全作家の経験を集約した「勝ち技」で新人集団を常勝軍団へ導く
クリエイティブサロン Vol.289 大友民男氏
メジャーなアイドルからアニメ作品まで多様な楽曲を送り出し続ける作家事務所、株式会社グローブ・エンターブレインズ。こちらの代表取締役である大友民男氏を迎えた今回のクリエイティブサロンでは、実績ゼロの新人たちと作家事務所を創業し、常勝軍団へと成長を遂げるまでの戦い方や、過酷な状況におかれた音楽制作の世界を生き抜くための志などが語られた。

「新人でも勝てる作家事務所」が誕生するまで
AKBグループやSTARTO ENTERTAINMENT(旧ジャニーズ事務所)といったアイドルの楽曲から、『涼宮ハルヒの憂鬱』、仮面ライダーやスーパー戦隊シリーズなどのアニソンや特ソン。さらには『FF7』シリーズや『キングダムハーツ3』などのゲーム音楽、アーティストのライブ、舞台に至るまで数多くの実績を誇る音楽制作会社グローブ・エンターブレインズ。
今回登壇する大友民男氏は、約20年前に素人作家4人とともにこちらを立ちあげた。今回はサブカルに詳しい漫画家の有柚まさき氏をファシリテーターに迎えての開催となり、まずは自己紹介から。
高2の時に出会ったシンセサイザーの、あらゆる楽器音を再現し「楽器を弾けないのに曲がつくれる」、その可能性に魅了されたと大友氏。自宅にあったPCとシンセでDTMに没頭する。その後、独学に限界を感じ、23歳でミューズ音楽院作・編曲学科に入学。理論を基礎から学び、曲作りがさらに面白くなっていく。
「音楽業界に入りさえすれば、後は自分で何とかできると考えていた」。スタジオでの過酷な現場、大手の作家事務所でスタッフワークを経て、2002年1月に父親の会社に音楽事業部を設立。数年後、グローブ・エンターブレインズとしてスピンアウトして現在に至る。
当初は「実績ゼロの新人作家4人」を集めた事務所。前職では大御所作曲家の高採用率を目の当たりにした。これを新人で試してみたかったのだ。「今振り返っても勢いだけではじめた感じです」。しかし新人集団だからこそ続けてこられた秘訣もあるという。

勝ち残るための打開策、それが「メロチェック」
ここで楽曲が採用される流れについて解説。基本的に全案件がコンペであり、まずはレコード会社や所属事務所から作家事務所に発注がくる。
「そこでは秘密保持が絶対。どこの馬の骨ともわからない事務所には発注もきません。その数もかつては数社から最大でも50社、それも所属できる作家は、シングルとして発売でそうな曲のストックが50曲ほどないと所属不可と、とてもハードルが高かった」
現在はシングル級のストック制限がなくなり、競合アーティストへの楽曲提供も可能に。大友氏の事務所にも週に10本以上コンペの話が舞い込む。
「コンペは今や100社以上が参加するため、多くの楽曲から選ばれるための戦い方をしています」
創業時に理念としては掲げたのは次の3つ。まず「新人でも採用される為の歌物専門の作家事務所」であること。そして少しでも永く愛される楽曲をつくるため「歌心あるメロの追求」。また注文に応えるだけではなく、少し攻めた「企画提案型の音楽事務所」であること。
とはいえ実績のない作家集団。たとえるなら地方予選レベルの高校球児が大リーガーに挑む、圧倒的な力量差があった。これを底上げするために大友氏が徹底したのが「メロチェック」。提出された曲のメロディを精査・修正してクオリティアップ、3回以内にOKが出た曲のみ提出するというもの。前職で大御所作家の作品クオリティに触れてきた大友氏が、新人と共に戦うため編み出した「鉄の掟」だ。
重視しているのは、ありきたりにならないこと。
「メロディ=ヴォーカリストの感情、というのがぼくの考え方で、Aメロで語りかけたいのか、Bメロで起承転結の転をしたいのかとか、サビまでの大きな流れってあるじゃないですか。そうした感情論にのっとって表現しきれているかを、メロチェックで揉んでいきます」
有柚氏からも「漫画家も原稿を編集者が確認して気になる点や修正点を指摘します。大友氏と所属作家との関係性もそれと似ていますね」と共感の声が。さらに歌詞チェックも重ね、持ちうるノウハウをすべて注入した自信作だけを持ってプレゼンへ。だが結果は毎回、木端微塵になるほどの返り討ちにあう。
「イントロだけ聴いて、はい次の曲と言われたり。でも今思えばこうした経験が勉強になり、鍛えられたと思います」

いくつものターニングポイントを経て、「常勝軍団」へ
そこでジャンルを問わず、全案件のノウハウを自分に集約して戦闘力を上げていく作戦を立て、4年目にしてついに光明が差す。そこから常勝ロードがはじまった。
ひとつめの転機となるのが、業界最難関であったSMAPの「A Song For Your Love」の採用。大友氏は何のツテもない状態でレコード会社に電話し、窓口でひたすら熱意を伝え担当者につないでもらい、その日のうちに聴いてもらうことに成功。楽曲の採用もさることながら、以降も担当者が直接会って試聴してくれる関係となり、さらに多くの業界関係者を紹介され、ネットワークも広がっていった。
ふたつめは、2006年に放送され社会現象化したTVアニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』。有柚氏曰く「この主題歌はオタクの中でレジェンド化しています」。大友氏も「当社の知名度を上げる大きなターニングポイントとなりました」と振り返る。
以降、AKBやSTARTO ENTERTAINMENT所属のアーティストへの楽曲採用が年々増え、今年は過去イチの採用数となった。またドラマティックに展開するインスト曲、エピックミュージックなどの制作も本格化し、ゲームやライブや舞台の音源も手がけるように。
「ゲームの状況に合わせてシームレスに変化する音楽をインタラクティブ・ミュージックと呼びますが、私たちはタイトルごとに素材提供をする企画提案的な仕事をしています」
こうして歌物やインストなどいくつかの柱を確立させ、2023年は67%の採用率(ゲームを除く)に達する。

課題山積みの音楽業界で描く「未来予想図」
「今後の課題としては、所属作家全員の採用力強化。採用率のテコ入れに尽きます」。現在、音楽業界は「案件減、採用減、印税減」の三重苦にさらされているという。ストリーミングサービスが普及し、パッケージによる売上が中心だった国内の音楽流通の構造そのものが大きく変容した。
「アニソンの場合、第1話放送直後に曲が配信開始されますが、これによって、シングルのカップリング需要がなくなり、ひとつの案件に対する競争率も高くなる。それと慢性的な作家不足により、作家が素人化していますね」。またゲーム業界の地盤沈下も深刻だ。
そうした課題に対して自社で意識するのは、まず営業力。「程よくしつこい営業を心がけ、複数の案件があるときは、“手薄な所”や次回予告をリサーチ。あるいはこちらからアイデアを提案し、反応があったものを提出します」
次にスピード感。締切を守るのはあたり前で、前倒しが基本だ。それが信頼を生み関係継続につながる。また前倒しすることで、提出時に担当者から修正点を聞けるメリットもある。
そして独自の作家育成法。大友氏は作家同士のつながりを大切にしており、互いの提出資料を共有することで「チームで勝ちにいく」スタイルを確立した。「これは当社の大きな特徴。他の作家の案件ごとの戦い方を理解することで各々のプロデュース力が培われます」
またクライアントとの食事会に参加して、作家が担当者の声を聞く機会も設けている。曲作りと聞くと個人作業を思い浮かべるが、全員で戦うチーム作りを実践して「泥臭くても試合には勝つ」。それが勝利の方程式として定着している。
昨今、音楽生成AIのレベルが格段に上がっている状況、これにどう立ち向かうのかとの質問には、「AIは音楽業界におけるゲームチェンジャーだと思っています」と大友氏。これまでも変化の波はあった。少し前ならサブスク、その前はiPodに代表されるデジタルガジェット。これにより消費する曲数が激増し、歌詞も耳馴染みのいいありきたりのものへと退化していった。ブックレットを見て歌詞を味わいながら、音楽を楽しむ時代の終焉だ。
「これから先、アニメやドラマのライトな劇伴は、ほぼ消滅するでしょう。つまり若い作家の登竜門的な仕事がなくなり、現在の氷河期はさらに進む。仕事の質を落とさず時代に備えることはもちろん、うちにはエピックミュージックというブランドをはじめ、技術的な武器もあるので、あと3年くらいはもつかなと思っています(笑)」
今後は新企画による業界の開拓をはじめ、既存のクライアントだけでなく、類似提供先や異業種分野への進出などを加速させるという。「そうした案件に応えるためにも、作家陣、スタッフともに、“地道に”強化していきたいですね」

イベント概要
音楽制作の未来予想図
クリエイティブサロン Vol.289 大友民男氏
創業時、実績ゼロの新人作曲家……といっても、言い方を変えれば素人を4人集めての事務所設立だったので、本来なら数年経っても完敗しかない、全く勝ち目のない独立のはずでした。ただ、全員新人だったから故、予選通過した作品しか提出しないという鉄の掟を敷き、提出時はアポを取りプレゼンの全国大会決勝戦さながらの勢いで会いに行っていたことで、新人というデメリットが他社ではやらない独自性として認知されていき、少しずつ大きい案件にも恵まれました。その積み重ねで、4年目に常勝軍団となるビッグバンが起きたのです。とはいえ、過去の成功例は役に立たないので、現在の戦い方と課題、対策を中心に未来志向の話をしたいと思います。
開催日:
大友民男氏(おおとも たみお)
株式会社グローブ・エンターブレインズ 代表取締役
高校時代に急に作曲を始めたものの、楽器は触ったことがなく20代になって洋楽も何一つ知らなかったので、23歳の時に音楽の基礎を学ぶため専門学校に入学。「レコーディングエンジニアが可能なプロデューサー」を自分の将来像として決意し、卒業と同時にスタジオに就職。週に1日帰宅できればよい超過酷な逆境にも耐え、さまざまな技術を習得してから、他のスタジオで制作スタイルや人脈を広げた後、独立系大手の作家事務所でスタッフとして勤務。そこで有名な作曲家たちの採用力の高さを目の当たりにして、それを新人に試したくなり「新人でも勝てる作家事務所」をコンセプトに31歳で独立。現在23年目の音楽制作会社を運営中。

公開:
取材・文:町田佳子氏
*掲載内容は、掲載時もしくは取材時の情報に基づいています。