面白いと真面目が前進の力! アソビゴコロで社会を照らす
クリエイティブサロン Vol.305 塩見郁恵氏

ポップな色合いとかわいらしいキャラクターが印象的な株式会社ソワップの会社案内。ウェブ制作や企業の販促物を手がける同社のキーワードは「アソビゴコロ」である。クリエイティブディレクターの塩見郁恵さんはこれまで、「面白い」と「真面目」という二つの価値観を両輪に前進を続けてきた。305回目となるクリエイティブサロンでは、塩見さんのこれまでの足跡と今後の展望について伺った。

塩見郁恵氏

「ごっつええ感じ」に衝撃!笑いがクリエイティブの原点

1982年、大阪市城東区に生まれた塩見さんは、両親と姉、兄に囲まれた5人家族の末っ子として育った。お笑い番組と漫画が大好きで、親の影響から落語にも親しむ。外で駆け回るより、家でお絵描きをして過ごすことが多かったという。

小学2年で千葉県柏市へ転居。新しい環境で過ごす日々の中、中学2年の夏休みに人生の方向性を決めた出来事があった。テレビ番組「ごっつええ感じ」との出合いである。ダウンタウンを中心に繰り広げられるコントやロケは、感性豊かな思春期の少女に大きな影響を与えた。

「短い言葉で笑わせる瞬発力、番組作りの構成力、面白く見せる仕掛けづくり。そのどれもに衝撃を受けました。クリエイターって、アーティストや広告に影響を受けた人が多いと思いますが、私の場合は“お笑い”がクリエイティブの原点です」

圧倒的な面白さと確かな世界観。「笑っていると幸せになれる」という感覚が心に刻まれた瞬間でもあった。このインパクトは進路にも影響を及ぼした。

「高校1年のとき、父が大阪へ転勤することになったんです。単身赴任という話もありましたが、私はお笑いに夢中だったので迷わず笑いの本場・大阪に行くことを決めました」

大阪ではデザイン科のある工芸高校を希望したが叶わず、普通科に編入。将来の進学先は、美大しか考えていなかった。卒業後は嵯峨芸術大学短期大学部(現・嵯峨美術短期大学)に進学し、グラフィックデザインを専攻した。

進学は美大、笑いを形にしたオリジナル作品が注目集める

「高校と違って美術の授業ばっかりでパラダイス。毎日アホなことばっかりして爆笑して過ごしてました」と学生時代を振り返る。

在学中は京都デザインビエンナーレにクラス全員で参加。塩見さんはコピーライティングの授業経験を活かし、落語のストーリーをイラスト化し、短歌風の解説を添えた作品を出品した。「小さな賞ですが入選して、調子に乗りました」と笑う。

卒業制作も同じ路線で、お笑い芸人のイラストをかるた風に仕上げた作品を発表する。作品は高く評価され、展示風景はグラフィックデザイン学科の卒業アルバムの表紙を飾った。

自分が芸人になりたいわけではないが、面白いことが大好きでお笑いの世界に関わりたい。その思いを、得意なデザインとコピーライティングで形にできた喜びは大きかった。

京都が舞台の落語をイラスト化した作品「笑像画」

しかし、夢中で制作に没頭するうちに気がつけば卒業間近。就職活動をしそびれた塩見さんは仕事が決まらないまま卒業を迎える。

就職活動は苦戦するが、ほどなくして印刷会社への入社が決まる。化粧品や健康食品などのパッケージ製造を手がける企業である。塩見さんはパッケージデザイナーとして歩み始めた。

会社は家族経営で社員同士の距離も近く、健康食品ブームで業績は好調。先輩や同僚に恵まれ「土日より平日が楽しい」と思えるほど充実していた。

気がつけばデザイン部門のトップとなり、皆から頼られる存在に。一方で、次第に物足りなさも感じるようになったという。

「居心地は良かったんですが、ふと、このままでいいんやろかって思ったんです」

次なるステージをめざしたい。引き止められて迷いもしたが、思い切って退職。2008年、25歳だった。

ディレクターへ転向、苦戦するもヒット作が突破口に

当時はリーマンショック直後で転職活動はまたも難航するが、2009年に化粧品メーカーのインハウスデザイナーとして採用される。ところがわずか1カ月で社内体制が変わり、デザイナーは進行管理を担うディレクター職へと転換されることになった。

「デザイナーはクオリティを追求する『深く狭く』の世界ですが、ディレクターは『広く浅く』が求められ、納期が最優先で妥協も必要。これが私は決定的に苦手でした」 

業務では外部デザイナーへの指示出しが上手くいかず、自分の意図が伝わらないことに苛立ちを募らせることも。修正の指示で外部デザイナーから不満が出て、電話でけんかになることもあった。

ステージアップしたくて転職したはずが、「これまでの自分が死んでいくような感じ」だったという。この時期は精神的にも肉体的にも非常に苦しく、帯状疱疹を発症するほどだった。

しかしやがて転機が訪れる。売れ行き不振の化粧品を、漫画で表現する広告企画が立ち上がったのだ。塩見さんがディレクションを担当。この広告が大ヒットし、社内での評価は一変した。これが突破口になりその後もヒットを連発。大きな案件にも関われるようになった。

「面白い」が自分の武器だと再確認した塩見さんは、自身のアイデンティティを活かした広告制作にやりがいを見出す。マーケティングの面白さにも目覚め、プランナーとしての能力も買われるようになった。

面白さで人を動かす。遊び心と戦略で挑むソワップの未来

このころプライベートでは、Webディレクターとして活動する大渡慎也さんと結婚。だが平日は顔を合わせる暇もないほどの激務が続く。このままでは再び体調を崩しかねないと、退職を決意。2016年、屋号「Sowap(ソワップ)」を掲げて独立に踏み切った。

独立当初、働く仲間が欲しくて作ったというキャラクター

「開業1年目はなかなか良い縁に恵まれず苦しかったですね。残高が減る恐怖から『貧困や』が口癖で、『自営業は向いてないのでは』と迷うこともありました」

それでも得意分野である化粧品広告制作のWebサイトを立ち上げたり、交流会にも足を運んだりすることで、少しずつ縁を広げていった。大渡さんとは開業当初は別々に活動するも、やがて協力体制を確立。2021年には株式会社ソワップを設立し、本格的に二人三脚を始めた。

コロナ禍ではリアル営業ができず既存客の受注が減少し心細さを感じたという。

「オンライン業務が続く中、2022年にメビックのクリエイティブサロンに初めて参加。久しぶりのリアル交流や同業者とのコミュニケーションにすごく刺激を受けました」と目を輝かせる。

開業から年月を重ね、ロゴやコンセプトは変わっても、塩見さんの根底にある「見る人を楽しませたい」という信念は揺るがない。その思いは、自社サイトや名刺、販促ツールの細部にまで息づいている。堅い業種であっても、少しコミカルな表現で分かりやすく、面白さで人を動かすことができるのが彼女の真骨頂だ。

会話のきっかけになるようにと、セリフを空欄にした名刺

「単に面白いだけでは自己満足。購買行動や問い合わせにつながってこそ貢献できたと言えます。そのために、誰にどう届けるのかをクライアントと練り上げる“作戦会議”には時間を惜しみません」と力を込める。

「遊び」を支える「真面目」な精神。一見相反する価値観だが、車輪の両輪のように、どちらか一方だけでは前に進まない。広く思いを届けるには、その両方が不可欠だと塩見さんは考える。

今後はユーザーだけでなくクライアント自身も楽しめるサービスや、他クリエイターとのコラボ企画にも挑むつもりという。

「バカバカしい企画も真剣に考え、社会を明るくする仕事を続けたい。何を作るかではなく、“何かやってほしい”と頼られる存在になりたい」―塩見さんの挑戦はこれからも続いていく。

イベント風景

イベント概要

良い時も悪い時も、「おもしろい」を原動力にまじめに働く。
クリエイティブサロン Vol.305 塩見郁恵氏

取り柄といえば絵を描くことぐらいで、ボーッと生きていた子ども時代。お笑いやマンガなどおもしろいものが大好きでしたが、内弁慶でなるべく目立たないことをモットーに過ごしていました。そんな私が、働き出して自分が社会の役に立てる喜びを知り、まじめに仕事に取り組み続けたおかげでなんとかこの業界で20年以上やってこられました。その中で自信をつけては挫折してを繰り返してきましたが、振り返ればいつも「おもしろい」と思うことが原動力となっていました。そんなこれまでの経験と、今後の展望についてもお話ししたいと思います。

開催日:

塩見郁恵氏(しおみ いくえ)

株式会社ソワップ
クリエイティブディレクター

大阪市出身、京都嵯峨芸術大学(短期学部)グラフィックデザイン学科卒。卒業後、会社員として印刷会社、化粧品メーカーと計13年ほどの制作業務経験を経て、2016年に独立・開業。しばらく個人事業として活動した後、2021年にWebディレクターである夫とともに茨木市で法人設立。現在はWebや印刷物を中心に制作物の企画から運用までをおこない、「遊び心」をテーマに見る人が楽しい気持ちになるコンテンツ制作を心がけて活動している。デザイン業務のほか、企画・構成・コピーライティングなどを得意とする。

https://sowap.co.jp/

塩見郁恵氏

公開:
取材・文:武内みどり氏(オフィス・プロインサイト

*掲載内容は、掲載時もしくは取材時の情報に基づいています。