ゲームクリエイターのスペシャリストが行き着いたのは「ゲーム業界は、究極のサービス業」
クリエイティブサロン Vol.287 中北 豊氏
今回のクリエイティブサロンに登壇したのは、ゲームクリエイターの中北豊さん。語ったのは“ゲームクリエイターのセカンドキャリア”だ。ゲームクリエイターが転職する際、ゲーム会社に勤めるのが定石だという。しかし中北さんはこれまでの経験を生かして、教育や接客などゲーム業界とは別の世界へと活動の場を広げ、新たな挑戦を続けている。ゲーム開発のスペシャリストのこれまでとこれからを紐解く。
超一流の恩師から叩き込まれたゲームクリエイターとしての流儀
1981年生まれの中北さんが、はじめに触れ合ったゲームは1983年に発売された「ファミリーコンピューター」。小学生の頃は、親の方針で買ってもらえず、ファミコンで遊ぶのはもっぱら友だちの家。遊び終わると「ゲーム、もっとやりたいな……」と後ろ髪を引かれながら帰宅した。そんな中北さんが、ゲームクリエイターの道を志したのは高校生の頃。進路のため大学の資料を取り寄せている際に、ゲームクリエイターの専門学校のパンフレットを目にしたとき、憧れだったゲームが作れるのか!と自分の中で何かが弾けたのを覚えているという。
そして専門学校3年の頃。幸運にも当時カプコンの専務取締役だった岡本吉起氏の授業を受けることができ、大きな刺激を受ける。ヒットタイトルを多数生み出したエキスパートから伝授された心構えは、中北さんのゲームクリエイターとしてのマインドに多大な影響を与えた。ちょうど就職活動の時期に差し掛かった頃、同学年の友人とシステム会社を起業し、「ゲーム開発部門」として本格的にゲームづくりをスタートさせた。
ゲーム開発に全力投球した若手時代
初めて請けたのは大手通信会社の案件。「ゲーム開発部門」が軌道に乗るまでは、アルバイトを掛け持ちしていたという中北さん。そんな中、モバイルゲームの企画書を制作するが、玉砕。「そのときは、悔しいというより、『勉強になった』と思えました」。思えば、“ゲームでお金を稼ぐ”という覚悟もまだ足りなかったと振り返る。
ちょうどその頃、ITバブルが崩壊。大手Web企業がゲーム業界に一気になだれ込み、ソーシャルゲームが乱立した。経験の浅い中北さんがそこに割って入るのは至難の業だが、運命が味方する。恩師の岡本氏がカプコンから独立し、自身が社外取締役を務めるモバイル会社のゲーム開発を中北さんに託してくれたのだ。その際、ゲームプランナーの基礎を叩き込んでくれたのが、岡本氏と共にカプコンから独立した石井武氏。2人の恩師から教わったノウハウを支えに、モバイルゲーム開発に着手。折りたたみのガラケーの特徴を生かしたゲームに携わり、「失敗したら二度とない」という覚悟で挑んで信用を獲得。そこからは怒涛の日々だ。毎日5本の草案、毎週2本の企画書作成。毎月2本の企画を通す。さらに新ゲーム作成用のラインを2つ動かし、さらに移植するラインも2つ。これは驚くほどのハイペースで、例えば同世代のゲームプランナーは、「生涯で企画が2本通せたらいいほう」と話していたそうだ。中北さんは毎月2本の企画を通していたというのだから、その勢いは言わずもがな。「濃厚な時間が過ごせたし、今あの時期がなかったら……と思うとゾッとするくらい」。激務だったが今の中北さんの礎を築いた大切な時間だった。
10年間で100タイトル以上のゲームを手掛けた先に待っていたこと
しかし、およそ2年経った頃、そんな生活に疑問を抱き始める。中北さんは「他のシステム会社は、どんな方向性で動いているのだろう?」と、他のシステム会社へ出向することを決意。出向先での仕事は順調だった一方で、所属会社との溝が深まり、退社。中北さんは、そのまま出向先に転職するという形でゲーム開発の仕事を続ける。
その変化が功を奏して、体力・気力の限界までゲーム開発していた以前とはまるで環境が変わり、じっくり1本ずつ、丁寧にゲームを作る環境を手に入れた。その頃に手がけたゲームが累計300万DLを記録するスマッシュヒットに。
しかし、ときは2009年。政府の方針に引きずられるように、世間でも“事業仕分けブーム”によるコストカット、人材削減……。すっかり疲弊したゲーム業界だが、2013年にスマホゲーム開発が活発になる。しかし、当時の中北さんの主戦場はガラケー。スマホゲーム開発に進出しようとするも、うまくいかず開発中止となる。ちなみにこの時点で、中北さんはおよそ10年間で、100本以上のタイトルの企画・開発に携わっていた。
「このときに学んだのは、コストカット戦略の限界。ゲームって正解がないんです。だから、一度でも作り直しが発生すれば赤字。でも、僕の知る限り、一度の手直しでゲームを完成させることができる人はいない。これは、仕組み的に無理なんだろうな、と」。限界を感じる一方で、多くのゲームを世に出したことに満足している自分もいた。
自分の適性は「ゲーム開発」ではなく「品質管理」かもしれない
「スマホゲームは無料で遊ぶのが当然」というユーザーの意識も高い壁となった。そこで、会社がほかに目を付けたのがパチンコ・スロット事業。スマホゲームのユーザーとは違い、楽しむためにはお金を惜しまず、研究熱心なパチンコ・スロットのユーザーをターゲットに、店頭に並ぶ台と同じコンテンツをスマホに移植する事業が始まる。その中で、中北さんは「テスター・デバッガー」というポジションを務めた。「テスター・デバッガー」とは、アプリが完成してから起動確認をはじめ、バグを発見し、原因を突き止め修正するという役割のこと。その経験がもとで、自分がゲーム開発だけでなく品質管理の技術にも適正があることに気づいた。品質管理が徹底されていればトラブルが起きても原因がすぐわかりコンテンツは必ず安定するし、ユーザーは安心して使用できる、中北さんが品質管理を担当することで、トラブルが激減。ユーザーに、そして会社に貢献できているという実感があったという。
すでに価値あるものに、ゲームクリエイターとしてさらなる価値を付与することができたら
しかし、安定すると「このままでいいのか」と危機感を抱き、動き出したくなるのが中北さんの気質。「新しいことを始めたい」という思いも背中を押し、2021年にフリーランスに転身。MEBICを通じて出会ったコトウリの片岡浩二氏に、ブログから企業案件の依頼につながるアイデアを伝授してもらい、実践したのが功を奏してゲーム関連会社からの依頼が増加した。これで生活も安定……と思いきや、それで満足しないのが中北さんだ。「ゲーム開発はすでに20年前に挑戦済みなので、おもしろみを感じなくて」。それに、長年の経験からゲームの受注・開発を取り巻く環境に限界を感じ始めていたのも事実。そのときに思い浮かんだのは、「ゲーム開発の経験を、他の業界で活かせないか?」ということ。可能性を感じたのは、ゲーム開発と“教育”との親和性の高さ。今の時代にもマッチする、プログラミングやAIを使ったゲーム開発は今後も掘り下げていきたいと話す。
現在進行系なのは、ゲーム開発と“接客”。「本来ゲームって、コミュニケーションツールの塊なんです」。テレビゲームが出現する前も、テーブルトークRPGやトランプで、人と人とが会話を楽しみ、時間を共有し合うものだった。それをひしひしと感じる中北さんが今、活動しているのが、うどん店のゲーム開発。きっかけは、大阪・天満宮の近くにあるうどん店のオーナーに「ゲームを作ってよ!」とお願いされたこと。ほかにも京都にあるゲームバーの店員なども務め、ゲーム開発の経験をバイブルに新たなサービス提供を模索している。
「ゲーム開発は、空想の世界をゼロから作り上げる仕事。何もないところに価値を見出すものです。でも、今興味があるのは、すでに価値がある現実のものに対して、ゲームクリエイターとしてさらなる価値を付与すること。それができたら、よりおもしろいことができるのではないかと考えています」
イベント概要
ゲームクリエイターのセカンドキャリア —ゲームデザインで現実を魅力的にする挑戦—
クリエイティブサロン Vol.287 中北 豊氏
ゲームクリエイターは、ゼロから価値を生み出し、構築する職業です。もし、すでに価値のある現実世界に、ゲーム開発のノウハウで付加価値をつけることができればどうなるのか? その疑問に対する答えを見つけるために、私は3年前に独立しました。ゲームを作るということは、砂漠の中にラスベガスを作るようなもので、まるで魔法のような技術です。私は23年前からゲームを開発し始め、10年間で100本を超えるタイトルを企画・開発してきたファンタジー創造のスペシャリストです。あらゆるジャンルのゲームを開発し、価値を生み出してきた私の半生を振り返りながら、今とりくんでいる挑戦をご紹介します。 クリエイターのセカンドキャリアに悩みを抱えている方には、私の失敗や苦労話が役立つことでしょう。
開催日:
中北 豊氏(なかきた ゆたか)
合同会社ゴモハン 代表
ゲームクリエイター
約20年間、システム会社で携帯電話用のゲーム開発や、パチンコ・パチスロのスマホ移植プロジェクトのディレクションと品質管理を担当してきました。現在は独立し、自ら運用するSNSやブログを通じて集客を行い、企業様からお仕事を受注して活動しています。最近は、ゲーム開発のノウハウをゲーム業界以外に活かすため、多方面(メビッククリエイティブコーディネーター、ゲーム専門学校講師、バー店員、うどん屋の売り子、福祉団体)で活動中です。ゲーム業界は、究極のサービス業だ!という考えを胸に、脱サラゲームクリエイターのためのセカンドキャリア作りに熱中しています。
公開:
取材・文:中野純子氏
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