遠回りしてきた道のりは、全部無駄じゃない。
クリエイティブサロン Vol.231 蛭間典久氏

今回のゲストスピーカーは、プロダクトデザイナーの蛭間典久氏。遅まきのキャリアスタートながら早くして独立に踏み切り、多くのクライアントの信頼を獲得している。サロンでは蛭間氏ならではの強みと、そこに至るまでの通過点での経験、そして原点に根差したこれからの展望について語った。

蛭間典久氏

30歳を目前に、一念発起して畑違いの道を志す

大学で商学を学び、地元和歌山の商工会議所に就職。経営促進部ではマル経融資の相談や、商店街活性化のためのイベント企画、総務企画部では広報誌の制作などにも携わった。商工会議所に勤めて5年目、仕事の休憩時間に隣の書店で立ち読みをしたことが、プロダクトデザイナーをめざすきっかけになった。「世界の椅子を紹介する書籍で、デンマークのアルネ・ヤコブセンがデザインしたエッグチェア、セブンチェア、スワンチェアといった名品を見て、デザイナーになると決めました」

機能性と洗練されたデザインの融合に魅せられ、衝動的とも言える決断力で商工会議所を退職。28歳で東京の桑沢デザイン研究所・プロダクトデザイン専攻の夜間部に入学した。インテリアデザインではなくプロダクトデザインを選んだのは、こちらの方がデザイナーとしての間口が広く、後々インテリアデザインに携われる可能性もあるかもしれないという思惑からだ。

「絵を描くのは好きでしたが、パースも何もわかってなかったので実技の試験はボロボロ。面接でやる気を見せてなんとか入学できました。入学時は下から2番目ぐらいの実力でしたね」。28歳はクラスの中でもほぼ最年長。遅まきスタートのビハインドを巻き返すために2年制のコースを選んだが、短期間に詰め込まれたカリキュラムをこなすのは難しく、40名いた生徒が卒業時には半数に減るほど。そんな厳しい環境に身を置きながらスキルを磨き、無事に卒業した。

「FRITZ HANSEN」「louis poulsen」「BoConcept」「BANG & OLUFSEN」といったデンマークブランドのインテリアに囲まれた蛭間氏の自宅リビング。

道のりのすべてが支えとなり独立へ

卒業後は大阪のデザイン事務所で3ヵ月ほど勤めたのち、パナソニックのテレビ事業部に転職した。ほとんど実績もないのになぜ大企業の目に留まったのか。「ダメもとで受けてみましたが、面接で『今パナソニックはヘンなやつを求めてる』と言われて、商工会議所に勤めていた経歴が効いたみたいで採用までトントン拍子。本当に運が良かったと思います」

こうして海外向けのテレビをデザインする部署に配属。ここでの実務経験から多くを学んだ。「デザインから設計部へ回したデザインが、製造の際の金型の都合で変更されて返ってくることがありました。すると当時の上司は、最初のデザインのまま形にできるよう自分で金型の図面まで引いていました。デザインを通すにはここまでしないといけないんだと、勉強になりましたね」。プレスや射出成形用の金型、製造工程まで想定することもデザインのクオリティに関わる。この学びが独立後、大いに役立つこととなる。

5年勤務したのち、家庭の事情で家業を継ぐためパナソニックを退職することに。しかしプロダクトデザイナーとしてのキャリアを捨てられず、独立を決意した。開業にあたってまず訪れたのは商工会議所。事業計画を作成して融資を受け、切削機や光造形3Dプリンターなど設備投資の資金を賄うことができた。自身が働き有効な利用法を熟知していたことが、ここにきて活かされた。

また大阪で最初に入社したデザイン会社での経験も、デザイン料を決める目安や仕事の進め方の基礎となっている。商品撮影を自身でこなせるのは、商工会議所を退職してから入学までの約半年間、ブライダル映像制作会社でムービー編集のアルバイトをしていた際にスチール撮影のノウハウも学んだおかげ。「独立に至るまで遠回りしているように見えるかもしれないけど、今のところ全部無駄にはなっていません」

作例
独立後に蛭間氏がデザインを手掛けた製品。ドイツ車のスターターキー(左上)、マット塗装車の洗車用純水器(右上)、家庭用EMSマシン(左下)、バラの形に成型した鉋屑にエッセンスオイルを染み込ませるアロマディフューザー(右下)。機能、内容物、使いやすさなどを踏まえ、課題に対するソリューションとなる形をデザインする。

デザインだけに終わらない提案・対応力

蛭間氏は「ぼくが仕事をいただけているのは、金型について理解しているから」と言う。金属をプレスしたり樹脂を成型するための金型は、製造段階において大きなコスト要因となる。シンプルな箱型を成型するだけなら数十万円で済むところが、横に穴を開けるだけでスライドコアという機構が加わるため、金型が複雑になりコストがかさむ。また金型の大型化もコストに影響し、百万円単位の費用がかかることもあるのだ。

メビックを介して蛭間氏が協同したWIZAPPLYのVRモーションシミュレーター「ANTSEAT」のデザインを例に、その違いを見てみよう。当初は筐体の前後左右に違った形の穴を開け、上下に別れた2パーツを組み上げるデザインだった。その案では金型が大型化するため、金型費だけで300万円かかる。対して採用となった案では前後左右の穴を同じ形状にそろえ、同型の8パーツを組み上げるデザインにした。これなら小さな1つのパーツを作るだけなので金型費は60万円、たった1/5だ。デザインがコストの上下を決め、製品化できるか否かを左右する要素にもなる。「金型の許容範囲内でどれだけいいデザインができるかも、プロダクトデザイナーの腕の見せどころです」

時には金型の図面を引き、成型後の組み立て手順の説明書まで作成。また屋外で使う製品であれば耐候性の強い素材、薬品を容れるなら耐薬品性の強い素材など、用途に応じた素材を提案する。機材があるので自身で試作品を製作し、形にした上で吟味、デザインをブラッシュアップできる。デザインだけでなく、デザインに付随するアレコレをこなしてしまえるのが蛭間氏ならではの優位性だ。「グラフィックデザインにも挑戦してみましたが、ぼくは才能がないみたいです(笑)。でもメビックの知り合いを通せば、その分野にもアプローチができる。得意なことはするけど、全部をする必要はありません。他を仲間にお願いしてどれだけ埋めていけるかも大切だと思います」

ANTSEAT
クッションのように敷くことでVR映像に連動した動きを体感できる「ANTSEAT」。筐体を上下2パーツで構成すると座面まるごとサイズの金型が必要になるが、1つのパーツを上下に回転させ8個組み上げる方式にすることで小さな金型になり、費用を抑えられた。

目標は原点であるデンマークへの挑戦

蛭間氏の住まいはデンマーク製のインテリアであふれている。プロダクトデザイナーとしての原点であるエッグチェアもデンマーク製。だから選んだのかというとそうではない。たまたま気に入ったものがデンマーク製ばかりだったそう。日照時間が短く冬の寒さが厳しいデンマークは、家に籠ることが多い土地柄だ。限られた空間でいかに快適に過ごせるかを追求したインテリアデザインは、温もりや心地よさを感じさせるだけでなくワクワク感も掻き立ててくれる。その魅力に取り憑かれ、新型コロナウイルス流行以前は年に1ヵ月ほどデンマークに滞在するのが習慣だった。気に入った椅子を見つけたらひっくり返しては観察し、何がいいのかを分析したり、若手デザイナーの作品が並ぶショップで刺激を受けたり、蛭間氏にとって至福の時間だ。「ゆくゆくはデンマークで仕事をしたい。さらに言えば家具のデザインもしてみたいですね」と将来の目標を定めている。ディスプレイされたエッグチェアの隣に、蛭間氏がデザインした椅子が並ぶ日が来ることを期待したい。

イベント風景

イベント概要

30歳を越えてからデザイナーになった男の今までとこれから
クリエイティブサロン Vol.231 蛭間典久氏

今年で38歳になりますが、デザインで生活ができるようになったのは31歳の時で、それまではクリエイティブとは縁のない官公庁の仕事で、パースやRといった基本的な言葉すら知りませんでした。「仕事はプロダクトデザイナーです」と言えるようになってまだ7年程。今年で独立して4年目になりますが、独立するまでの実績も4年程度。そんな自分がなぜなんとかやっていけているのかを考えたときに、おぼろげに見えてきた「理由」と「大事にしていること」についてお話しさせていただければと思います。

開催日:

蛭間典久氏(ひるま のりひさ)

n8 Design Studio
プロダクトデザイナー

1984年生まれ、和歌山県出身。大学卒業後、官公庁の仕事に就いたがデザイナーになるため28歳で退職し上京、桑沢デザイン研究所プロダクトデザイン専攻に入学。桑沢卒業後、31歳で関西に戻り、大阪のプロダクトを中心とするデザイン事務所でキッチン家電、パナソニック株式会社で欧州中心に販売されるテレビ、プロジェクター、サウンドバーのデザインを担当し経験を積む。2018年にパナソニック株式会社を退職後起業し、現在は建設用重機から生活雑貨まで幅広いプロダクトデザインに関わる。

http://n8-designstudio.com/

蛭間典久氏

公開:
取材・文:東原雄亮氏(CHUYAN

*掲載内容は、掲載時もしくは取材時の情報に基づいています。