楽しいやん! おもろいやん! 素直な想いが自らを動かす力
クリエイティブサロン Vol.290 高畠泰志氏

広告写真を撮るコマーシャルフォトグラファーであり、有限会社スタジオツービーの代表として数多くのクライアントの意向に応える傍ら、写真作家として自らの心が動くまま“観る人がHappyな気持ちになるような作品”を撮り続ける高畠泰志氏。幼い頃、父から買い与えられた一台のカメラから始まった今日に至る道のりとその中での数々の出逢い、そして、写真を撮って生きるという自身の生き様について語ってくれた。

高畠泰志氏

父がくれた一台のカメラ、それが“カメラマン高畠”という夢の始まりだった

第二次ベビーブームの最後の年、カルビーポテトチップスうすしお味やきのこの山が登場し、山陽新幹線が開業した1975年、大阪市住吉区に生まれた高畠氏。「家にいっぱいある」という幼い頃の写真は、祖父・清三郎氏が撮ったものだ。ライカ倶楽部の会員であり、家を改造して写真現像のための暗室をつくるほどの写真好きで、孫の写真や風景、風物を撮ってはあちこちのコンテストに応募したり、写真展を開いていたという。

そんな祖父が師と仰いだのが、奈良に生まれ生涯をかけて奈良を撮り続けた写真家・入江泰吉氏だ。昭和を代表する写真家の一人であり、その友人には志賀直哉や白州正子、司馬遼太郎など錚々たるメンバーが名を連ねる。祖父に続き父・節二氏も弟子入りし、その後、高畠氏自身も孫弟子になり「親子三代にわたって入江先生にお世話になった」と話す。現在も、門下生たちが立ち上げた写真グループ「水門会」の一員として、写真展などの活動を続けてている。

祖父と父の影響で、いつも写真が身近にある環境で育っていった高畠氏。自分自身にとっての初めてのカメラは、小学1年生の時の誕生日に父から買ってもらったCanon A-1だった。

「当時の価格で10万円以上。これを首からぶら下げて思いつくまま写真を撮りましたね。夏休みの自由研究では植物園にしょっちゅう出かけていって、写真を撮りながら学芸員さんにいろいろ質問して植物の勉強をさせてもらいました」

花の終わったバラや紫陽花でも、撮るのが楽しくて仕方なかったと当時を振り返る高畠氏。それら膨大な写真を大きな紙に貼り付けて勉強した内容をめいっぱい書き込んで発表したのが、人生で初めての個展となった。そして、小学校の卒業記念文集の「将来の夢」には、一番目立つ大きな字で“カメラマン高畠”と書いた。

写真家・入江泰吉氏に師事していた祖父が撮った幼い頃の高畠氏。初めて手にした自身のカメラは、当時10万円以上もしたCanon A-1だった。

夢中で動いた撮影アシスタントから、気づけば広告写真の世界にハマる

中学生になると写真の他にも美術の授業に楽しさを覚え、高校では美術部に入部。作品づくりよりも毎年夏に行く合宿旅行に夢中で、とにかく楽しい学生時代を過ごしたという。

「大学進学では、何も考えず軽い気持ちで大阪芸大を志望。でも、まともにデッサンもしていないヤツなので落ちまして(笑)。それで進学したのが浪速短期大学(後の大阪芸術大学短期大学部)。グラフィックデザインを専攻しました」

卒業制作には、ずっと撮りためていた大阪の風景写真を使ってコラージュを作成。『ゴミ no 街 OSAKA』と題したこの作品は、当時の浪速短期大学デザイン美術科学科長であり、大阪万博 EXPO’70のロゴマークやカップヌードルのロゴタイプを手がけた日本を代表するグラフィックデザイナーの大高猛氏より研究室賞を受賞する。

しかし、クリエイターとしての才能の片鱗を見せながらも、世の中は超就職氷河期。「大阪芸大に編入して学生として燻るのも嫌、かといって周りと同じように就活するのはポリシーじゃない」と、当時、関西でも有名だった貸し写真スタジオ「ビッグベン大阪スタジオ」でスタジオアシスタントのアルバイトを開始する。そして、「とにかく面白くて、何をするにしても率先して働いていた」という高畠氏の評判を聞きつけたのが、有限会社スタジオツービーの創業者・戸田祐市氏だ。

まだ、自身の将来を明確には描いておらず、何かをしようという気もなかった高畠氏。「うちでやってみないか」との戸田氏の誘いに、「おもろそうやん!」と乗ったことが、思えば広告写真にどっぷりと浸かるきっかけだったと振り返る。当時、大阪・天満橋に本社を構えていた有限会社スタジオツービー。眼前に大阪城を望むこの場所から、カメラマンとしての人生がスタートした。

「ゴミの街大阪」「FOOT」「憧憬」「ANIMALEYE」という4つのバラバラの方向性の写真を撮り集め、一枚のコラージュした卒業制作の作品。研究室賞受賞という高い評価を得る。

クリエイターとして時代に応え、作家として心のままにシャッターを切る

高畠氏がカメラマンとしてスタートを切った1998年あたりから徐々に、時代はデジタルカメラの登場によってフイルムからデジタルへと大きく移行していった。

とはいえ当時のデジタルカメラは画素数が低く、価格の高いハイエンドの機種でさえようやく600万画素あるぐらいだったそう。

「初期のデジタルカメラはまともに色が出なくて、本当に苦労しましたね。それをどうにかしてキレイな画にするために試行錯誤して、おかげでフォトショップによる画像処理の腕前がずいぶんと上がりましたね(笑)」

そうした中、当時の社長である戸田氏は次々に新機種のカメラやMacコンピューターを購入。高畠氏たちスタッフはそれら新しい技術を惜しげもなく使うことができ、早い段階からデジタルカメラを勉強し、どんどん写真の魅力にのめり込むことができたという。

どのような難しい依頼でも、クライアントから「出来ますか?」と問われると涼しい顔で「出来ます!」と即答。その後すぐに本屋に駆け込んで勉強し、求められる写真を撮るための方法を探る。その繰り返しのなかで自らのスキルとノウハウを高め、高畠氏のもとにはフード、家電、通信・オーディオ機器、住宅設備、インテリア、花、カバン、アパレル用品、宝飾品など、ありとあらゆる分野の企業から依頼が舞い込んで来るようになった。そして、「どんな依頼もガンガン受けていく」という姿勢が、広告写真家としての可能性を拡大させていった。

そうしたコマーシャルフォトを生業とする一方で、高畠氏は作家としての活動も開始する。

「クライアントの代弁者として要望に応える写真だけではなく、自分自身の作品と言えるものを残したいと思ったのが今からおよそ10年前。“こういう写真を撮ろう”と思っているわけではなく、どこに行くのにもカメラを携えて、目を奪われる瞬間、心が動いた瞬間にシャッターを切っているんです」

その一枚が、熊本地震が起こった2016年に、ボランティアで訪れた杖立温泉で撮った写真だ。崖崩れの不安もある中、それでも復興への希望を込めて色とりどりの鯉のぼりを泳がせた現地の人々。その光景の美しさと心意気に胸を打たれ、思わずシャッターと切ったと話す。その他、偶然に遭遇した奇跡のような瞬間を捉えた天満橋の夕景や朝日の中の富士山の登山家など、作家としての作品はどれもこれも高畠氏にとって「宝物のようなもの」だという。

「19歳の時に阪神・淡路大震災を経験し、その時の悲惨な状況を記録するため何枚も写真を撮りました。もちろん、そうした写真を残すことも非常に意味のあること。でもボクは杖立温泉で感じた心意気のような、Happyな気持ちになる瞬間を写真に撮りたいし、それこそが自分の生み出す作品なんだと思っています」

高畠泰志氏作品 天満橋
作家活動として撮った写真は、ギャラリーや美術館で展示する。 そこには、「リアルで観ることで生まれる感動を大事にしたい」という想いがある。

初めてカメラを持った時から変わらない、自分を突き動かす「楽しい!」という想い

2017年、創業者・戸田氏が亡くなり、後を継ぐ形で吉田順二氏が代表、高畠氏が取締役に就任。その後、大阪・天満橋の本社を引き払い、現在の旭区高殿に移転。2023年10月には代表を交代し、有限会社スタジオツービーの三代目代表となった。大型スタジオを運営しながら、自身を含めカメラマン4名でオールジャンルの写真撮影を手掛けている。

「今でも忘れられないのは、たくさんの方々と仕事をしていた日々。めちゃくちゃ楽しくて、それが自分の生き様にもつながっている気がしますね。そして、想いが行き着くのが小学生の時の初めての個展。幼い頃の自分は美しいとか美しくないとかどうでも良くて、ただおもろいやん、楽しいやんって思えたことをひたすら撮っていた。自分にとってキラキラした瞬間を写真に残したい。それが、ボクが写真を撮る動機なんだと思っています」

そんな高畠氏が描く“これから”は、かつて広告写真の世界に入って、認められる写真、面白い写真、人がびっくりするような写真を撮りたいとひたすら頑張っていたことを、今のスタジオツービーでも挑戦することだという。

「メンバーに加え、外部の方たちやカメラマン、スタイリスト、メイクさんやフードコーディネーターなど、10人以上が絶えず動いているスタジオにしたいですね」と高畠氏。

だって、おもろいやん! 楽しいやん!――少年時代から変わらず、つねに高畠氏を突き動かしていたその想いが、これからも観る人をHappyな気持ちにさせる写真を生み出していくのだろう。

イベント風景

イベント概要

ボクが写真を撮って生きるということ
クリエイティブサロン Vol.290 高畠泰志氏

幼少期からカメラがオモチャ。学生時代はグラフィックデザインを志したが、時代は就職氷河期。就職活動を始めたものの自分らしくないと感じプータロー。しかし突如、広告写真の世界に飛び込み、写真で表現することにのめり込む。画像処理や3DCGなどの技術革新、フィルムからデジタルへの移行など時代の変化に対応していく中で、オリジナルの作品制作に取り組むようになり、数々の写真展にも挑戦。気付けば経営の知識もないまま、広告写真スタジオの代表として今に至ります。日常のあらゆる出来事や体験が、クライアントワークやライフワークになり、すべてが写真に通ずることとなったこれまでをお話しします。

開催日:

高畠泰志氏(たかはた やすし)

有限会社スタジオツービー 代表取締役
Advertising Photographer

大阪市住吉区出身。コマーシャルフォトを生業にする傍ら、観る人がHappyな気持ちになるような作品を手がける。
個展・グループ展
・入江泰吉と水門会写真展(富士フイルムフォトサロン 大阪 / 奈良市美術館など)
・公益社団法人日本写真家協会JPS展(アイデムフォトギャラリー シリウスなど)他多数
公益社団法人日本写真家協会(JPS)会員
入江泰吉門下 写真家集団 水門会会員

http://st2b.com/

高畠泰志氏

公開:
取材・文:山下満子氏

*掲載内容は、掲載時もしくは取材時の情報に基づいています。