多彩な分野で活躍する原動力は、人との「つながり」
クリエイティブサロン Vol.303 前川岳久氏

303回目となるクリエイティブサロンのゲストは、偶然にも「3には縁があって、サッカー部でも背番号3でした」と笑顔を見せる前川岳久さん。現在、グラフィックデザイナーだけでなく、古着屋オーナー、うどん店店員など、多彩な顔を持つ前川さんは、そこに至るまでの経緯も複雑だ。数々の挫折や出会いを重ねながら歩んできた、前川さんのクリエイティブ遍歴をたどる。

前川岳久氏

人生は順調に進んでいくと思っていた、サッカー漬けの中学・高校時代

生まれは京都市西京区・桂。実家は祖父の代から続く薬局で、父親は薬剤師と鍼灸師の資格を持ち、今も現役で薬局を経営しているという。3人兄妹の長男である前川さんは「ほんまは継がんとあかんかった」が、後を継いだのは弟(薬剤師)と妹(鍼灸師)だった。

「実は、親戚にもひとり薬剤師がいる薬学家系なんです。一方で、デザイナーの親戚もいて、僕はそっちの系統でした」

確かに、粘土遊びやお絵描きが大好きで、『キン肉マン』の絵をずっと描いていたという少年時代のエピソードからは、クリエイティブ系の素地が垣間見える。とはいえ、当時は活発に遊ぶことも大好きで、「一日中、友だちと公園で走り回っていました」と振り返る。

「勉強は大嫌いで、スポーツは習い事のおかげもあって大好きに。小学4年生でサッカー部に入ってからは中学・高校までずっとサッカー漬けでした。先のことは何も考えておらず、このままスムーズに人生は進んでいくものだと思っていました」

しかし、そんな前川さんの毎日を大きく変える出来事が起こる。現役、浪人と、2度の大学受験失敗だ。順調に進むはずだった人生が、本人曰く「暗黒時代」へ突入していくこととなる。

2度の受験失敗後、2つの専門学校へ進学

一浪後、前川さんが進学を希望したのはスポーツ医療の専門学校だった。しかし、父親の強い意向を受け、渋々、福祉の学校へ進むことに。元々通う気のなかった学校だ。授業中は絵を描いて過ごし、先生と揉めることも多かったという。

といっても、意味なくケンカをしていたわけではない。むしろ、筋違いなことで叱る先生に「それはおかしい」とはっきり意見をぶつけていたに過ぎなかった。実際、そうした前川さんの姿勢を「こんな生徒初めてだ」と評価する声も学内にあったという。また、研修先の施設でも理不尽な現状を率直に訴えたところ、理事長から「色々感じたことを教えてほしい」と請われ、研修後には「ぜひ、うちに来てほしい」と誘われた。

「でも、福祉の道へ進む気はなかったので、丁重にお断りしました。それなのに、卒業間近になってもやりたいことが見つからず、ほんまに焦りました。『今死んでも誰も何も思わんのやろな』と、毎日考えるほど追い込まれていましたね」

そんな前川さんを救ったのは、偶然見かけた3DCGの専門学校の「あなたも1年でプロに!」という募集コピーだった。すぐにその学校へ入学した前川さん。初めてグラフィックデザインにふれる日々は、純粋に「楽しかった」と語る。1年間、真剣に3DCGのスキルを磨いた結果、本当に3DCGのキャラクター造形はもちろん、3分程度のアニメーションもつくれるまでになった。

「それでも就職は決まりませんでした。当時は、ゲームや動画に使われる画像がCGに切り替わる前で、仕事自体がそこまでなかったんです」

さらに、当時交際していた彼女からも「就職が決まらんかったら別れる」と告げられた前川さんは「もうなんでもええわ」と、Tシャツの製造・販売を手がける会社に入社する。ところが、デザイナー職で応募したにもかかわらず、配属先はなぜか営業部に。ここから前川さんの多事多難な会社員人生が始まる。

専門学校時代に前川さんが手がけた3DCG作品

偶然知ったイラストスクールで「デザイナーになる」と決意

営業アシスタントとして働き始めた前川さんだが、右も左も分からないまま、自社ブランド商品を売り込む毎日が続いた。本人も「何の仕事をしてるのか実感がなかった」と、当時を述懐する。

結局、この会社は直属の上司との軋轢で退社。提携工場だった、シルクスクリーンプリントの工場に職人として転職し、Tシャツプリント用インクの調色やプリント機のオペレートなどに携わった。

「特にインクの調色は繊細な作業で、ごくわずかな配合ミスでも大きく色がブレるんです。それを目分量で行っていたので、マスターするのに2〜3年かかりました。難しいけれどやりがいはありました」

そうは言いながらも、実はモヤモヤした思いも抱えていた。入社初日にボーナスカットの通達があったり、周りのパート職員の仕事へのモチベーションの低さなどが原因だった。

「そうした職場で、Tシャツのホコリ取りなんかを延々と続けていると『人生、詰んだかも』って思えてくるんです。その時、インターナショナルアカデミーという社会人向けのイラストスクールを知ったんです」

そのスクールで前川さんは、創設者であり「OSAMU GOODS」で知られる人気イラストレーター・原田治氏と出会った。

「ほかにも秋元康さん、リリー・フランキーさんなど、第一線で活躍するクリエイターが週替わりで作品を講評してくださいました」

このスクールを1年間休まず受講した前川さんは、最後の授業でひとりの先生から「シルクスクリーンのプリントスキルがあって、イラストの勉強も1年続けたのだから、もう立派なデザイナーだよ」と言われた。その言葉を受け、前川さんは「デザイナーになろう」と決意する。

現在、古着屋「ALL IN ONE Clothing」や各イベントで販売している、前川さんデザインのオリジナルTシャツ

親友の早すぎる死が、人生を真剣に考え直す契機に

Tシャツプリントの工場を退社した前川さんは、その後、アパレルメーカー、ジーンズメーカー、さらには、ショールームや展示会などの空間デザインを手がける会社でデザイナーとしての経験を積んでいった。

空間デザインの会社時代には、同じビルに古着屋がオープンし、毎日のように通ううちにオーナーから「古着屋やってみません?」と声をかけられた。古着屋「ALL IN ONE Clothing」を始めるきっかけとなる、貴重な出会いだった。

この頃は、デザイナーとしてキャリアを重ねつつ、バーに通い始めて知り合いが増えたり、古着をきっかけとした新たな人脈もできたりするなど、持ち前の行動力とコミュニケーション力を活かして順調に歩みを進めていた時期といえる。

しかし、実はこの間、ひとつの不幸が前川さんを襲っていた。専門学校時代の友人の早すぎる死である。

「最期を看取り、葬儀の手配などもさせてもらったんですが、ものすごい数の方が参列されたんです。今自分が死んだら、これだけの方が来てくれるだろうか。それだけ感謝される仕事ができているのか。自分の生き方を見つめ直しましたね」

それまで「行き当たりばったりで生きてきた」ことを痛感した前川さんは、仕事や自分自身と真剣に向き合った結果、「独立してひとりでやっていこう」と考えるようになる。そして、2022年に、空間デザインの会社を退社した。

前川さんデザインによる、うどん店ののぼり、オリジナルTシャツ、携帯うちわ

もっともっと仲間を増やし、新しいチャレンジを始めたい

はれてフリーランスとなった前川さんは、やはりアクティブだ。商工会のイベントで出会った人からメビックを紹介された際には、「正式には独立も古着屋も始めていなかった」ものの、すぐにメビックの交流会やイベントに足を運ぶようになった。

その後、正式に開業し、同時に自宅の2階で古着屋をオープン。グラフィックデザイナーとして依頼を受けつつ、古着は主にワークショップ系イベントに出展する際に、一緒に販売するスタイルを続けている。このワークショップも、今後さらに注力していきたい考えだ。

そして現在は、メビックで知り合った人の紹介で、大阪天満宮横のうどん店にも勤務。併設の屋台で駄菓子やかき氷のほか、前川さんがデザインしたうどん店のグッズなどを販売している。

「うどん店では、最近はもうすっかり屋台の名物店長となっています(笑)常連の方々が差し入れの果物を持ってきてくれたり、熱中症を気遣って飲み物をくださったり。デザイン業務ではできない人との関わり方ができていて、すごく新鮮です」

「気がつけばどこにでも現れるやつ」と自ら評する前川さん。その行動力を活かして、今後は、サポート役ではなく「自分を中心とした取り組み」に挑戦したいと抱負を語る。そのためにも今以上に仲間を増やし、もっともっとつながりをつくっていきたいと、未来を見据えて最後を締めくくった。

「自分の本当にやりたいと思えるプロジェクトを、ひとりでも多くの方と一緒に実行できればいいなと思っています」

イベント風景

イベント概要

好きなことを追い続けることで起きた変化と、選択の連続が導いた独立への道
クリエイティブサロン Vol.303 前川岳久氏

こどもの頃から絵を描くことや粘土遊びは好きでしたが、水泳やサッカーなど体を動かすことも大好きなバリバリの体育会系で、まさか自分が将来グラフィックデザイナーになるなんて想像もしていませんでした。大学受験失敗など挫折を味わいながら飛び出した社会で出会い、影響を受けたたくさんの先輩たち。繰り返し迫られる人生の選択。工場での下積み時代やアパレルメーカーでのちょっと華やかな経験、そんな会社員時代を経て辿り着いた独立という道。人生を変えた転機と独立に至るまでの経緯、起業して3年目を迎えた現在までを振り返り、そしてこれからのお話もしたいと思います。

開催日:

前川岳久氏(まえがわ たかひさ)

ALL IN ONE
グラフィックデザイナー

1979年生まれ、京都府出身。長くアパレル関係の工場やメーカーに勤務、その後空間デザインの設計・企画を請け負うデザイン事務所に入社し、デザイン業務やUVプリンターを使用しての印刷を行う。独立後の現在は大阪府枚方市の自宅兼事務所でグラフィックデザインの仕事をしながら自宅の一室を古着部屋に改装し、古着の仕入れ販売を行う。昨年11月より大阪天満宮の「うどん双樹」に籍を置きデザイナー仲間と共に活動している。

https://www.instagram.com/gaku_0421/

前川岳久氏

公開:
取材・文:シガマサヒコ氏(eパンフLab

*掲載内容は、掲載時もしくは取材時の情報に基づいています。