“ことば”に宿るちからを信じて。「わたしのマチオモイ、その後」
クリエイティブサロン Vol.301 村上美香氏

村上美香さんと聞けば、「マチオモイ」を思い浮かべる人は少なくないはずだ。ただ、今回のサロンでは「その話は、ほとんどしません」と村上さん。2000年に仲間とともに立ち上げた株式会社一八八は25周年を迎え、クリエイターが自分にとって大切な町への思いを冊子や映像で表現する「わたしのマチオモイ帖」の活動も、気がつけばもうすぐ15年となる。自身の“根っこ”を強く、太くしてくれたマチオモイ。だからこそ今、その後の話を語りたいという。会場は満席。参加者は時を忘れて、村上さんの語りに耳を傾けた。

村上美香氏

「今日、だれかがちょっと楽になる」ことばを届けたい

出身は瀬戸内海に浮かぶ因島の北部、広島県尾道市因島重井町。「瀬戸内の海を産湯に、波を子守唄に育った」と語る村上さんは、進学で故郷を離れ、大阪でコピーライターとしての一歩を踏み出した。

「当時は、サブカルチャー的な世界観や都会への憧れもあって、背伸びをしてカッコイイことばを書こうとしていました。そんな中で時々、島の風景を織り込んだり、両親から受け取ったことばを元につくった詩を入れ込むことがあったんです。すると意外なことに、そっちの方が『美香らしくていい』って言ってくれるクリエイター仲間がいて。こういう素朴な表現もありなのかな、と思うようになってきたんです」

そんな言葉をかけられるうちに、生まれ育った島の風景や家族、育ててくれた島の人たちのかけがえのなさに気づき始めたという村上さん。あふれる島への想いを言葉に乗せ、小さな手帖として綴じたのが『しげい帖』。2011年から続く「わたしのマチオモイ帖」活動の原点だ。

実家の裏の海。満潮になると血が騒ぐ。

今、村上さんは、あらためて自身の活動をこのように語る。

「“ことばであなたを楽にする”っていうのが、最近の自分の活動にしっくりくる理念なんです。だれかの心が、今日ちょっと楽になれば。そんな温度感でことばを届けていけたらと思っていて。やっぱりマチオモイの活動がその土台となっています」

そう語る村上さんが、メビックの活動に協力したことで記憶に新しいのが、2017年のコラボレーション事例集『逢いにいかなくちゃ。』。堂野所長の活動を目の当たりにする中で、ふと生まれた言葉だという。

「この頃から私は、ことばのつくり方が変わってきたように思います。表現をこねくり回したものではなく、日常で使っているなにげないことばを適材適所にぽんっと置くというのでしょうか。その方がすっと受け入れてもらえる気がして」

実際に「逢いにいかなくちゃ。」という言葉は、その後、メビックに集う人たちの合い言葉となって、今でも親しまれている。

コラボレーション事例集『逢いにいかなくちゃ。』表紙と、Tシャツ
「逢いにいかなくちゃ。」は堂野所長の人生そのもの!と村上さん。その後、ランニングチームのユニフォームの背中にもデザインされる。

役割は「名づけと、ものがたりづくり」

マチオモイの活動が、仕事に伴走するようになってから、「仕事と人生が縫い合わさってきた」ように感じるという村上さん。

「私の役割を一言で表すと、“名づけと、ものがたりづくり”。最近、新しい犬を家族に迎えたのですが、名前のなかった仔犬を名づける時に、その子と世界の間に橋をかけてあげるというか、その子の存在が輪郭を持って世界に現れていくというか、そんな感覚になったんです。名づけってとても美しくて、そして尊いことだなあと」

そんな村上さんが、名づけとものがたりづくりを担当した事例の一つが、故郷の尾道市にある「尾道のおばあちゃんとわたくしホテル」。介護施設に併設されたこのホテルは、高齢の方や車椅子の方も安心して旅を楽しめるよう、細部まで“やさしさ”にこだわっている。当初、設計チームが考えていたテーマは「明日に続く、スモール・ラグジュアリー」だったという。

「 “ラグジュアリー”をどう解釈するか。話し合いを重ねるにつれ、ここでゆっくりと時間を過ごすおじいちゃんやおばあちゃんたちの日々こそが、ラグジュアリーだと気がつくんです。当時、愛犬が病気になり、散歩の速度が落ちたことも肌感覚としてありました。ゆっくりになった分、見えていなかった景色が広がった。尾道を旅する方にも、おじいちゃんやおばあちゃんたちと触れ合うことでいつもと違う時間の流れを感じてほしくて。“0.25倍速のスロー・ラグジュアリー”というコピーに変化していきました」

「ネーミングは、小説の一節のような長いものを漠然とイメージ。母を含む“尾道のおばあちゃん”と、旅する“わたくし”が出会う舞台になるようにと想いを込めました」。館内にも、言葉のしかけが、散りばめられている。3つの客室は「されど、わたくし」「もしも、わたくし」など、小説の書き出しのような名前がつき、室内の窓ガラスにあしらわれた詩は、朝日を受けてカーテンにふわりと浮かびあがる。庭には、散歩をするデイサービスの利用者と介護士の会話が弾むような「問いかけのことば」が佇み、共有空間のデスクの引き出しには、短冊状のことばの処方箋」が、誰かの手に取られるのを待っている。

宿泊者たちは、ゆったりと流れる時間の中で「ことば」の数々と出逢い、それぞれの「わたくし」の物語と重ね合わせていく。

「この仕事をする中で、気づいたことがあったんです。それは“ことばには、ケアのちからがある”ということ。背伸びをしたカッコイイことばよりも、人の心をケアできるようなことばを届ける人になりたいって思えた仕事でした」

リビングに置かれたアンティークのデスクで、旅人は「自身」の「ことば」を探す。

「スープ」をキーワードに、多世代が知恵を寄せ合ってつくるまち

村上さんが「今日、ぜひ聞いてほしかった」というもう一つの事例が、2025年春にオープンした愛知県豊田市の複合福祉施設SOUP TOWN(スープタウン)の「ことば」づくり。市内の介護事業者が中心となって、高齢者、障がい者、子どものための介護・福祉の拠点をつくるというプロジェクトだ。村上さんは、構想段階からチームに加わった。

「介護や福祉の未来を感じるような施設にしたいという話でした。だからこそ、専門家だけでなく、まちの多様な人が集まり、知恵を寄せ合うワークショップが必要で、そのタイトルを考えてほしいという依頼から始まったんです」

案を考えていくなかで、ふと感じたのが「なんか、おいしさが足りない!」ということ。「フランス料理のようなかわいいことばがいいな、みんなが寄って来たくなることばってないかな……」と考える中で、直観的に浮かんだのが「スープ」という言葉だった。スープなら誰もが知っている。同時に故郷の母の言葉を思い出したという。

「将来、お嫁に行っても温かいおかずを届けられる距離に暮らしてほしいって、島の母がよく言っていたんです。“スープ”ということばで世界観をつくれないかな……スープのさめない距離で暮らそう、という考えが豊田の里山で実現したらいいな」

そこから多様な人たちが支え合って暮らすまち「スープタウン構想」が誕生。ワークショップ名は、「ぐつぐつとアイデアを煮込む」というコンセプトで、「スープ会議」となった。「スープな時間」「Let’s Soup!」「S.O.U.Pゲーム」……。ワークショップの中で、「スープ」という言葉が、あるときは動詞のように、あるときは形容詞のように、またあるときは暗号のように七変化。参加者は互いに「スープな世界観」を共有していった。

スープタウンのエントランス。サインが取り付けられたときは感無量に!

コロナ禍の中、オンラインも交えながら約4年間にわたって、定期的に開催されたスープ会議は、介護・福祉分野で働く人たちとコミュニティデザイナーを中心に、役所や商工会の職員、会社員や自営業者、主婦や高校生など、多様な立場の人たちが参加したという。建物の完成後、サイン計画も担当した。館内のあちこちでは、スープをテーマにした言葉に出会える仕掛けがなされている。どの言葉も、ありのままのその人を包み込むような、からだが内側から整うような、やさしくて芯のある「スープなことば」たちだ。

「施設には、子どもからお年寄りまで、健やかな人も、ちょっとしんどい状況にいる人たちも来られます。そんな場所で、ことばによってちょっと癒やされたり、ふと若い頃を思い出したり、くすっと笑ったりできたら幸せだろうなとの想いで、ことばを置いていきました」

これからも“運”とともに生きていく

その他、サロン内で紹介された「名づけと、ものがたりづくり」の事例にはどれも、どことなくマチオモイを感じさせる、手ざわりと温度感のある言葉が並ぶ。

サロンも終盤を迎える頃、「最後に私自身の名づけの話をしようと思って」と村上さん。

「最近、故郷のお父ちゃんから面白い話を聞いてね。私が生まれた時、名前を“みかん”にしようと思ったんだそうです。でもやっぱり “ん=運”は、娘のお腹の中にしまっておくことにして “みか”にしたと。だから私のお腹の中には、両親からもらった“運”があるんですよ」

「これからも、運とともに生きていく」と、軽やかな笑顔を見せる村上さん。きっとその運を、愛する周囲の人たち、生きとし生けるものたちに、惜しみなく分け与えながら、歩んでいくのだろう。島のお父ちゃんとお母ちゃんみたいに大らかで、スープみたいに健やかな、村上さんらしい“ことば”を、いっぱい、いっぱい紡ぎ出しながら。

イベント風景

イベント概要

島で暮らす父や母からもらった“ことば”を、きょう泣いているだれかに届けなおす詩ゴト。
クリエイティブサロン Vol.301 村上美香氏

小さいころは読書感想文キラーでした。菓子パンをギャラに友だちの宿題をやってあげて学級新聞に掲載されたこともあります。島から、大都会に出てからは方言を完全封鎖。秋本晶さんや児島令子さんのようなコピーライターに憧れて真似っこ。大阪ミナミのBARのちょっとエロい年賀状コピーを最初に書いたのもそのころです。時は流れて、柴犬を飼ったり、「わたしのマチオモイ帖」を企画したあたりから、ことばへの向き合い方が変わってきました。MEBICのコラボレーション事例集「逢いにいかなくちゃ」からは完全に変化したと言えます。つくるというより、ぷかぷか浮いてる感情や想いにそっと「名づけ」をするような感覚ですかね。で、ここ数年、シゴトと自分自身の人生感を縫い合わせるような、いい感じになった事例ができたので、今回はそんなお仕事の話をします。

開催日:

村上美香氏(むらかみ みか)

株式会社一八八
コピーライター

1967年9月23日、広島県尾道市因島に生まれる。瀬戸の海を産湯に、波を子守唄に育つ。現在は、大阪ミナミにて柴犬のいるデザイン会社を経営、クリエイティブディレクション、コピーライティングなどを行う。2011年より展覧会活動「わたしのマチオモイ帖」をプロデュース。「ことばでひとを楽にする」を軸に、故郷の両親からもらったことばの数々を、現代を生きる人たちの処方箋として届け直す。

https://188.jp/188_jp_2/

村上美香氏

公開:
取材・文:岩村彩氏(ランデザイン

*掲載内容は、掲載時もしくは取材時の情報に基づいています。