場の空気を動かす達人。紙芝居師ガンちゃんの過去・現在・未来
クリエイティブサロン Vol.241 岩橋範季氏
「カーン、カーン、カーン、カーン!」。サロンの会場内に拍子木の乾いた音が響き渡る。今回のクリエイティブサロンは紙芝居師ガンちゃんこと岩橋範季氏が登壇。「トークを前に、まずは紙芝居を見ていただきましょう」と実演が始まった。当日、披露された紙芝居は「口裂け女対尻裂け男」など奇想天外な作品。ユーモラスなビジュアルと、ときに軽妙に、ときに迫力満点に繰り広げられる語り口調に参加者は引き込まれていった。そんな岩橋氏が紙芝居に引き込まれた経緯や現在の仕事、未来に向けた新しい活動について語っていただいた。
ハローワークで見つけた紙芝居師の仕事。内弟子を経て独立。
岩橋氏が紙芝居に興味を持ったきっかけは小学生のとき。両親の友人の娘さんが創作した物語を子守歌代わりに聞かせてもらったり、夏休みに101冊の本を読破したりして、物語づくりに興味を持ったという。その経験が紙芝居づくりの基礎になっている。中学に進学してからは仲間の関心を集めるために友人いじりを始めるが、その行動が先輩やクラスメイトに「鼻につく」と目を付けられ、学校の裏に呼び出されたという。落ち込んだ岩橋氏は、それまでの自分の行動を反省し、他人を傷つけずに面白いことをしようと心がけた。
高校時代はボケることばかりに全精力を集中。「視力検査で右や左ではなく黒と答えてみたり、卒業式で女装して父兄席に座り名前を呼ばれてから大声で返事をして立ち上がったこともあります。あのときは爆笑でしたね」と笑う。卒業後の進路はお笑いの道も考えたが、小学校時代に物語づくりに興味があったことを思い出し、東京の脚本家スクールに入学。上野の麻雀店で住み込み、ピザ店でアルバイトをして生計を立てていた。
「ピザ店の仕事が面白く、脚本の勉強そっちのけで働いていたところ、金沢の新店舗をまかされることになりました。3年間、金沢で昼も夜もなく働いた後、帰阪し、もう一度、脚本家の道をめざそうと尼崎の演劇学校に通って脚本の勉強を始めました。その傍ら、時間が空いたときにアルバイトをしようとハローワークで職を探したところ、紙芝居師の求人を見つけたんです。結果的に採用はされませんでしたが、紙芝居師の師匠が主宰する勉強会に参加。紙芝居の話を聞いたり実演を見たりしているうちに、魅力にはまっていきました」
そして紙芝居の師匠の家に住み込み内弟子に入ることになる。
「給料は0円ですが、寝る部屋と食事付き。家族のように自由に振舞っていました。また師匠が仕事で出かけるときには運転手兼雑用係として同行し、仕事がないときには犬の散歩に出かけたり、師匠の息子とバスケットボールをしたりして遊びまわっていました」
内弟子といえば、芸や礼儀作法を厳しく叩き込まれるというイメージがあるが、岩橋氏は師匠から紙芝居の指導を受けたり、礼儀作法について注意されたことはほとんどなかったという。
「師匠の紙芝居を間近で見て話し方や間を覚え、企画書をパソコンで作成して考え方を肌で学びました。そんなゆるい内弟子生活に満足していましたが、このままここにいても自分の作品を作れるわけでもなく、師匠の息子や娘も紙芝居をしていたので、自分の出番は回ってこないと考え、約半年で独立を決意しました」
イベント出演や企業からの依頼で紙芝居を制作・実演。
独立後は仕事を獲得するために苦労したのではないだろうか。
「紙芝居一本では生活はできず、5~6年間はアルバイトを続けましたが、苦労とは感じませんでした。最初の仕事依頼はSNSからです。新郎新婦の出会いから結婚までを紹介する紙芝居を作りました。また、通天閣の下で紙芝居を実演したところ、キン肉マンの作者のゆでたまごさんとつながりコラボ紙芝居を制作したこともあります」
紙芝居というと、公園に子どもたちを集めて披露するという光景を覚えている人もいるだろう。しかし現在では、そのような紙芝居はボランティアの方が担っており、岩橋氏はビジネス目的の紙芝居を担当。イベントの出演をメインに企業や自治体から販促・広報ツールのひとつとして紙芝居の制作・実演を依頼されている。たとえば地球温暖化防止推進活動をPRする紙芝居や、化粧品の成分を全国の販売店のビューティーアドバイザーに説明する紙芝居などが代表例だ。ストーリーづくりから丸ごと請け負うケースや、クライアントからシナリオを受け取り、絵のみを制作することもあるという。
「動画や印刷物は、しっかりと内容を盛り込む必要がありますが、紙芝居ならストーリーをかなり省いても、受け手の方で想像を膨らませてイメージをつくりあげてくれます。また、動画よりも比較的コストを低く抑えられます。それが紙芝居を使った販促・広報ツールの強みです」
紙芝居は生きもの。本番でこそ上達する。
紙芝居といえば“絵”が命。岩橋氏は、どのようにして絵を描けるようになったのだろうか。
「中学時代に先生の似顔絵を落書きしていたぐらいで、得意ではありませんでした。本格的に描き始めたのは独立後です。当時は自分が絵を描けないということも分からず、絵がうまいと思っていました。今見ると、すごく恥ずかしいレベルですね。でも当時に比べて、だいぶ上達し、今でも成長していると思います」と笑う。
一方、ストーリーはどのように考えているのだろうか。
「事前に構成を考えてしまうと予定調和で面白くなくなるんです。絵を描きながら次の展開を考えた方が面白くなります。また紙芝居の練習はほとんどしません。練習をしすぎると型にはまってしまい、お客さんの反応が悪いんです。大切にしているのはリアルな臨場感。当日のお客さんの年齢層や性別、会場の広さ、場の雰囲気などを考えて取り上げる出しものや話し方を変えていきます。紙芝居は生きもの。本番をこなしてこそ上達します」
このようなイベントでの実演の他、動画やオンライン配信の依頼も増えているという。
「リアルとオンライン配信の違いは、場の空気を動かせるかどうか。オンラインは空気を動かせないので内容で勝負します」
若者を巻き込み、紙芝居界を盛り上げたい。
岩橋氏は紙芝居界の未来を拓く新しい動きも始めている。「大阪市紙芝居師100人プロジェクト」という紙芝居師を育てるワークショップを2年前から始め、既に十数名の若者が紙芝居師として活躍している。また、来年2月には小学校高学年の生徒を審査員にした紙芝居コンクールを開催する予定だという。
さらに岩橋氏は自主制作の作品づくりにも積極的で、YouTubeの「社会の窓チャンネル」でオリジナル作品を発表。「いま興味があるのはAI自動作成アプリです。テキストからAIが画像を検索し、自動で紙芝居をつくってくれます。すでに桃太郎や三匹のこぶたなどを制作しています」
このようにイベント出演や企業案件、そして後進の指導と紙芝居界を盛り上げようと八面六臂に活躍する岩橋氏。トーク終了後、岩橋氏の周りには参加者が集まり、絵を描く手法などについて質問が相次ぎ、話が盛り上がっていた。紙芝居をしていないときも場の空気を作り出す力が岩橋氏には備わっているのだろう。
イベント概要
紙芝居屋として生きていく
クリエイティブサロン Vol.241 岩橋範季氏
なぜ紙芝居屋になろうと思ったのか? どこで紙芝居という仕事に出会ったのか? どうやって紙芝居屋として食ってきたのか? 世の中の紙芝居の先入観を変えていきたい、紙芝居界の革命児。汗と涙と笑いとサスペンスたっぷりの物語。
開催日:
岩橋範季氏(いわはし のりき)
紙芝居屋のガンチャン
一般社団法人社会の窓社 代表理事
ニッポン全国街頭紙芝居大会2018大賞受賞。全国のイベントなどで活躍している昔ながらのスタイルの紙芝居屋さん。演目は全てオリジナルの紙芝居。子どもからお年寄りまで幅広く楽しめる作品。今までに作成したオリジナル紙芝居は300作を超える。シアトル、ニューヨーク、メキシコ、台湾、ベトナムなど海外のイベントにも招待されるなど、紙芝居を通じての国際交流にも力を入れている。代表理事を務める一般社団法人社会の窓社では、紙芝居屋の育成やサポート、紙芝居を通じての社会貢献、子ども達の発想力を引き出す活動なども行なっている。
公開:
取材・文:大橋一心氏(一心事務所)
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