仕事を生みだし人生を面白くする「人のつながり」とは
クリエイティブサロン Vol.228 中 直照氏

第228回目のゲストスピーカーは、インタビュー取材を中心にライティングからコンテンツの企画制作まで、幅広く活躍中のライター・中直照氏。ライターとしてのキャリアをメビックでスタートさせているだけに、「今の自分があるのも、ひとえに人とのつながりのおかげ」と話す。クリエイティブの道へ進むきっかけ、メビックでの出会い、そこから生まれた仕事など、これまでの歩みを振り返りながら「人のつながり」の大切さについて語った。

中直照氏

大学時代の経験が、今の仕事に興味を持つきっかけに

大阪市内で生まれ育った“生粋の大阪っ子”である中氏。大学進学では、開学して間もない大学に入学した。

「三期生だったのですが、卒業生もいない真新しい状態がなんだか面白そうだなって」。ここで、編集や制作に興味があったという中氏は、学内誌をつくるサークルに入り、学園祭のパンフレットや新入生に配る冊子などの制作に取り組むことに。

そのなかで、ひとつの出会いが訪れる。大学の印刷物を手掛けていた印刷会社が、大学案内パンフレットに学生が参画することを提案。その企画への参加に手を挙げ、本格的な編集作業の一端を経験することになる。

「この出会いが、今の仕事に興味を持つきっかけになったのかな」と振り返る中氏。この大学案内を手掛けた印刷会社に入社し、社会での第一歩を踏み出した。このスタートから、中氏の出会いの歴史、人とのつながりの歩みは始まったとも言えるだろう。

培った経験と知見、人との出会いが、次の道を拓いていく

印刷会社の営業職として社会人としてのスタートを切った中氏だが、徐々に「大学で学んだマーケティングの知識を活かせる仕事がしたい」という思いが強くなり、マーケティングや市場調査を担当する会社に転職。調査票作成や営業手法を学び実践するなかで、京阪神エルマガジン社と出会う。「雑誌に付いていた読者ハガキを使ったマーケティングをサポートしていました。ある時、編集スタッフを募集していることを知り、選考を受けたら合格して」。こうして『Lmagazine』の編集として入社し、初めてクリエイティブの世界に足を踏み入れた。

そんな縁で雑誌編集の世界に入り、その後は女性向けフリーペーパーを発行する会社で編集者として働くことに。しかし当時は、人々の情報収集手段の主役は紙媒体からWebコンテンツへ移行しつつある時期だった。

その後、かねてから紙媒体業界の現状に危機感を感じていた中氏は、中堅ゼネコンで営業ツールやTVCMやパンフレットなどの販促物などを制作する営業企画職というこれまでと大きく異なる世界に転職。その際、採用してくれた上司こそが、後に独立のきっかけとなり、メビックと中氏をつなげてくれることになるのだから、まさに縁とは不思議なものだ。

その後、上司の独立・起業を機に自らも独立を決意したものの、独立当初は仕事のアテもないゼロからのスタートだったという中氏。元上司を頼って身を寄せたのが、当時、大阪市北区南扇町の水道局庁舎内にあった、インキュベーション施設・メビック扇町だった。

『OGIMACHI CREATORS 2009』6ページ
人とのつながりが生まれたメビックとの出会い。起業の背中を押してくれたのもメビック時代の仲間の一言だった。

クリエイター取材のなかで確立した、自分のスタイル

最初は元上司の仕事を手伝いながら自身の仕事を増やしていき、メビック扇町には2008年10月から水道局庁舎解体に伴って閉館される直前の2010年1月までの約1年3カ月入所しており、入所期間中はさまざまな活動を通して数多くの人とつながっていった。「メビック扇町卒業後も含め、数ある活動のなかで大きな影響を受けたのが『この街のクリエイター取材班』での活動でした」と中氏。50組以上もの起業間もないクリエイターと出会い、さまざまな話を聞いた経験が、確実に今の自分につながっているという。

メビック扇町入所期間中は、「『会社と会社』ではなく、『人と人』でつながる」や「とにかく一人でも多くの人と接する」「自分以外の『誰か』のために『誰か』をつなげる」などを常に意識していたそうだ。その結果、メビック扇町で知り合ってから5年後、10年後に一緒に仕事をした人、10年以上経過した今も関係が続いている人など、多くのつながりが数多く生まれたという。

メビック扇町閉館後は、現在のオフィスがある西区ACDCに移転。「ACDCのオーナーと自分をつなげてくれたのもメビック。ここでできた人のつながりが、さらなる出会いや事業の広がりにつながっていると感じます」

ショートカプチーノロゴ

「人のつながり」を生む仕事を、これまでもこれからも

そして2011年、経営者仲間の言葉に触発され、株式会社ショートカプチーノを設立。さらにネットワークを広げていった。そんな「人のつながり」が、実際にどう仕事に活かされているのか見ていこう。

法人化を支えてくれた会社設立サポート会社に提案したことから始まったのが、サービス利用者である法人設立して間もない経営者の声を発信するWebコンテンツ。このコンテンツは、メビック扇町での取材経験を活かして9年間続き、約200名もの経営者をインタビューした。この取材をきっかけに、多くの仕事のつながりが生まれたという。

さらに、ある現場で一緒に仕事をした人から依頼されたスポーツメーカー・ミズノのブランドサイトでは、アスリートたちやアイテムを開発する社員へのインタビューを担当。勝負の世界やものづくりへの想いに触れることで人のつながりの重要性を再認識すると同時に、ここでの経験は、他の取材現場にも活かされている。

また、メビック時代の仲間からの紹介で、書籍出版にも関わる。地域の魅力的な企業を紹介する『こんな会社で働きたい 大阪編』では、会社の強みや人材採用について企業トップにインタビュー。さらには、ビジネス分野だけでなく大学案内など教育分野でも仕事を展開していった。

実績
さまざまな仕事に取り組む中で、インタビューが自分の強みになると考えた。

さまざまな仕事に携わるなかで、「インタビュー」という領域が自分の強みか特徴になるのでは?と、中氏は考えた。どういう形で実現して外に打ち出していくかを試行錯誤し、出したひとつのアイデアが「導入事例」だ。クライアントにとってのお客様の想いを形にすることで、単なる事例紹介ではなく、発注先と受注先の人間関係を強固にする機会のひとつとしてインタビューを活用してもらうというもの。この取り組みが、人とのつながりをさらに広げつつある。

ライターはディレクターやカメラマン、デザイナーと共同作業しないと成果物が世に出ない仕事。だからこそ、すべての現場で「全方良し」の実現をめざすことが大事で、そうして生まれた「人のつながり」ならば、仕事だけなく趣味や遊びなど人生を豊かにしてくれる、と中氏。「そしてこれからは、“楽しむ”ではなく“面白がる”。“いちびりの精神”を忘れずに面白がって仕事ができれば良いですね」と語る。「謙虚に、地道に、丁寧に。」そんな仕事の向こうに、人とのつながりはこれからも広がっていくだろう。

イベント風景

イベント概要

「人のつながり」で、クリエイティブ業界を生き残る
クリエイティブサロン Vol.228 中 直照氏

専門知識や誇れるスキルを持っていないのに、ひとりでライターの仕事を始めてから15年ぐらいが経とうとしています。それでも、なんとか大阪のクリエイティブ業界の片隅で生き残っている理由を改めて考えてみると、ひとえに「人のつながり」のおかげとしか言いようがありません。特に、メビックで出会った人とのつながりが大きかったような気がします。これまでの「人とのつながり方」やそこから生まれた仕事のほか、ライターとしてデザイナーさんやディレクターさんと一緒に仕事を進める際に、いつも意識していることなどをお話しできればと思います。

開催日:2022年5月17日(火)

中 直照氏(なか なおてる)

株式会社ショートカプチーノ 代表取締役
コピーライター / クリエイティブディレクター

関西の雑誌出版社、京阪神エルマガジン社にて雑誌『エルマガジン』や女性向け媒体の編集を経て、中堅ゼネコンなどで広告宣伝などを担当。その後起業してフリーランスのライターとして活動する中でメビック扇町に入所。2011年には株式会社ショートカプチーノを設立。現在は、【「想いが、見える。」をかなえます。】をコンセプトに、企業経営者やオリンピックアスリートをはじめ、サービスの導入事例や採用関連コンテンツなど、インタビュー取材を中心に取り組んでいる。また、これまでの取材経験やライターとしての視点を生かし、コンテンツの企画や制作ディレクションなども行っている。

https://www.short-c.co.jp/

中 直照氏

公開:
取材・文:山下満子氏

*掲載内容は、掲載時もしくは取材時の情報に基づいています。