活用して開発をおこなった。書類の作成、提出など煩雑な一面もあるが、ここに大きな意味があると黒田さんは考えている。「なにかを生み出す時、チャレンジする時、いろんな思いがあっても時間が経つとどうしても薄れてしまう。なぜこれをやろうと思ったのか、どんな社会課題を解決したいと思ったのか、書類に残すことでまた思い出せるんです」

シリコーンの復元性と柔軟性から着想をえた知育玩具「nocilis®」

子どもの成長とともに活躍の場を広げていく

2012年には第二子を出産し、ますます多忙を極める黒田さんだったが、デザインの仕事はもちろん、書籍の出版や投資型クラウドファンドなど新しいことにもチャレンジした。子どもの手が少し離れたタイミングで緩やかに働き方を広げていったのがちょうど10年ほど前。講演活動や子どもに向けたワークショップの開催、おもちゃコンサルタントの資格取得や大学の非常勤講師、そしてコロナ禍ではインドのデザイン大学関係者向けに知財のオンライン講義を行った。私生活では今年、長女が大学に、長男は中学に入学。母として生活をすることで人々のくらしに寄り添ったデザインを実現している。「無理をせず、人と比べず、暮らしを丁寧にわたしらしくあゆむ」ことを大切にしながら、黒田さんはこれまで以上に活躍の幅を広げていく。

イベント風景

イベント概要

気がつけばデザイナー兼メーカー 成り行きからひろがるデザイン人生
クリエイティブサロン Vol.313 黒田弥生氏

子どものころから「作る」ことが好きで、父の影響もありデザインの道へ。若い頃は長女気質で「まじめ」でしたが、出産や子育てを経て「ケセラセラ」と成り行きも楽しめるように。キャリアの裏側は“失敗”の連続。体調を崩したことも、仕事のトラブルに巻き込まれたことも、子育てで綱渡りの日々もありました。それでも気づけば、デザイナーとしての活動に加えて、自社商品を生み出す“メーカー”としても歩んでいました。振り返れば、そのすべてが糧となり今につながっています。日々の経験を糧に等身大で歩んできた「デザイナー兼メーカー」の人生を、失敗談も交えて、ざっくばらんにお話しします。

開催日:

黒田弥生氏(くろだ やよい)

有限会社アイ・シー・アイデザイン研究所
プロダクトデザイナー / おもちゃコンサルタント

大阪府出身。神戸芸術工科大学プロダクトデザイン学科卒。メーカーを経て、有限会社アイ・シー・アイデザイン研究所へ。生活雑貨、医療機器、産業機器など幅広い分野で商品企画、デザイン、設計、ブランディングを手がける。2009年から自社商品開発を開始し、“デザイナー兼メーカー”として活動中。「想いをつたえる、想いがつたわるデザイン」をテーマに、生活者に寄り添ったものづくりを続けている。
日本インダストリアルデザイン協会(JIDA)正会員

https://www.ici-design.co.jp/

黒田弥生氏

公開:
取材・文:和谷尚美氏(N.Plus

*掲載内容は、掲載時もしくは取材時の情報に基づいています。