7社を渡り歩いた末、フリーランスに。経験を糧に生み出した自分なりの仕事論
クリエイティブサロン Vol.212 藤井かおり氏

教育大の理系学部を卒業し、デザイナーとしてチラシの制作会社に就職。その後、転職を繰り返し7社もの会社を渡り歩いた。やりたい仕事と理想の働き方を追い求め、たどり着いた場所とは。

2013年にグラフィックデザイナーとして独立し「香工房」を立ち上げ、2018年からは「Kaorinko」としてイラストレーターとして活躍する藤井香さんは、雑貨作家や商品開発・販売など多方面で活躍中。会社員時代の紆余曲折や、その経験から導き出した効率よく質の高いデザインを生み出す方法について語ってくれた。

藤井かおり氏

絵を描くことが大好きだった子供時代

小さな頃から絵を描くことが大好きだった藤井さん。中学時代は漫画家をめざしていたという。スライドに映し出された人生の幸福度を示すグラフは、20〜22歳でピークを迎え、その後、急下降。一旦上昇するも26歳でどん底に。なにがあったのか。

絵を描くのが好きだったことから、高校時代は美術部に所属。美大に進学したいと両親に話すも、「才能があれば絵はいくつになってもできる。まずは勉強して普通に働きなさい」と諭される。しかし、母は自営業、父は観光バスの運転手で泊まりが多く、会社に「勤める」というイメージがどうしても沸かなかった。興味があったのは生物と環境問題。やりたいことが決まっていないのであれば教育大はどうかとアドバイスを受け、京都教育大学に進学。アルバイトと部活に夢中の大学時代を過ごした。アルバイト先はフードコート。

元々のんびりしたタイプだったが、工夫を重ねることでスピーディーな対応ができるようになり、後輩や店長に頼りにされることがやりがいにつながった。このアルバイトは「工夫を重ねて効率よく」という現在の仕事のスタイルの原点となった。

深夜までのサービス残業に休日出勤。想像以上のハードな環境に疲弊する毎日

就職活動の時期になり、漠然と「モノを作る仕事がしたい」と広島のチラシ制作会社に就職した。仕事はスーパーやドラッグストアのチラシのデザイン。やりがいはあったが労働環境は過酷そのもの。毎朝8時半に出社し、退社は常に0時を過ぎた。先輩よりも早く帰ることは許されない。ミス防止のため創意工夫は歓迎されず、スピード勝負の「作業」。

土曜も出勤し、徹夜になることもあったが残業代は出ない。目の前の仕事をこなすことに精一杯の毎日に藤井さんはどんどん追い込まれていく。「早く帰って寝たい」「少しでも多く大阪に帰って家族や友人に会いたい」そんなことばかり考えるようになった。作業効率はどんどんあがり処理スピードも速くなったが、一つ終えるとすぐに新たな仕事が追加されていく。

「やめたいけど、今やめても何もできないことはわかっていたので、会社に頼らずに生きられるくらい成長してやるってずっと思っていました」

ピークだと言われた年末を過ぎても状況は変わらず、気力・体力も限界を迎えていた。当時はまだ「ブラック企業」という言葉も無く、転職が一般的ではなかった時代。周囲からは「根性が無い」などといわれたが、“ここに長く勤めてもこれ以上の成長はない”と考え、藤井さんは退職を決意した。大阪に戻り、不動産ディベロッパーでチラシなどの企画制作をする部署に転職。しかし、そこも問題が山積していた。短期間で急成長したこともあり、組織としてうまく機能しておらず、サービス残業に加え、パワハラといっていい状況が日常的にあり、8ヶ月で退職することとなる。

ドラマのような不幸が重なり、すべてを失った26歳の夏

2社目を退職した後は、昔からお菓子作りが好きだったことからカフェに憧れてキッチン志望でアルバイトを掛け持ちするも、12時間以上立ちっぱなしという過酷な日々に体調を壊してしまう。「やはりデザイナーの方が向いているのかもしれない」と考え、印刷会社のDTPオペレーター職に派遣社員として転職。デザイン性を求められる案件も多く、イラストが描けることで重宝された。1社目で習得した効率のいい仕事の進め方や丁寧な仕事ぶりも評価され、正社員に打診されたが大学時代からの恋人と結婚する予定だったため、辞退し、退職した。

その矢先に、祖父が他界。そして自身も肺炎で2週間、40度の高熱に苦しみ、追い討ちをかけるように婚約者の浮気により婚約破棄、それを報告した夜中に父親が脳梗塞で倒れるという、ドラマのような不幸が重なる。26歳の夏だった。「仕事も辞めてしまっていたし、すべてを失ったと思いました」と藤井さんは振り返る。「これからは自分の力で生きていかなければならない」と、再び正社員で職を探しはじめた。

社会人2年目に作成した父の事業のチラシと、毎日書き留めた日誌、社員旅行で行ったグランドキャニオンと趣味の登山

会社に希望が持てない。フリーランスとして仕事をすることを決意

しかし、その後も順調にはいかなかった。デザイン会社に正社員として入社するも、ディレクション中心でデザインをさせてもらえなかったり、不可抗力な業績悪化で人員削減対象になったりと、短期間での転職を繰り返すことに。
藤井さんは何社もの会社で働く中で常に、「なぜ、もっと効率よくできるのに、無駄な残業をするのだろう」「なぜ、問題解決せず社員に無理ばかりさせるのだろう」と疑問を抱いていた。解決方法を提案しても受け入れられず、変わろうとしないことが不思議でたまらなかった。そんな会社員時代に藤井さんが心掛けていたのは、「毎日、日誌をつける」「通勤電車でデザインやWeb、仕事術関連の勉強をする」「新聞を読んで経済や世の中の流れを知る」ということ。日誌は10年間で15冊以上になった。

最後に転職したのは、5名ほどの小さな広告制作会社。いいデザインが多く、学ぶことも多かったが、2年が経った頃さまざまな問題が起こり、ストレスで耳鳴りが起こるようになった。転職も考えたが、この頃には1人でほとんどのことができるようになっており、「これ以上、会社という組織に希望が持てない」と、フリーランスに挑戦してみることに。メビックの存在を知り、セミナーやクリエイター募集プレゼンに参加するなど徐々に営業活動をスタートさせた。

また、宣伝会議のアートディレクター養成講座でディレクションを学ぶなど、営業活動をする傍らスキルアップにも力を注いだ。会社員時代と違い、「自分自身が商品であること」「すべて自分で決められること」「頑張った分、結果も自分に返ってくること」にやりがいを感じるようになり、会社員時代の「とにかく早く、仕事を終わらせたい」というマインドも、少しずつ変わり始めていった。仕事に対する誠実な姿勢で確実に仕事は増えていったが、ゆっくり休む暇もない毎日に「本当にこれが幸せなのか」と疑問を感じ始めた。そんなとき、メビックからイタリアデザイン研修の案内が届く。「イタリアのデザイン思考の原点を探る」というテーマでプロジェッタツィオーネを巡る旅だった。デザインに対する考え方だけではなく、「20時以降は仕事の連絡をしない」「毎年数ヶ月のまとまったバカンスを取る」というイタリアの働き方にも感銘を受けた。

イタリア研修ツアーのチラシと写真
初回ツアーに参加した体験を思い出しながら作成した、イタリアデザイン研修ツアーのチラシ。忘れられない1週間となった


デザインのみ引き受ける下請けではどうしても仕事のコントロールができない。自分で企画を提案して仕事を取り、ディレクションをする必要があると考えた藤井さんはマーケティング講座、企画書作成講座、プレゼン講座、コピーライター養成講座を受講。知識とスキルをもとに、会社員時代の仕事の進め方の問題点を抽出し、効率よく高い品質を実現できるようやり方を模索した。

「何度も修正が入るのは、クライアント自身がどうすればいいのか分かっていないことが多いと思うんです。最初のヒアリングの時点でしっかりと問題の本質を読み取って、リサーチ・分析をして、解決のための戦略を練る。そうすれば、自ずとめざすべき方向性は1つに定まるので、何案もデザインを提案する必要は、基本的にはないと思っています」

あとは、ゴールをクライアントと共有・確認しながらその「1案」を、ターゲットに伝わる表現に落とし込むことに力を注いでいけば、案がひっくり返ることも少なく、効果の高いデザインをつくることができる。独自のセオリーとスタイルを確立し、企画重視のコンペにはほぼ確実に勝利。「藤井さんに頼むと反応が出る」と、クライアントからの評価もどんどん高くなっていった。

イラストグッズの一環として、自身で構造から考えて企画した、フリーサイズドリンクバッグ「Motte -モッテ- 」

イラスト、雑貨の企画販売など、これまでの経験を糧にして、多方面で活躍中

現在はデザインのみならずイラストレーターや雑貨の製作など、活動領域をどんどん広げている藤井さん。今、力を入れているのが、フリーサイズドリンクバッグ 「Motte -モッテ-」の企画製作販売だ。台湾を旅行した際、ドリンクカップホルダーを見て「これを日本で広めたい!」と思ったことがきっかけだった。オリジナルはサイズが調節できないことに不便さを感じ、ならば自分で作ってみようと挑戦。試行錯誤を繰り返した。「どれだけサイズ調節をしてもバランスが崩れない構造の開発に苦労しました」と、藤井さん。コンパクトでカバンにかけられるなどの多機能、かつオシャレに持ち歩けることにこだわり、特許も申請した。「テイクアウト袋削減やポイ捨て防止にも役立つこのアイテムを、もっと普及させていきたいです。また、イラスト活動も精力的に続けていきたいと思っています」と締め括った。藤井さんの幸せ度グラフは今後、どんどん上昇していきそうだ。

イベント風景

イベント概要

理系学部からデザイナー → フリーランス → イラスト雑貨・ものづくりへ
クリエイティブサロン Vol.212 藤井かおり氏

「組織で働く」ということが根本的に合わなかったのか、たまたま、縁が無かったのか……? 6社以上を転々とした末に、フリーランスになって9年目。独立してからのほうが知識も、経験も、クオリティも、人との繋がりも、ぐんと広がりました。サロンでは、私なりにたどりついた「効率よく、効果の高いデザインをつくる方法」や、コロナ禍での「自分で商品を作って売る」という経験、趣味の登山や海外旅行などを通して得てきたこと、これからの展望などをお話ししたいと思います。

開催日:2021年9月30日(木)

藤井かおり氏(ふじい かおり)

香工房 / デザイナー・イラストレーター

1979年、大阪生まれ。小さい頃から動物や自然、絵を描くことが好きでした。あたたかみのあるデザインやイラストが得意。理科の教員免許を取得しつつ、唯一受かったチラシ制作会社へ就職。広告デザイン会社を中心に転職を繰り返し、2013年「香工房」として独立、2018年「Kaorinko」としてイラスト活動開始。台湾でタピオカドリンクなどを持ち運ぶときに使う布製ドリンクホルダーをサイズ調節できるよう改良した「フリーサイズドリンクバッグ Motte -モッテ- 」(特許申請済/商標登録済)を考案、2020年販売スタート。

http://kaori-jp.com/

藤井かおり氏

公開:
取材・文:和谷尚美氏(N.Plus

*掲載内容は、掲載時もしくは取材時の情報に基づいています。