CG黎明期から走り続けた30余年、そしてXRの世界へ
クリエイティブサロン Vol.215 松田茂樹氏

昭和60年代のCG黎明期から長野を拠点にクリエイティブ活動を続けてきた松田茂樹氏。これまで3D-CGの先駆者として数々のシミュレーション映像やWebサイトを制作。業界内外で話題を集めた作品も多い。現在は故郷の大阪に戻り活動を展開している松田氏に、30余年のクリエイターの軌跡とともに、これからのIT分野で成長が期待されているXRについて語っていただいた。

松田茂樹氏

旅立ちとファーストコンタクト 某大手広告代理店から、長野の民芸品会社へ

時はバブル景気前夜の1983年。大阪の専門学校に通う松田氏はテレビで見たペンギンズメモリーのCMアニメに心惹かれ、「いつかこんなアニメーション広告を手掛けてみたい」と夢を膨らませていた。卒業後、大阪の某広告代理店にイラストレーターアシスタントとして入社。時代の先端をゆくクリエイター集団の中で、様々な刺激を受けながら数多くの広告物や販促ツールを制作。29歳の夏には結婚を機に退職し、婚約者の健康を考えて水と空気のきれいな自然あふれる信州への移住を計画した。

「結婚前に単身で1週間ほど信州へ行き、ホテルに泊まり込みで求人情報誌や電話帳で就職先を探しました。しかし、当時は広告代理店やデザイン事務所などはほとんどありませんでした。そんな困っていた矢先に、ホテルの“掃除のおばちゃん”に身の上を聞かれて話したところ、『可愛い絵を描ける人を探しているところがあるよ』と地元の民芸品会社を紹介してもらえました」

面接に行った会社の社長は松田氏の作品を見て、「よし採用だ! 明日から来てもらおう。給料は手取りで25万円!!」と即決。松田氏が「大阪に戻って引っ越しの準備もあるので、そんなにすぐには出社できません。もう少し待ってください」と言うと、「何が不満だ!じゃあ給料29万でどうだ?」と返され、簡単に給料を上げる社長の態度が逆に不安になりホテルへ戻ってから入社を辞退する。

しかし、翌朝5時にホテルのフロントから「お迎えの方が来られました」とモーニングコールが……。驚いて窓から下を見るとなんと社長が数名の社員とともにホテル前に10トントレーラー2台で乗りつけて松田氏を迎えに来ていたという。「今から大阪に行って引っ越しの荷物を運ぶぞ。わはは!」と笑う社長に「めちゃくちゃだな」と思いつつ根負けし、1週間だけ準備期間をもらい結婚式を挙げて直ぐに信州へ行くことになった。

民芸品というと熊の木彫り人形や手作り小物というイメージだが、その会社では当時バブル期の潮流から女子高生をターゲットにした可愛いオリジナルキャラクターグッズを制作し、全国各地のファンシーショップに販売展開していた。松田氏はグッズの企画からデザイン、イラスト作画、シルク版作りから印刷・加工までの全工程をほぼ一人でこなしていた。また、シーズンオフには市場調査も兼ねて各アンテナショップへの売り込みまで担当したという。

そんな多忙を極める充実した日々を過ごしていたが、入社から約3年経った冬の帰り道、バイクで通勤中にトラックとの正面衝突。顔など7カ所を複雑骨折して3ヶ月以上の長期入院に。退院間もなく心配する奥さんの意向もあって依願退職することになった。

作例
松田氏制作の作品の数々/商業用ポスターデザインとイラスト、商業・産業用3Dプロダクトデザイン、キャラクターデザイン

アナログからデジタル革命へ 国際的スポーツイベントのWebサイト制作に参画

松田氏は退院後、自宅からバスで通える近郊の広告代理店へ入社。テレビやラジオCMを扱うデザイナーとして勤務する傍ら、松本市のデザイン学校でアルバイトの非常勤講師としても従事。その学校で初めてApple Macintoshというパソコンに出会う。

「それまでの私は機械音痴でパソコンなど使ったことがありませんでした。先輩講師や生徒達がMacでアニメーションを作っているのを見て衝撃を受け、前のめりに話を聞いていると、授業で使わなくなったLC-Ⅱという当時約100万円近くもするマシンを譲ってくれました。ハードディスクは40MB、メモリー4MBと、今では考えられない低いスペックですが、もう夢のような気持ちで。夢中になってアニメーションを作りました」

しばらくは趣味でCGを制作して、操作にも慣れた頃、学校内の縁で簡易保険のCMを制作。その作品が評判となり、次々にCMやNHKニュース番組のタイトルアニメーションの依頼が入り、そして1993年の信州博覧会に出展する企業パビリオンの実像型ホログラムCG映像などを制作。しかし、当時のCG制作は物体の動きや光の屈折、透過、反射率などを計算で導く数学の世界。平面グラフィック制作とは根本的に違う作業で徹夜など苦労も多かった。

作業の僅かな合間には松本市の情報技術試験場でエンジニアが主宰するCG研究会に参加するなどして知識を習得。Macintosh Quadra 900で作ったCGデータをSilicon Graphics O2と言うワークステーション複数台で分散レンダリングする荒技で3つのパビリオン用映像を完成させた。

作例
3D-CG制作画面イメージ、建築景観3D-CGシミュレーション

そうして、長野県のCG界に松田氏ありと言われるようになった1997年、ある団体から声がかかり、1998年に長野で開催する国際的スポーツイベントに関連するWebサイト制作に参加することになる。制作チームには、アメリカやヨーロッパ、中国など世界各国からのクリエイターも大勢集結。松田氏は「長野のことを世界の人に知ってもらうために、観光名所の善光寺をCGで再現し、バーチャルに参拝できるものを作りたい」と片言の英語とジェスチャーを交えて提案したところ、すぐに採用されたという。

「善光寺の本堂は青図面が残ってましたが、仁王門や山門の図面は消失してありませんでした。そこで当時のデジカメで撮影した画像をトレースして図面に起こし3次元データを作成。当時としては珍しいVR仮想現実ウォークスルーに仕上げました」

作品をWebサイトに掲載すると、たちまち評判になりアメリカのタイムズ誌で紹介されるほど国際的にも話題を呼んだという。

国際スポーツイベントの終了後、フリーになった松田氏はその後も長野でWebサイトの企画・制作からアプリ開発、テレビCM用映像制作、イベントムービー、ロードサイン、印刷物、教育用ソフト、プロダクトデザインなど様々なメディアを制作。特殊なものでは交通事故を検証する裁判用シミュレーション映像や、核廃棄処理施設の仕組みを解説するCGなども作ったという。また、Webサイトの制作過程では企画からデザイン、イラスト、モーションデザイン、コピー文、撮影、コーディングまで、全てをこなすというマルチぶりを発揮する。

「取引先様から、『松田さんはデザインだけでなく、イラストも描き、コピーも考えてくれるし、概算見積りもその場で答えてくれるので話が早い』と言われます。また、見積りを提示すると『そんなに安くできるんですか?』と驚かれることもしばしばです」と自身のクリエイティブ姿勢の実情も語ってくれた。

作例
オリンピックメモリアルROMデザイン、バーチャル善光寺3D-CGイメージ

さらなる感動の彼方へ 面白い、楽しいものに首を突っ込み続けたい

長野での生活は2016年まで続いたが、義父の病気を機に38年ぶりに帰阪し、大阪での制作活動をスタート。最近の関心事は「XR」だという。XRとはExtendedreality(現実と仮想の複合環境)の略で、VR(現実から仮想世界に入り込む「仮想現実」)やAR(現実に仮想世界を重ねる「拡張現実」)、MR(現実に仮想世界を複合させる「複合現実」)、SR(仮想世界を現実世界に置き換えて認識させる「代替現実」)をひとつに統合させた技術で、現実世界に存在しないものだけでなくリアルな体感情報も有した未来の表現コンテンツだそうだ。。

XRはビジネスキーワードとして世に出てまだ日が浅い。今年に入って大手家電メーカーや大手通信会社がXRコンテンツを公開しているが、まだまだ実験的な段階で“これぞXR”というコンテンツの事例も少ない。また、XRを制作できるクリエイターやデザイナーも少ないのが現状のようだ。そういう状況の中で松田氏は、XRの先駆者になろうと案件に取り掛かっている。

このように常に新しいものに挑戦する好奇心旺盛な松田氏は今年65歳になったが、とてもその年齢には見えない若々しさだ。初めて就職した大阪の某広告代理店に同期入社したデザイナーからも、「いつまでも少年みたいだね」と言われると笑う。

「現在もVチューバ―、 V ライバーの会に参加するなど、面白いこと、楽しいことに首を突っ込んでいます。これからも新しいこと、面白いこと、さらなる感動シーンを追い求めていきたい」

未来を見つめる松田氏の眼差しは、まさに少年のように輝いていた。

イベント風景

イベント概要

昭和から平成、そして令和からその先へ……。幾星霜のクリエイターが定年で考える、未来のキャリア作りとXRな可能性。
クリエイティブサロン Vol.215 松田茂樹氏

デザイン界に入りずっと学びと驚きの連続! それはきっと未来でも同じなんだと思います。何かを作り続け誰かの役に立てたいこと。自分の行いで、周りの人が今より嬉しいとか楽しいと感じ幸せになってほしい。そう願う気持ちは、絵を描くのが好きだった小さい頃と同じです。昨年帰阪し、住んでた街や環境が著しく変ってるのに衝撃を受け、今も浦島太郎気分です。その反面、胸がワクワク心はドキドキしてて楽しい気もします。というよりそっちのほうが大きい! それは丁度、あのデザイン界にダイブした時と同じ。初めてクレヨンを買ってもらい絵を描き始めた時と同じです。平成にデザイン界でデジタル革命が起きたのと同じように、今、最新のIT技術で次のデザイン世界が拓かれようとしてます。今回のサロンでは、その一端の「XRな未来」について、私の変遷も交えながら語り合えればと思います。

開催日:2021年10月26日(火)

松田茂樹氏(まつだ しげき)

デジタルスタジオ・ドリームビット 代表

昭和バブル期、ペンギンキャラのテレビCMに導かれイラストレーターとしてデザイン界へダイブ。29歳で信州へ移住。地元企業との衝撃の出会いからデザイナーとして事務所を開設してもらい、手作りシルク版のキャラクター商品を企画制作し全国縦断。平成初期のデジタル革命で自身も興味のあったパソコンを使い始め、信州開催の博覧会やオリンピックのコンテンツ制作に参加。海外スタッフとWebや映像を担当。当時では珍しかったVRウォークスルーやホログラムCGがTIMESに載る。平成晩年秋に帰阪。浦島効果に翻弄される中でWeb制作会社へ再就職。インバウンドECサイト等を立ち上げ令和2年に定年退職。現在フリーとして活動中! これからも未来のクリエイティブシーンに向け、一人でも多くのお客様をサポートできるよう全力投球してまいります!

http://dreambit.html.xdomain.jp/

松田茂樹氏

公開:
取材・文:大橋一心氏(一心事務所)

*掲載内容は、掲載時もしくは取材時の情報に基づいています。