“エモーションデザイナー”の役割は、皆で楽しく創造すること
クリエイティブサロン Vol.295 北川雄一氏

今回の登壇者は、エモーションデザイナーの北川雄一さん。長年営業マンとして実績を重ねていたある日、突然デザイナーとして独立。現在、エモーションデザイナーという唯一無二の存在として活動している。登場の際には故郷の八尾市の魅力を発信する、自身も関わるYouTubeチャンネル『やおだいすきちゃんねる』の主題歌をギター弾き語りで披露。サービス精神旺盛な人柄がにじみ出る幕開けとなった北川さんの人生を紐解く今回のサロンは、多くの参加者で賑わい、これまでの人生を振り返りながら、エモーションデザイナーと名乗るようになるまでの軌跡、そして今後の展望を語った。

ギター弾き語りを披露する北川雄一氏

相手の懐に飛び込むことで関係を深めた営業マン時代

学生時代はデザインとは無縁で、いわゆる“陽キャ”な日々を過ごしてきたという北川さん。一方で、小学校時代の文集では「漫画を描くのがうまいNo.1」に選ばれたり、高校時代は陸上部で青春を謳歌する一方で、美術館巡りをしたり、自作の詩を綴ることも。そんな思い出から、創作意欲の片鱗を示していたことが伺える。

大学卒業後はカーディーラーに就職し、営業職に就いた。実は北川さんの父親も全国各地を飛び回る生粋の営業マン。息子が自分と同じ営業職に就いたことを喜び、期待を寄せた。その期待に応えるべく、北川さんは知恵を絞る。まず勤め先の近隣にある洗車場で、洗車中の人にスッと近づき洗車の手伝いをして距離を縮めた。「9割は引かれるけれど、1割くらいは声をかけてくれるんです」。地道な営業活動を続けていくうちに相手の懐に入り、顧客が増加。とくに親世代は北川さんを気にかけてくれる人が多く、なかには「うちでごはん食べていくか」と誘われるほど距離が近くなった相手も。そのうち車を購入してくれたり、車の購入を検討している人を紹介してくれたりと、顧客と親交を深める中で仕事が回り出す。「僕の社会人の営業のスタートは“ごはんによってつながる営業”です」と愛嬌たっぷりに語る。

「悩むくらいならやれ」……父から教わった数々の教え

カーディーラー以外にも出版社や通信機器販売会社など、数々の勤め先で営業スキルを磨いた北川さん。根底にあったのは、父親からの教えだった。「営業マンとしてやるなら、絶対に後悔する生き方はするな」「悩むくらいならやれ」「靴だけは磨け」。多忙な営業マンだった父親とはほとんど会話を交わすことはなかったが、夜に息子の靴をこっそり磨いてくれていたそうだ。それを知ったのは30歳のとき、父親が逝去した後のこと。この出来事が、大きな転機となった。

「結局、親父のことはわからずじまい。親父の死をきっかけに、これからはもっと相手のことを好きになって、中身を知っていくべきや。もっと話を聞こう、と思うようになりました。そこからが、本当の営業になっていった気がします」

相手に寄り添い、耳を傾けてニーズに合わせた提案をする。そんなスタンスで営業に勤しんでいたある日、取引先のホームページ制作の案件が舞い込んだ。「単価も安くて、『これではいいものができない』となったとき、自分で勉強してみようと思ったんです」。デザインの知識はゼロだったが、そのとき初めてPhotoshopに触れる。「YouTubeやAdobeのチュートリアルを見て独学で練習してサイトを作ってみたんです」。その頃から自分で営業に出向いて提案し、ホームページのレイアウトを自分で制作するようになった。「お客さんが本当に望んでいるものを提案して作らないとあかんという思い」だったという。やりだすと、とことんまでやりたい性分。「つくり出したら没頭し出して、営業より、『もっとホームページを作りたい』と思うようになりました」

「モノづくりがしたい」と営業からクリエイターへ転身

ホームページ制作がきっかけでクリエイターとして独立することを志すように。「相手のことをもっと知りたい」という思いが最高潮に達している頃、自分の故郷である八尾市を盛り上げるYouTubeチャンネル『やおだいすきちゃんねる』に携わることに。それがきっかけで、某大手流通企業から動画作成の依頼が舞い込んだ。「その頃から、『クリエイティブなことがしたい』という欲求が強くなりました」。『やおだいすきちゃんねる』に関わる仲間たちも「独立するなら手伝う」と背中を押してくれ、ついに満を持して独立を決意。

独立を決めたとき、「ネガティブは無駄」「相手の話をしっかり聞いて、しっかりと好きになる」「何でもやってみる」……数々の精神論を紙に書き出して気を引き締めたが、その言葉のほとんどが亡き父からの教えだった。

その言葉を胸に、独立後は知り合いから紹介してもらった取引先のホームページ制作やグラフィックデザインの案件などに勤しむ。営業マン時代からのモットー「何でもすぐやる」「悩まない」「断らない」のスタンスで活動の幅を広げていくが、次第に営業・制作の両立の難しさに追い込まれることも。そんな時期に北川さんを救ったのが、数々の出会い。以前取引があった社長がまた別の社長を紹介してくれ……と数珠つなぎ式にいろんな人や出来事に出会い、偶然にもメビックに辿り着く。「ずっとひとりでつくり続けてきていたんですが、経験が少なくどうしたらいいかわからないことも多かったです。でもメビックに来たら、ベテランのすごい人だらけ。僕なんてまだクリエイターになって1年ちょっとでしたし、多くの刺激を受けて、『こんなところがあったんや!』と。メビックとは本当に重要な出会いとなりました」

感情をデザインする、唯一無二のエモーションデザイナー

経験のあるクリエイターたちと交流を深めて刺激を受けていくうち、北川さんは自分の立ち位置や価値を考えるようになった。そんなとき、大阪・上本町にあるアートギャラリー「Gallery-01」と出会う。そこでは、今までやってこなかったオリジナルの作品で展示会に出展したり、八尾の名産・八尾若ごぼうを使った料理対決イベントを開催したりと積極的に発信。「ここに自分のヒントがあるかもしれない」。自分が志すべきなのは、クリエイティブの中で皆と一緒に喜び、楽しみたいという“感情”ではないかと思い至る。そして、『この街のクリエイター博覧会2024』で出展する際に、初めて肩書きを「エモーションデザイナー」とした。

「自分のルーツは営業で、皆と一緒に笑い、一緒に何かをやっていこうと口に出して言っていくことで、皆を巻き込んで、カタチにしていくのが僕の役目かもしれない』。それが、僕が導き出した答えでした」

エモーションデザイナーと名乗るようになってから、自分に対する相手の向き合い方も変わってきたように感じる、と話す。「“エモーションデザイナー”なんだから、何かやってくれるんだろう、と期待され、追い込まれる。でもそれが大好きなんです(笑)」。現在は新たなオファーが続々と増え、動画制作やラジオ出演など、これまでにないプロジェクトが続々と進行中。「エモーションデザイナーという肩書きは他に誰もいないから、誰にも負けないんです。もちろんこれまでやってきたことは続けていきますし、それに加えて人が喜ぶことや人を巻き込んでいけることを今後も続けていくためにも、エモーションデザイナーとしての立ち位置を確立しようとしていこうと考えています」

イベント風景

イベント概要

エモーションデザイナーとして⽣きるということ
クリエイティブサロン Vol.295 北川雄一氏

全くの異業種からデザイナーとして独立し、紆余曲折を経て「エモーションデザイナー」として活動するようになりました。学生時代はデザインの勉強をしたことがなく、長年営業として⽣きてきましたが、ある⽇突然、デザイナーとして独立。独学で学び実践を積むうちに、いろいろなことができるようになりました。ところが、営業でモノを売るのが得意だったので「両⽅できるし簡単だ!」と思っていたのが大間違い! 営業と制作の両立に翻弄されながらも「とにかくどんなことでも全力でやってみる!」「とりあえず参加してみる!」の精神でやってきました。これまでの自分の人生を振り返りながら、「エモーションデザイナー」と名乗るようになるまで、そしてこれからについて語りたいと思います。

開催日:

北川雄一氏(きたがわ ゆういち)

Aquamarine Style株式会社 代表取締役
エモーションデザイナー

大阪府⼋尾市出身。大学卒業後、営業会社に就職し、数社での経験を経て、デザイナーとして独立するためにAquamarineStyle株式会社を設立。当初はWebデザイナーとしてスタートし、実践を積みながらグラフィックデザインや動画制作など受注の幅を広げる。なんでも屋ではなく唯一無二の強みを作るために「エモーションデザイナー」と名乗り始める。また、仕事の傍ら地元の魅力を発信するYouTubeの運営やイベント等の企画も手がけている。ニックネームは「ゆうまん」。

https://aqmr-s.com/

北川雄⼀氏

公開:
取材・文:中野純子氏

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