これまでも、これからも、棚から落ちてくる「ぼたもち」は全てゲットする
クリエイティブサロン Vol.248 崎原奈々香氏

2018年に独立後、「書道アーティスト」という肩書で活動する崎原奈々香さん。個展やライブパフォーマンスに取り組む一方、クライアントワークにも対応し、飲食店の看板や壁画などの制作を手掛けている。今回は、アーティストとクリエイターの境界線をかろやかに飛びこえ、自由に行き来する独自の活動についてお話を伺った。

崎原奈々香氏

映画の街で育まれたアーティストとしての原型

崎原さんが生まれ育ったのは、映画の街として知られる京都市太秦エリア。土地柄、映画制作に携わる役者やスタッフが多く、彼らが熱く映画論を交わす鉄板焼き屋や、珍しい映画専門誌を扱う書店など、街全体に芸術を育む寛容な空気が流れていた。

そんな環境で育った崎原さんは7歳から書道を始めるとすぐさま頭角を現し、日本武道館の書き初め大会で「日本武道館理事長賞」を受賞するなど、数々の賞を獲得していった。また勉学にも励み、府内トップクラスの偏差値を誇る京都公立高校御三家の一つ、京都府立嵯峨野高等学校に見事合格。勉強に勤しむ日々を送った。

アートの世界に出会ったのは、ちょうどこの頃のこと。高校の美術部に入り、「絵画を描くことが得意だ」と気づくと関心を深め、卒業後は美術大学へ。油絵を専攻し、さまざまな画風の絵画に挑戦しながら実力を磨いた。書道と絵画、2つの表現方法を持つ書道アーティストとしての原型は当時作られたと言っていいだろう。

安定した生活を捨てアパレル業界から転身

その後、アパレル企業の販売員として働く傍ら、書道アーティストとしてイベント出演や制作活動に取り組む日々を送った。

転機となったのは、あるフェスティバルに出演した時のこと。筆で墨文字を書きながら夢中でパフォーマンスをしていると、観客の一人が泣いていることに気付いた。

「たぶんパフォーマンスの熱量の高さに感動されたのだと思います。その姿を見て私も『書道には、人の心に何か訴えかける力がある。やっぱりこれを仕事にしたい!』と強く意識するようになったんです」

その思いが原動力となり、2018年10月にアパレル企業を退社。当初は、未知の世界に飛び込み戸惑いもあったが、交流会に参加して人脈を広げたり、友人の飲食店で壁画を描いて実績を作ったりと地道な活動を続けた。

また、これまでの経験が生かされることもあった。実は崎原さんはアパレル企業に勤めていた頃、店長として運営面を全て担当し、グループ店における「ベスト優秀店長賞」を受賞するなど数々の優秀な成績を修めている。当時培ったマーケティングスキルや、数値目標を設定し事業成長を追求する能力は、独立後、仕事を軌道に乗せる上でおおいに役立ったそう。「商売が上手い」という自身の強みを再確認することとなった。

書道と絵画という多彩な表現方法を巧みに使いこなす「表現者」としての一面と、売上を意識し的確なアプローチで結果を出す「経営者」としての一面。その両面を上手に作用させることで、書道アーティストとして独自の立ち位置を確立していったのである。

ライブペイント中
2023年1月3日、リノアス八尾で行った新春ライブパフォーマンス。家族連れの多い会場に合わせて、子どもにも分かりやすいポップなテイストに。

口コミで仕事が舞い込む秘訣

こうして数々の案件を請け負うようになった崎原さん。サロン会場のプロジェクターには、勢いのある墨文字の書かれた掛け軸や、今にも突進してきそうな疾走感のある牛の絵画、また、まるでRPGの世界に迷い込んだようなカラフルで幻想的な壁画など、数々の実績が映し出された。

その中で特に参加者を驚かせたのが、画風の多様さ。自身の作風に捉われず、クライアントのオーダーに合わせて器用にタッチを変え、あらゆる世界観を描き出す。その表現力は実に豊かだ。

崎原さんによると、これは美大に通っていた当時、あえてジャンルを特定せず幅広い絵画に取り組んできたおかげだそう。また、クライアントの要望を的確に捉えるためヒアリングには時間をかけており、双方のイメージが明確に共有できるまで何度も話し合いを重ね、必要であればクライアントのSNSを全て確認し、人柄や好みを確認することも。仮に完成品がイメージと異なった場合は、「自分のスキルが足りなかった」と捉えて描き直すという。

こうした仕事ぶりが認められ、口コミによって飲食、教育、スポーツ、旅行とさまざまな業界から案件が舞い込む理想的な状況を生み出している。

作例
放課後デイサービスから依頼を受けて壁画を描くことも。発達に遅れのある子どもたちを支援する療育の考えを取り入れ、よく見ないと見つけられないモチーフをこっそり隠すなど、細部にまで細やかな工夫がなされている。

壁画によってクライアントの集客・売上に貢献する

現在、崎原さんが活動の中で最も力を入れているのが、飲食店や施設の壁面に墨文字やイラストを描く壁画の仕事だ。大型な依頼であれば高さ3m、幅7mに及ぶものもある。

崎原さん曰く、壁面に絵画を描くことで、どれだけ空間に変化を与え、集客や売上に貢献できるか実証したいそう。「壁画の効果が認められれば需要が増え、他のアーティストにも依頼が入ります。そうすれば、アーティストが収入を得ながら自分の作品を披露するチャンスが増えると思うんです」と周囲への影響も意識している。たしかに、あらゆるシーンで「インスタ映え」が求められる今の時代、壁一面に描かれるダイナミックな絵画はそれだけで店の良いアピールになるだろう。

実際、壁画を担当したお店の中には、アクセスが不便な立地でありながら予約がとれない人気店や、YouTubeでバズったお店もあり、クライアントから「2店舗目を出店するから、また描いてほしい」「別の店舗の壁画も描いてほしい」と再依頼を受けることもしばしば。リピート率が80%を超えるというから、やはり壁画の効果が集客、売上に良い影響を与えているのだろう。

崎原奈々香氏実績
ボクシングの“亀田三兄弟”の父親・亀田史郎さんがオーナーを務める会員制鉄板焼き屋「46キッチン」の壁画を担当。力強いタッチで仕上げた龍は、獅子を彷彿とさせる勇ましい表情が目を引き店内でも圧倒的な存在感を放つ。

「棚からぼたもち」という言葉の意外な解釈

サロンの最後にあたり、崎原さんは感銘を受けた考え方として、「棚からぼたもち」ということわざを紹介した。一般的に、この言葉は「思いがけずラッキーな出来事が起こる」というニュアンスで使われるが、高校野球の名門・明徳義塾高等学校の馬淵史郎監督の解釈は少し違う。監督曰く「ぼたもちはいつ落ちてくるか分からない。だからこそ、いつでも動けるように普段から入念な準備が必要」だそう。

崎原さんはこの言葉に自身の軌跡を重ね、「私は今まで高校も希望通りの学校に合格できたし、アーティスト活動もすぐに軌道に乗って自分はラッキーだと思っていました。でも、よく考えると、『ちゃんと準備してきた』ということに気づいたんです。高校受験のために必死に勉強したし、アーティスト活動もアパレル企業で店長として努力してきたからこそ。いつでも動けるよう常に準備してきたから、今まで落ちてきたぼたもちは一度も逃したことがないと思っています」と語った。

たしかにチャンスは、自分の都合のいいタイミングでやってこない。急に訪れるチャンスをものにできるのは、到来を信じて常に全力で挑み続けた者だけだ。これまでの順調なアーティスト活動、クライアントからの高い評価は、崎原さんがいつくるか分からないチャンスを信じて努力し続けた証なのだろう。そして、その姿勢は過去、現在を貫き、未来へとしなやかに繋がっていく。「これからも万全の準備をして、落ちてくるぼたもちは全てゲットするつもりです」。崎原さんは力強い言葉でサロンを締めくくった。

イベント風景

イベント概要

書道と絵画と高校野球。好きなことを追い続けたら棚からぼたもちが降ってきた。
クリエイティブサロン Vol.248 崎原奈々香氏

「絵を描くことと字を書くこと。せっかく両方できるんだし、これを生業にできたらいいなー。そして春と夏は好きな時に甲子園に行って高校野球を観戦したいなー」
そんなゆるい考えから、4年前にアパレルショップの店長という安定した仕事を辞め、アーティストという未知の世界に飛び込みました。一見遠回りしているように見える私の人生ですが、遠回りしたからこそ見えた世界と、活動していくうちに知っていった「棚からぼたもち」という言葉の真意についてお話しさせていただきます。

開催日:

崎原奈々香氏(さきはら ななか)

書道アーティスト 奈々香

京都市出身、大阪府在住。7歳の頃から書写を習い、日本武道館書き初め大会 日本武道館理事長賞をはじめ数々の受賞歴を持つ。その後、嵯峨美術短期大学に進学、油絵を専攻する。書道と絵画を並行して学び、固定概念にとらわれることのない新しいアートの形を追求するとともに、現在は関西を中心に、各種イベントでの書道パフォーマンスやライブペイント、看板や名刺の揮毫やウォールアートなどを手がけている。

https://www.mebic.com/cluster/shodo-artist-nanaka.html

崎原奈々香氏

公開:
取材・文:竹田亮子氏

*掲載内容は、掲載時もしくは取材時の情報に基づいています。