考古学とHIVボランティアに導かれ、独自のWeb会社へ
クリエイティブサロン Vol.254 湯川真朗氏
湯川真朗氏が代表を務める有限会社キートンはちょっと異色なWeb制作会社だ。主な取引先は医療機関と大学関係。制作実績には医療や専門分野の研究に関するホームページも多い。しかし、湯川氏は医療従事者や研究者の経験はなく、学校でWebを学んだこともない。どのように今の会社になったのか、「趣味とボランティアが仕事を変えた」経緯を教えてくれた。
警察官の夢破れ、テクニカルライターに
和歌山県田辺市で生まれ、1985年に大学進学で大阪に出る。「麻雀とパチンコと酒に明け暮れ、4年間遊びまくりました」。警察官をめざすが採用試験に失敗。どうにか小さな広告代理店に入りコピーライターとなる。サービス残業で週の半分も家に帰れない過酷な労働環境と社長の暴言に耐えて1年働くが、知り合いからテクニカルライターの募集を聞いて転職する。
「テクニカルライターは製品のマニュアルの文章を作る仕事ということもよく知らずに転職しました。会社の主な取引先はオムロンで、社員数は約40人。当時としては大手でした。その頃のオムロンは産業用コンピュータやロボットなどをつくっており、最初マニュアルを見たとき、何が書いてあるのかさっぱりわかりませんでした」。半年間、先輩について仕事を覚えると、「1人常駐してほしい」という出向の依頼に「やります!」と手を上げた。
「出向先は設計を行う事業所で、周りは国立大の理系出身者ばかり。文系出身だったので最初は大変。16進数など知らないことばかりでかなり勉強しました。このとき鍛えられたのは、製品を深く理解する理系のアタマと、理解したことを咀嚼して伝わる文章を書く力、そして構成を考える力。ポイントをわかりやすく伝える技術は、その後の企画書作成やプレゼンに活かされました」。2年半たった頃、事業所が東京移転となる。「一緒に来てほしい」という誘いを断って退職し、別の会社に移るが1年で辞める。バブルがはじけ、「景気が悪くなるから」という周囲の反対を押し切って、1992年に独立する。
HIVボランティアで心に誓う、生きている限り精一杯やろう
独立後は印刷会社の下請けをした。金銭面と、クライアントと直接話せないことに納得できず、メーカーとの直接取引を目標に仕事に励む。そんなとき、障がい者にパソコン操作を教える講師のボランティア募集に応募する。動機は、テクニカルライターとして障がい者にもわかりやすく伝えられるか?と考えたことだ。それまで障がい者と知り合う機会がなく、最初は戸惑ったが次第に信頼関係を築けた。「ここで仲良くなった人と今もやりとりしています」
その後、HIV感染者 / AIDS患者のボランティアを始める。動機は「エイズパニック」と呼ばれる感染者への行き過ぎた報道に巻き込まれた経験。「多くの人が検査に殺到しましたが、私もその1人。結果が出るまでの2週間、感染したと思い込んで、社会的偏見が怖くてつらかった。同じような思いの人をサポートできたらとボランティア団体『HIVと人権・情報センター』に参加しました。ここを選んだのは、性感染者も輸血や血液製剤などで感染した人も等しく支援するという理念に共感したからです」
現在はどこにも所属していないが、支援は続けている。「ボランティアという立場でなく、困っていれば自然に手を差し伸べる友達関係になりたいと思いました。今もHIV感染者との付き合いは続いていて、飲みに行ったり馬鹿話したりします。これまで多くの友達を亡くしました。今日は一番親しかった友の命日。彼は『健常者と友達になれるとは思ってなかった』と言っていました。人の死を見てきているので、生きている限り精一杯やりたい。興味をもったことに突き進み、人生を思いっきり楽しみたいと思います」
仕事では神戸のメーカーと直接取引でき、目標を達成する。法人化をすすめられ、1998年に有限会社キートンを設立した。社名の由来はキーストーン。アーチ型建築物の一番重要な石のことで、小さな石だが外れると全体が崩壊してしまう。「小さな会社でいいから、この会社でないとできないと言われる存在になりたいと思いました。ストーンだと落ちていきそうだから短縮して『キートン』にしました」。社名への思いが三洋電機の仕事で実現する。「2000年を機に製品をリニューアルするので、マニュアルも思い切って変えたい。関西で一番実力のあるテクニカルライターに頼みたい」という仕事に選ばれたのだ。「ビデオデッキ15機種のマニュアルを、社員と2人で書きまくりました」
考古学ファンのために作った「現説公開サイト」が評判に
2000年、奈良県明日香村での亀形石造物の発見が大々的に報道されると、幼い頃、山で化石を採って遊んだことを思い出し、発掘調査現地説明会へ出かける。「雪の降る中、4時間以上並んだのに、ワクワクして寒さを感じませんでした」。建設工事で遺跡が出ると調査が義務付けられ、成果があれば現地説明会が開かれるが、行きたくても行けない考古学ファンのために現地説明会のホームページを作りたいと思った。作った経験はなく、独学でHTMLを習得し、「現説公開サイト」を完成させる。「オムロン出向のときに学んだことが役立ちました。コードを書くのも楽しかったですね」
考古学ファンによる多くのホームページは主観が盛り込まれていた。「考古学は想像するのが楽しいから、素人の解説はいらない」と考え、コンセプトを“見栄えをよくしない・見やすくする・現地説明会の臨場感”に決めて、説明会の動画は編集せずノーカットで入れた。徐々に注目され、専門家から「サイト見てますよ」と言われるようになり、メディアでも紹介される。現在、260以上の遺跡を公開しており、今も更新を続けている。
趣味から仕事になったHP制作と、京都大学からの依頼
思いがけず、ホームページ制作が仕事になった。HIVボランティアの知り合いから医療関係者を紹介され、研究に関するホームページの制作を依頼されたのだ。「仕事としてホームページを作ったことはありませんが、ぜひチャレンジさせてください」と引き受ける。これ以降、業務にホームページ制作が加わる。マニュアル制作ではクライアントに新しい提案をしても採用されず、意欲が薄れていき、ホームページ制作に積極的になっていった。
京都大学との付き合いは、インクルーシブデザインへの興味から始まった。「障がい者の発想に基づいて商品開発を進めるインクルーシブデザインをやってみたい」と考え、京都大学の先生の2日間のワークショップに参加。これをきっかけにワークショップを手伝うようになる。先生が京都大学総合博物館に異動になると、ホームページのリニューアルの仕事が舞い込む。完成したホームページは好評で、京都大学の仕事を手掛けるように。「コンペで9割ぐらい採用されました。先生の話をよく聞いて求められていることを提案できたのは、テクニカルライターで培った理解力のおかげです」
Webシステム開発を始めるきっかけは、京都大学の依頼だった。「海外の学生の留学に関するすべてをオンライン上で行いたい」という要望でシステムを開発した。その後、システム開発の依頼は増え続け、現在はホームページ制作と半々のボリュームになっている。
なぜ有限会社キートンが独自性の高いWeb制作会社になったのか、おわかりいただけただろうか。現在、湯川氏は「3度目の二十歳を迎える節目」となり、会社の将来を考えて、社員2人に仕事を少しずつシフトしている。トークの終盤、最近興味をもっている犯罪心理学と食虫植物について楽しそうに語ってくれた。また思いもよらない展開が期待できそうだ。
イベント概要
趣味とボランティアが仕事を変えた! 考古学とエイズとWebの関係
クリエイティブサロン Vol.254 湯川真朗氏
テクニカルライターをしていた頃、そのスキルを障がい者の就労支援に活かせないかと始めたボランティア活動。その後HIV感染者 / AIDS発症者の支援を始め、20年を経過した今も続けています。一方、趣味の考古学で、ふとホームページを立ち上げたいと思い立ち、独学で学び始めたHTML / CSS。仕事だけの人生は嫌だからと始めたこれらの活動が、意図せず仕事と結びつき、会社の方向性をも大きく転換する基点となりました。3度目の二十歳を迎える節目に、趣味とボランティアと仕事の関係についてお話しさせていただきます。
開催日:
湯川真朗氏(ゆかわ まさお)
有限会社キートン 代表取締役
和歌山県田辺市出身。大阪商業大学を卒業後、アルバイト生活をしながら警察官をめざして受験するも不合格。転じて宣伝会議でコピーライターのいろはを学び、小さな広告代理店に勤めるも1年で退社。テクニカルライターに転職し、約2年半オムロンに出向。その後フリーランスを経て有限会社キートンを設立。メーカーとの直接取引にこだわり、三洋電機のVCRの取扱説明書などを制作。次第にホームページ制作に仕事の軸を移し、今はWebシステム開発も。趣味は考古学と犯罪心理学と食虫植物。遺跡の発掘調査現地説明会を「ありのまま」伝える現説公開サイトを20年余り前から運営。HIV感染者 / エイズ患者の支援をライフワークとする。
公開:
取材・文:河本樹美氏(オフィスカワモト)
*掲載内容は、掲載時もしくは取材時の情報に基づいています。