好きなものを見つけながら、新たなる道を切り拓いていく
クリエイティブサロン Vol.300 坂野愛子氏

2022年、30歳にして思い立ち、イラストレーターとしてスタートを切った坂野愛子氏。イラスト、アニメーション、ロゴデザイン、3Dモデリング、CADと幅広いスキルを発揮し、フリーランス歴3年でありながら日本国内はもとより、海外からのオファーも受け世界に向けて自らのクリエティブを発信中だ。そんなグローバルに活躍する坂野氏を、開催300回目という記念すべき節目にお招きした今回のクリエイティブサロン。自身の人生の歩みを、にぎやかな“すごろく”のように描いた楽しい年表を使って、過去から現在、そして新たな章を迎える未来について、赤裸々に語ってくれた。

坂野愛子氏

絵とスポーツが大好きな少女、アメリカ留学先でBIGに成長!

花屋に勤める両親のもと、8月7日(ハナの日)に生まれた坂野氏。海外留学のホームステイを受け入れるホストファミリーであった大阪平野区の自宅には、幼い頃からさまざまな国の外国人が暮らしていたという。6歳の時、京都伏見区へ。幼い頃から絵を描くことが大好きで、ソフトボールや陸上などスポーツ好き。また、理想の間取りを考えたりシルバニアファミリーやゲーム「シムシティ」にもハマり、小学校の卒業アルバムには、「将来の夢は建築家」と書いた。

中学生の時に上下関係の厳しさから部活動が嫌いになり、反抗期に突入。母親の勧めで、中学2年の夏休みに米国オレゴン州で1ヶ月間ホームステイをすることに。「英語はまったく話せずホームシックになって泣きました」と言いながらも、キャンプに行ったり川遊びをしたり、バーベキューを楽しんだりと、ホストファミリーとたくさんの思い出をつくった。

高校は英語科のある学校に進学し、反抗期はさらに激化。「アルバイトもピアスもヘアカラーも、母親からダメと言われたことを全部勝手にやっていた」という坂野氏だが、「友達には恵まれて、学校生活は楽しかった」と当時を振り返る。しかし、いざ進路を考える時にぶつかったのは、「自分には何もない」という悩み。友人たちが次々と進路を決めていく中、高校3年生の夏に活路を求めて約10ヶ月間の海外留学を決意する。

行き先はカナダとの国境沿近くにある米国ミネソタ州。ここで坂野氏は自身を大きく変える体験をしたという。「映画に出てくるようなキラキラした高校生活」とは程遠い田舎街の小さな学校。反りの合わないホームステイ仲間との喧嘩や、動物好きにはショッキングなハンティングの文化、冬になると気温マイナス20~30℃になる厳しい環境など、「最初の数ヶ月は本当に辛かった」と話す。しかし、「今まで自分は何も努力をしていない。ここでちょっと強くならなあかん!」と頑張って努力を開始。得意のスポーツを通じて心を開き、周囲と打ち解けていくなかで友達がたくさんでき、ようやく毎日が楽しくなっていく。

「なかでも、日本では学んでこなかった紛争や世界情勢の授業で、新しい興味も広がりましたね」

視野を広げ自分を強くしてくれたさまざまな体験とハイカロリーな食事のおかげで「身も心もビッグになって、日本に帰国しました」と笑う。

イラスト年表
1991年の誕生から2025年の現在まで、自らの人生を描いた「赤裸らら♪年表」。まるですごろくのような歩みの中には、たくさんの思い出と想いが詰まっている。

持ち前のガッツと行動力で、無我夢中で走り続けた会社員時代

帰国後は1年留年という形で高校を卒業。留学で興味の芽生えた国際情勢を学びたくて、関西学院大学の総合政策学部に入学する。

「よし勉強するぞ!と入ったものの、大学でしたことはサークル活動にバイト、飲み会、レゲエにハマってクラブ通い。バイト終わりの夜9時に大学のある兵庫県三田から梅田に出て、レゲエのイベントに参加して翌朝5時に三田に戻る……みたいな生活でした」

英語をはじめ幅広い分野を学ぶ中で、建築への興味が深まって都市政策学科を選択。就職活動ではなぜかメーカーの営業職に憧れてメーカーと建築系企業を中心に回り、最終的に店舗など商業空間の内装会社に入社を決めた。

図面を書けると思っていたが、配属先は大阪の同期の中でただ一人営業部だった。希望とは違っていたものの、そこはガッツと体力が漲っていた1年目。負けず嫌いな性格もあいまって「まずは1年頑張ってみよう」と、顧客の新規開拓に奮闘する。受付で門前払いされたら決裁権のある人間に直接アタックするなど、並々ならぬ度胸と行動力を発揮していった。

「だけど、毎日が楽しそうな同期に比べ、私は楽しいと思ったことがあんまりなくて。営業をやりながら悩んだり泣いたり……。1年半が経った頃、“異動できないなら辞めます”と半ば脅しの異動願を提出(笑)。その後、営業設計部に配属が決まり、ここから約3年間、ヘルメットを被り図面を持って現場を飛び回る業務に携わりました」

スーパーマーケットの内装工事を担当し、念願だった売り場デザインを手掛けることに。デザイン画を書いてクライアントに提案する中で、「自分が描いた絵を人に見てもらうのって楽しいな」と改めて実感したという。

全国の現場を飛び回り充実した日々を送りながらも、ある時「ぷつん」と何かが切れたという坂野氏。仕事に忙殺され限界に来ていた自分を感じて、退職を願い出る。その後、2020年1月1日付で不動産会社に転職したものの、新型コロナウイルスの拡大で4月に緊急事態宣言が発令。お家時間が増え働き方について考える中で、フリーランスという道に出会う。

「フリーランスのイラストレーターもたくさんいる。自分の絵でどうなるかわからないけど、とにかくやってみよう」と決心。自分への挑戦がスタートする。

メタバース作品
建築系の企業に勤めていた会社員時代、CADによる図面作成のスキルを習得。その後、独学で3Dモデリングを学び、新たなスキルを広げていった。

イラストレーターaicopanが、“自分のスタイル”を見つけるまで

2021年に退職し、まずは準備期間として情報収集から始めた坂野氏は、フリーランスの友人と意見交換しつつ約半年間は絵を書き溜めながら独学で3Dモデリングを勉強。2022年にイラストレーターaicopanとして開業した。

まずは生きていくために、新卒で入った会社から引き受けた図面作成の仕事で収入源を確保。肝心のイラストを描く時間がほとんど取れず、焦りばかりが募っていったという。

「絵のタッチが定まらなくて、何を描けばいいのか分からない。万人受けするのがいいのか、独自のスタイルを貫いた方がいいのか葛藤を抱えていて、ストレスでメニエール病を発症するほど。ストレスと、焦りと、不安と、嫉妬と……ネガティブな感情からのスタートでしたね」

そんな行き詰まりの道を拓いてくれたのが、雑誌『BRUTUS』『POPEYE』などのロゴデザインを手掛ける堀内誠一氏の存在だ。もともと堀内氏が描く絵本が好きで、ある展示会を訪れた時、『オペラ座の日本人たち』と題した作品と出会う。

「1枚の絵の中にごちゃごちゃとした世界感が詰め込まれていて、めっちゃ楽しい!」と夢中になり、「私もこんな絵が描きたい!」という湧き出る想いが今のスタイルをつくりあげていった。

それまで、人と比べて焦っていたが、ようやく自分らしくマイペースに歩めた坂野氏。世界中のクリエイターが自身の作品を公開するAdobeのSNS「Behance(ビハンス)」には、会社員時代から「ちまちまと書き溜めてきた」というイラストを多数投稿しており、それに目を留めた海外のクライアントから少しずつオファーが来るようになる。また、メビックのウェブサイトに情報を掲載したのを機に、京都の芸術専門学校から学生に3Dを教える非常勤講師の依頼があり、仕事としての経験はまだないものの「やってみないとわからない!」と思い切って挑戦。国内外で着実に実績を積み重ねていった。

イラスト作品
坂野氏曰く、「ごちゃごちゃした」イラストや「ウニョウニョした」アニメーションなど、ひとつの絵の中に楽しくてポップな独特の世界観が広がっている。

活躍の舞台は世界へ。オーストラリア移住で新たな章が幕を開ける

グリーンランドからの依頼のカフェのロゴや、カナダからの依頼のアニメーション、香港からの依頼のベビーグッズのイラストなど、海外クライアントとの仕事が増える一方、国内においてもメビックメンバーとの縁で3Dによるメタバース空間を立ち上げるなど、順調に創作を続けている現在。心にも余裕ができ、2024年はフランスやオランダ、スイス、オーストラリアなど、さまざまな国を旅行したという。

そんな旅の中で自分の好きなスタイルの絵とたくさん出会い、なかでもオーストラリアでは、大いにインスパイアを受けたと話す。

「スーパーマーケットに行っても、そこはデザインの宝庫。すごく刺激を受けて、描きたい!っていう衝動に駆られたんですね」

これまで独学で走り続けてきたが、本気でデザインを学ぶためにオーストラリアへの移住を決意。永住権を取れるまでイラストの仕事しながらデザインの学校に通い、さらなる自分の可能性を発掘し、成長をめざしていく考えだ。

海外移住を発表した時、会場は応援する温かな拍手に包まれ、「でも、日本が大好きなので、いつかはまた戻ってきます」と笑顔で応えてくれた。

たくさんの出来事と想いを描いた楽しい年表の終わりには、“To Be Continued……”の文字。活躍の舞台を日本から世界に変えて新たな道が描き出されていくであろう、坂野氏の人生の年表。これからどんなクリエイションを生み出していくのか、楽しみで仕方ない。

イベント風景

イベント概要

30歳で突然イラストレーターになった私の話
クリエイティブサロン Vol.300 坂野愛子氏

子どもの頃から絵を描くのは好きでしたが、自分がイラストレーターになるなんて考えたこともありませんでした。改めてこれまでを振り返ると、「やってみな分からん!」と思い立ち、その度に行動してきたことに気づきます。フリーランスになり、試行錯誤の3年。恥じらい、嫉妬、敗北感……さまざまな感情と向き合いながらも、楽しみながら走り続けてきました。そんな日々を経て、ようやくイラストレーターとして芽が出てきた!と感じる今。これからどんな未来が待っているのかワクワクしています。そんな私のこれまでの歩みとこれからについて、赤裸々にお話しします。

開催日:

坂野愛子氏(さかの あいこ)

aicopan
イラストレーター

1991年大阪生まれ、京都育ち。高校時代にアメリカへ留学、大学では都市政策や建築を学ぶ。卒業後、店舗内装会社に就職し、その後不動産業界へ転職するもコロナ禍で思うように働けず。2022年、小さな可能性を信じ、思い切ってイラストレーターに。建築関係の図面制作を手がけながら、国内外でイラストやアニメーションを制作。ちょっと変なうにょっとした絵を描くことが好き。

https://aicopan.myportfolio.com/

坂野愛子氏

公開:
取材・文:山下満子氏

*掲載内容は、掲載時もしくは取材時の情報に基づいています。