「風変わりなお爺さん」のDNAこそマルチな活動の源
クリエイティブサロン Vol.283 竹内源内氏
グラフィックデザイナーとして40年の実績を活かし、今では現実社会と仮想現実の世界をグラフィックアプローチャーとしてつなぐ「株式会社ドゥーティ」代表の竹内源内氏。同じ名を持つ江戸のトリックスターさながらに、グラフィック、動画、メタバース、アート活動とマルチに活躍する。今につながるルーツから未来に向けての「People of PEACE」の想いまで、興味深い話が次々と繰り出された。

過去を紐解けば人生のスタートも「ひと味違う」
18歳でグラフィックデザイン会社を設立し、気がつけば40年以上、業界の最前線を走り続けてきた竹内源内氏。登場からしてタイトル通り、ひと味「違う」。自分のテーマソングだというウイスキー賛歌のアイルランド民謡をBGMに華々しく現れた。
このサロンでは登壇者が自身の「過去・現在・未来」を語るが、竹内氏の「過去」、そのはじまりは1031年! これは実家の墓石に刻まれていた長元4年からだが、歴史が「違う」。そこから足跡をたどり、武内宿禰の後裔ともいわれる奈良・葛城市との由縁など、古代史とともに歩む先祖のストーリーが展開される。
そこから飛んでようやく本人生誕の1964年、幼少期を過ごした高度成長期の思い出へ。現在のパワフルな姿からは想像もつかないが当時は身体が弱く、外で遊ぶより家で絵を描くことが好きな少年だった。それが高校受験前に持病が治り、性格まで変わったという。「社交的になって気がつけばクラスの人気者になっていました」
進学した大阪府立工芸高等学校では1年生にして行事や発表会の前説をやり、吹奏楽部ではチューバを担当。先輩からも可愛がられ充実した3年間も、いよいよ就職の時期に。竹内氏は進路指導の場でなんと「歌手になります!」と宣言し、教師を驚かせる。
実は高校時代にハードロックバンドのヴォーカルとして活動し、オーディションを経てプロダクション契約も交わしていたのだ。意気揚々とはじまったミュージシャン人生だが、早々に事務所がブラックであることが判明。歌手になる夢はわずか3ヶ月で潰えてしまう。
デザインの新しいジャンルや働き方を開拓した20代
気を取り直してデザイン事務所に就職するも、悪いことは続くもの。半年で社長が会社をたたみ職を失う。18歳にして独立を決意し、バンドをやっていた経験からロゴやステッカー、Tシャツなどの受注を開始する。「当時はこうしたグッズを制作できる業者も少なく、有名バンドからもオーダーが入りました」。その後、勉強し直そうとデザイン事務所に再就職するも、「ここも1年半で退職。結局2年半しか会社員をやっていないんですよね」
自らをアウトローだと語るだけあり、一筋縄ではいかないデザインロードを切り拓いてきた。次なる作戦は、時間をマッチングしてフリーランスとして顧客のデザイン事務所で仕事をするというもの。まずは広告雑誌に掲載されたデザイン事務所にDMを送りまくった。
「今でこそスポットワーカーは珍しくないけど、当時としては画期的なシステム。多くの反応があり、多様な実務を経験することで知識やスキルを身につけられました」。信頼を得て、持ち帰りの作業が増えたため、20代前半にして3社目を起業する。ここでは情報誌や通販をはじめ、百貨店の仕事も手がけた。
そして1992年、Macとの出会いで状況が一変する。「信じられないくらい作業も遅く、文字も50字程度しか入力できない。今から見ると性能に隔世の感のある当時のMacを、それでも“これだ”と思えたのは、誰も使っている人がいなかったから」
Mac導入を面白がって発注する人もいた。そのなかにはスポーツや音楽関係やイベント、不動産関係などがあり仕事の幅が広がっていく。あるスポーツメーカーのアパレルブランドでは立ち上げから携わり、プロダクト、ファッションそれぞれのデザイナーと組んで、パッケージや販促グッズの制作をする形が生まれた。

確固たるコンセプトのもとビジュアルでストーリーを紡ぐ方法論へ
2005年には先のプロダクトとファッション、そしてグラフィックの竹内氏の3人のデザイナーで事務所「Wurzel」を立ち上げる。ある時、プロダクトデザイナーからシェーバーを見せられ、「こんなパッケージをつくって」と言われた。制作するのはその商品のパッケージではないにもかかわらず、光沢感や特長あるディテールからイメージを膨らませてほしいと。「商品のパッケージを“まったく違う商品から考える”ってどういうことって、衝撃をうけました(笑)」
この「言語ではなくイメージで伝える」ことは、インパクトがありつつ相手にも伝わりやすいため、現在では自身のソースとなっている。「プレゼンでもビジュアルでストーリーを積み上げ、結論にたどりつくスタイル。そのためにはコンセプトが重要になります」。そこからグラフィックの「デザインする=つくる」だけではなく、本来の「伝える」という意味にフォーカスするようになる。そしてコンセプトに根差したアプローチをしていく、独自の「GRAPHIC APPROACHER」という肩書きを生み出した。
2020年に独立し、DOTY(ドゥーティ)を設立。1964年の東京オリンピックイヤー生まれから、2020年の東京五輪との縁を感じ、「OオリンピックYイヤーのT竹内Dデザイン」を並び替えてDOTYとした。「するとある人から、“ヨーロッパでDOTYはちょっと風変わりなお爺さんのことですよ”と言われて」。実は先祖の墓石には「休翁」の言葉が刻まれており、これもまた「ちょっと風変わりなお爺さん」という意味。1000年の時を超えて脈々と受け継がれる血を感じ、鳥肌が立った。
同じ頃、内閣府ムーンショットプロジェクトを知る。これは「2050年までに、複数の人が遠隔操作する多数のアバターとロボットを組み合わせることで、大規模で複雑なタスクを実行する技術を開発し、運用等に必要な基盤を構築する」というもの。そこから竹内氏は360度カメラによる革新に興味を持つ。
「ぐるりと360度を映し出すカメラを駆使して世の中を記録すれば、現在の世界のアーカイブができる。それをメタバースで展開できる日がいずれ来るだろうと思えたんです」。Macとの出会い同様、新しいものへの柔軟性は今も変わらず、AIに対してもワクワクしかないという。

右:12の自然の要素を土偶としてキャラクター化した「DOGU」シリーズ。古代や自然への興味関心からさらに遡って縄文時代の土偶に着目。
自分が先頭に立って日本の原風景を取り戻す活動を
「18代目竹内源内」としてアーティスト活動をはじめたのは、昨年の「クリエイティブTシャツ展2023」への出展がきっかけ。この名は祖先が襲名しており、「休翁」たる江戸時代に活躍した13代目源内は俳句・狂歌による奇想天外で風変わりな作品で親しまれていたという。さらに「この街のクリエイター博覧会」で知り合ったメンバーで、「HARRY LAB」を始動。「展示会に出展する機会の多い中小企業をはじめ多様なビジネスに役立つし、これは仕事になると確信したんです」

未来について語りはじめた竹内氏、まずは先祖が残した「もろ手の花の花のほかに知る人あり」という狂歌を紹介。「これは百人一首の“もろともに あはれと思へ 山桜 花よりほかに 知る人もなし”のパロディ。本来の、一緒に懐かしく思っておくれ、山桜よ。お前より私の気持ちを分かる人はいない、を“ほかの花も知っているぞと”おちょくっているわけですね」。さすが休翁!「この歌と自分の絵を合わせて、先祖の1000周忌にあたる2031年に本を出したいと思っています」
現在、そして未来へのテーマは「People of Peace、みんな仲良く」。先祖について調べるうちに『古事記』のような文献や古代へと興味が広がり、「ものはなくても心が豊かだった時代、神社を中心とした日本の原風景を取り戻したい」と強く想うようになったという。
そこで「GRAPHIC APPROACHER」たる自分に何ができるかを問うたとき、出てきた答えは地域活性化、さらには農業をはじめとした地方産業の活性化の道だった。こうした活動に携わり、最後は「HEROになりたい」と会場をどよめかせた。これは冗談ではない。「自分ひとりが目立ちたいということではなく、先頭に立ってこうした活動を盛り上げていきたい」との熱い宣言で締めくくった。

イベント概要
「違う」って何?
クリエイティブサロン Vol.283 竹内源内氏
18才でグラフィックデザイン会社を設立し、社会に順応できないまま「違うんちゃうん」と思いながら40年が立ちました。グラフィックの本質は「伝える」ことだと思います。それは自分らしく人を楽しませることだと思います。どうしてもそんな発想になる根源をたどると、1,000年前までさかのぼれる風変わりな芸能や技術を持った先祖がいるおかげかもしれません。それでも、たどり着いたのは「みんな仲良く」。グラフィック、動画、メタバース、アート活動を通して考えてきたこと、作ってきたことを、今回はすべてお話ししようと思います。「違う」って何? ぜひ風変わりなgennaiをお楽しみください。
開催日:
竹内源内氏(たけうち げんない)
株式会社ドゥーティ 代表取締役
グラフィックデザイナー
1964年大阪生まれ。大阪府立工芸高校卒業後、グラフィックデザイン事務所に就職するが、その後すぐに独立し、18才からデザイン事務所を作り経験を積む。2005年アパレル・プロダクトデザイナーとともに株式会社ワーゼルを立ち上げ、大手スポーツメーカー中心の広告・販促に携わり、コンセプトの大切さを学ぶ。2020年グラフィック部門を引き継ぎ株式会社ドゥーティを設立。仮想現実への取り組みとして360°カメラでの撮影・動画編集を始め、メタバースチームHARRY LABを立ち上げ、コンテンツに取り入れる。また、アーティストネームを「gennai」とし、イラストを描き始める。

公開:
取材・文:町田佳子氏
*掲載内容は、掲載時もしくは取材時の情報に基づいています。