今、改めて思う「学び続けること」の大切さ
クリエイティブサロン Vol.239 上田寛人氏

サロンが始まるやいなや、前方のスクリーンにQRコードが映し出される。

「人前に出ると緊張するんです。だからみなさんからリアクションが欲しくて」と話すのは、今回の登壇者、上田寛人さん。参加者がスマホなど手持ちのデバイスでQRコードを読み込むとコメントの入力画面が表示され、打ち込んだコメントがスクリーンにリアルタイムで映し出される。

ウェブサイトをメインにデザイン制作をする一方で、様々な教育機関で講師としての活動や書体に関わる活動を続ける上田さん。スクリーンに映し出されるコメントに応えながら、というインタラクティブな形で、これまでの経歴や現在の想いなどをたっぷりと語っていただいた。

上田寛人氏

社会人一年目、フリーランスとしてのスタート

「世間のはみ出し者だったんですよ」と語り始める上田さん。1999年、大阪芸術大学・芸術計画学科を卒業。時はバブル崩壊後の「失われた20年」と言われる就職氷河期の真っ只中。求人倍率は大幅に下落し、就職先が決まらない学生があふれていた時代だ。

「いわゆるロスジェネ世代で、大学卒業後すぐに就職できなくてね。でも自分にできることはデザインしかない。それならもう就職せずに、フリーランスとして食べていこうと決めました」

周囲の友人らがサラリーマンとしてスタートを切る中、自分で決めたことだからと覚悟を決めて行動に出る日々。アルバイトをしながら架空の案件を設定してはツールを制作し、ポートフォリオにまとめ、それを片手に飛び込み営業に挑んだ。

「今思えば、本当によくやったなぁと思います。ただ、当時はインターネットの幕開け時代でもあり、社会にイノベーティブな雰囲気があったように思います。引きこもっている場合じゃないと、積極的に人に会いに出かけていました」

努力の甲斐あって人脈も広がり、専門学校の広報ツールの作成やECサイトの構築などの仕事を手がけるようになる。そこに一つの転機が訪れた。当時通っていたインターメディウム研究所(以下IMI・現在は大阪国際メディア図書館)の恩師であり、日本を代表するグラフィックデザイナーの一人、奥村昭夫氏との出会いだ。2008年、奥村氏が特任教授として教鞭を執ることになった京都大学学術情報メディアセンターで、非常勤職員として約3年間、ウェブサイト構築チームに加わった。

「主な仕事は、大学のメインサイトの構築やe-learningシステムの構築テスト、他大学との遠隔授業のためのツールテストなどでした。一方で奥村先生はデザインを学問として学生に教えられていました。今でこそ多くの分野で“デザイン思考”に注目が集まっていますが、当時はまだ珍しいことだったと思います」

「京都大学研究資源アーカイブ」。非常勤職員をしていた頃から運用に関わってきたウェブサイト。2020年に大幅なリニューアルを行った。

教えることは自身の知識と技術の棚卸し

これまでクリエイティブに関わるさまざまなことをしてきたと語る上田さん。仕事のもう一つの柱として位置づけるのが、講師としての活動だ。最初のきっかけは京都精華大学事務局のキャリア支援チームからの依頼だ。学生が就職活動をするためのポートフォリオ制作の指導を任された。

「クリエイターを志望する学生にとって、ポートフォリオは自分を知ってもらうための大切な資料です。それは若い頃に私自身が実感してきたことです。その経験を生かし、美しく見やすい作品のまとめ方を丁寧に指導しました」

そこで教える仕事の楽しさを知った上田さん。その後、カルチャースクールや専門学校、他大学でも講師を務めるようになった。

「今、高校卒業資格が取れる専門学校でも講師を務めているんです。中学校を卒業したばかりの15歳くらいの子どもたちにデザインを教えています。彼らの視点はとても純粋。私自身も彼らと同じ目線に立って“デザインとは何か”を改めて見つめ直しています。それは“デザインとどう向き合っているか”という自身へ問いかけでもあると感じています」

さらに「教えることは棚卸し作業に似ている」と語る上田さん。

「まず自分の持つ知識や技術を把握すること。その上で相手が理解できるように内容を再構成すること。“理解できるはず”という先入観を持つのではなく、どう伝えれば理解できるのかという歩み寄りの姿勢を忘れたくないと思っているんです。私もかつて多くの方々からたくさんのことを教えていただいた、その恩返しだと思ってね。同時に、自分自身の知識量を増やしていくことも不可欠ですね」

「大阪大学社会技術共創研究センター(ELSIセンター)」。ロゴ、ビジュアルアイデンティティ(VI)、パンフレットなど各種ツール、Webサイトなどビジュアルに関わる広範囲の制作に携わった。

書体について学ぶことから生まれたつながり

上田さんが仕事と同時にライフワークとしているのが、書体に関わる活動「もじ活動」だ。パソコンを開けば表示される見慣れた書体。実はその一つひとつが意図を持って設計されたものであり、それぞれに歴史的・文化的背景がある。

「何も知らなかったのに知っているつもりになっていた」と語る上田さんは、奥村氏とIMIの仲間との交流の中で、書体や活字の奥深さを知るようになる。さらに関西にも書体についての学べる場をつくりたいと、2012年、「和文と欧文」という活動を始めた。

「当時は関西のクリエイターが書体について学べる機会は、ほとんどありませんでした。それならと自分で立ち上げ、ゲストを招いて本格的な講座を企画しました」

その年の10月に開催した第一回目の企画には、日本を代表する書体設計士・鳥海修氏と、ドイツ在住の書体デザイナー・小林章氏を大阪に招き、対談講演とワークショップを開いた。大物二人の来阪に、関西で活動するクリエイターたちから喜びの悲鳴があがったという。

「書体に興味がある人にとっては、まさか!と思うお二人を、同時に大阪にお招きできたんです。せっかくの機会なので対談だけではなく、実際に来場者に手を動かしてもらおうとワークショップも行いました。すごく盛り上がりましたよ。その後も鳥海さんには、月に一度のペースで約一年間、教えに来ていただきました。現在でもお二人とはいろいろな形でお付き合いさせていただいています」

その後も様々なゲストを招き、書体についてのワークショップや分科会などを開いてきた。それによってさらに新しいつながりも生まれたと上田さん。その一つが熊本県立大学で日本語学・方言学の研究をする小川晋史准教授らの研究チームとの出会いだ。

「日本各地の方言を研究されている小川先生は、沖縄地方に残る約40種類の諸方言を消滅危機言語と位置づけ、その調査や保存のために尽力されてきました。そして話し言葉として生きている方言を、標準キーボードで入力するための書体の開発を試みられていました。そこでできたのが “しま書体”です。私は広報デザインを担当させていただきました」

しま書体は、当時鳥海氏が代表を務めていた有限会社字游工房で設計された書体「游明朝・游ゴシック」を基本に、各方言が持つ音声に合わせて拡張して開発されたという。2019年、国際タイポグラフィ協会によるカンファレンスATypI 2019 TOKYO(エータイプアイ・A Typeface for Endangered Languages)にて発表され、同会での小川准教授による講演「消滅危機言語のための書体開発」では、上田さんも共に登壇し発表の補助を務めた。

「しま書体」。プロジェクト全体のマネージメントとして関わりつつ、販売サイトの制作などに関わった。書体制作:鳥海修(字游工房) / 書体エンジニアリング:久藤和彦(REALTYPE)

自身を常にアップデートしていきたい

これまで人と会うことを大切にし、人が集まる場を提供してきた上田さん。2020年からのコロナ禍の中、当初は「自分はどう動けばいいのか」と途方にくれたと語る。

「人と会えなくなったからと全てをオンラインで済ませる、というのは何か違うという思いがありました。けれどこの状況下で人を集めてイベントをすることに対して責任を負い切れるのかと問われると、やっぱり難しい。どのような形がいいのか、今はまだ模索中です」

人に会うのが難しいからこそ、その期間を利用して興味の範囲を広げ、自身を再構築してきたという上田さん。

「大人になっても学び続けることの大切さを、最近特に感じるんです。知識を持つことは判断力を高め、アイデアを生み、結果、人から信頼を得る。改めてそう思っています。何歳になっても学び続ける姿勢を忘れずに、自分自身を常にアップデートしていくことって大切ですよね」

時折スクリーンに流れてくる参加者からのコメントを一つひとつ拾い上げ、それに丁寧に応えながら、話は和やかに進められる。「常におもしろくありたい」という上田さんのサロンは、それだけでも十分に個性的で親しみやすい人柄がにじみ出る。コロナ禍の中でも、各地でイベントなどが再開されつつある今、上田さんが今後どのような活動を展開するのか。期待しながら注目したいと思う。

イベント風景

イベント概要

たのしさ、おもしろさ、いま、むかし。
クリエイティブサロン Vol.239 上田寛人氏

大学卒業の手前でバブル崩壊。就職できず、家族は熟年離婚でバラバラ。それでもたのしさ、おもしろさを求めながらデザインをしてきました。最近、学生あがりでフリーランスをする方もちらほら出てきたり、3年程度の経験でフリーになる方もおられると思います。そんなみなさんに、バブル崩壊からコロナ禍まで思うこと、僕が経験してきて実践してきたたくさんの「笑い話」と「何を・どう考え、走り抜けて」今があるかをお話ししたいと思います。みなさんとの新しい「出会い」と「交流」が私とみなさんの力になるように。

開催日:

上田寛人氏(うえだ ひろと)

coban.lab
デザイナー

1976年生まれ。大阪芸術大学卒業後、フリーランスデザイナーとして活動。専門学校の広報や福祉施設のパンフレット制作、大手スポーツメーカーのサイト構築などを手がける。2007年から京都大学学術情報メディアセンターコンテンツ作成室にて、Web技術を中心に使いやすいデザイン、デザイン情報アーキテクチャ設計を意識したコンテンツ作成を行う。 2010年5月、京都大学の業務を終了、フリーランスとして活動再開。デザイン制作活動のほか、大学で講師として学生のポートフォリオ制作の指導も行う。また、タイポグラフィのイベント「和文と欧文」を有志とともに企画。タイポグラフィ関係の勉強会やイベントを開催し普及に務めている。

https://www.mebic.com/cluster/cobanlab.html

公開:
取材・文:岩村彩氏(株式会社ランデザイン

*掲載内容は、掲載時もしくは取材時の情報に基づいています。