“自信”と“劣等感”が同居する自分。だからこそできることがある。
クリエイティブサロン Vol.202 生駒達也氏

2021年4月、大阪産業創造館の起業支援スペース「立志庵」を拠点に、オーエンカンパニーを立ち上げたコピーライター・生駒達也さん。大学卒業後、広告代理店・大広に入社し、コピーライターとしてさまざまな業界の広告を手がけてきた。時代の空気感を肌で感じながら駆け抜けた29年間に、広告制作の第一線から見えてきたこと、独立の経緯、そしてこれからの展望を語っていただいた。

生駒達也氏

職人として育てられた駆け出しの時代

生駒さんがコピーライターという職業を知ったのは、中学生の頃。糸井重里氏の存在がきっかけだった。「80年代から90年代、数々の名作コピーを生み出していた糸井さんを知り、かっこいい職業だなと憧れました」と生駒さん。大学生になり、本格的にコピーライターを目指そうと、宣伝会議コピーライター養成講座に通い、1992年4月、大広に入社した。

「当時は、まだまだバブル期の空気が漂う売り手市場の時期。同期の新入社員は史上最高の57人もいました。ただ、その中から大阪のクリエイティブ局に配属されたのは5人、さらにコピーライターの職を得たのは2人だけだったんです」と生駒さん。無事、念願のコピーライターになったものの、その先に待っていたのは、先輩からの“手厚い”研修だったという。

「一つの商品についてキャッチコピーを100本考えてくるという研修は定番でした。修行的な研修が当たり前の時代だったんですね。先輩方も責任を持ってきちんと指導してくれました。ほかにも、自分の好きな広告コピーを毎日一つ、ノートに書き写すというものもありました。“人のまねをする”という、学びの基本を繰り返すことで、技を磨き、そこから自分の世界観をつくっていく。若手社員を職人として育てるという文化が、まだ残っていた時代でした」

新人研修の課題
自身の原点とも言える新人研修の課題は、今も大切に保管している。

広告が強さを発揮する3つの要素

研修が終わった後、初めて担当した仕事は、松下電器産業(現・パナソニック)の案件だった。数ある松下の製品の中でも、テレビや冷蔵庫などの主力商品ではなく、それまで見たこともなかったような商品の業界紙向け広告が多かったという。

「床下乾燥機や空調機器、ガス機器など、マイナーな商品の広告コピーをたくさんつくりました。商品もメディアもメジャーではないからこそ、少し変わったことができると考えて、新しさや驚き、そしてわかりやすさを追求しつづけました」

その努力が実を結び、1996年、大阪コピーライターズクラブの新人賞を受賞。当時の松下の主力商品を羅列して紹介する、60段(4ページ分)の新聞広告だった。

「当時まだ入社4年目。4ページもの新聞広告を担当させてもらったのは、幸せなことでした。もちろん受賞は私だけの力ではなく、先輩ディレクターが一緒に徹夜し、熱く指導してくださったおかげです。そこで学んだのは何度も練り直し、納得のいくまで考え抜く姿勢。温かく時に厳しく、職人気質に育ててもらったおかげですね」

その受賞経験を生かし、サントリー(現・サントリーホールディングス)、大日本除虫菊株式会社(KINCHO)などの広告を手がけていった生駒さん。その中で得た広告制作の信念を、今でも大切にしていると語る。

「広告が世の中で強さを発揮するには、三つの要素が必要だと思っています。一つは “時代性”。その時代の空気感に合ったものであること。二つ目は“社会性”。訴えていることが、社会的に意味を持つこと。そして“人生・命”。人の生き方や命がテーマとなっていること。この三つの要素のどれかが織り込まれていると、その広告は強いメッセージとなり、圧倒的な存在感を放つのです」

床下乾燥機の広告
松下の床下乾燥機の業界紙向け広告。新人研修を終えて間もない頃に手がけた、思い出深い作品だ。

時代の変化と、コピーライターに求められる資質と。

「広告代理店危機の時代」。生駒さんは2000年代前半を、こう表現する。2001年のアメリカ同時多発テロに始まる世界を覆う不穏な空気、急速にデジタル化が進む社会。大広でも大きな組織再編が行われ、2003年、早期希望退職者の募集が発表された。

「当時の私は35歳。独立適齢期とも言えます。漠然とした迷いはありつつ、結局、応募できずに終わりました。まだ根性がなかったんです」と笑う生駒さん。チャンスを逃したものの、どこかホッとした気持ちもあったという。

その後、配属部署や肩書きが変わりつつ、制作の現場に身を置き続けた。仕事は効率化が求められ、コンペ型案件が増えていったのもこの頃だ。

「この頃から、“コピーライターに求められる資質”というものも変わってきました。職人的技能よりも、プロデューサー的発想力に価値が置かれる時代になったのです。クリエイティブ局は一時期、“コミュニケーションデザイン局”と部署名が変わり、現場は模索状態でした。同時に、若い社員を育てる余裕も少しずつなくなっていきました。私たちが先輩方から受けたような研修の方法が、これからの時代には合わないのではないか、と感じ始めたのもこの頃です」

サントリーウイスキーの雑誌広告
OCC新人賞をきっかけに、さまざまな企業の広告を手がけるようになった。サントリーウイスキー「ローヤル」の雑誌広告は、漢字の成り立ちをおもしろく生かしつつ、メッセージ性を込めた。

25年目の敗北感、そして独立へ。

2016年、入社後初めての東京への転勤。そこで待っていたのは、これまで経験したことのない広告制作の仕事だった。

「女性向け美容商品の、通販用折り込みチラシ広告の制作でした。企業や商品の周知だけではなく、その広告を見た一般消費者からダイレクトに注文を取る広告は、その効果がはっきりと分かるんですね。短期間で大量の案を出し、制作し、注文が多かったものは“勝ちクリ(勝ちクリエイティブ)”と呼ばれました。長年現場にいたという自負があったのですが、自分の書いたものが全く勝てなかった。入社から25年、それまで積み重ねてきたものが全否定されるような気持ちを味わいました」

その敗北感がバネとなり、ある時、生駒さんが制作した広告の一つが、これまでにない注文数を獲得。 “勝ちクリ”の代表作も生まれた。その後、2019年に再び大阪へと戻った。

「大阪では、新しくできた部門の部門長に任命されました。そのミッションは、“従来の広告とは異なる、新しいコミュニケーションや顧客体験の創出”。当初はとまどいもありましたが、これまで自分が関わってきた広告領域だけでなく、広告会社の社会的役割、メディアとの関係などについて、改めて考える機会になりました」

さらに、自分にはまだ知らない領域がたくさんあると感じ、セミナーや交流会など、人脈づくりや学びの場にも積極的に顔を出した。一方で、独立について具体的に意識し始めるようにもなったという。

そして迎えた2020年。未曾有のパンデミックが起こり、多くのクライアントが影響を受ける中、大広も余儀なく経営計画の見直しが図られた。そこで発表された早期希望退職者の募集。「今度こそ迷いはなかった」と生駒さん。2021年3月末、29年間の会社員生活に終止符を打った。

独立から3ヶ月。今の自分にできることを着々と。

2021年4月、産業創造館14階の起業支援スペースを拠点に、オーエンカンパニーを設立。広告・販促の企画、コピー制作、商品企画など、幅広く活動中だ。

独立と同時に連載を開始した、宣伝会議「アドタイ」連載コラム「負ける法則〜競合コンペに勝てない理由はどこにある?〜」も好評。競合コンペに負けた経験を綴ったコラムは説得力抜群で、アドタイ記事アクセスランキングで2位を獲得した。

独立して3ヶ月、生駒さんは今の心境をこう語る。

「これまで多くのクライアントと関わり、さまざまな案件をこなしてきました。その中で“自信”と“劣等感”が、自分の中に常に同居していたように思うのです。どんな仕事でも努力をすれば必ず一定の成果は出る。一方で、自分にはない発想や着眼点を持つ天才肌のコピーライターがたくさんいることも知りました。でも自分はそうではない。だから人より多くの努力と工夫を重ねてきました。こんな自分だからこそ、誰かを応援できるのではないか。そう考えて屋号をオーエンカンパニーと決めました」

スポーツ観戦が趣味という生駒さん。広告制作と平行して、スポーツ・エンタメ産業向けの応援グッズの商品開発も手がけていきたいと語る。

「コロナ禍でスポーツ業界やエンタメ業界は大きなダメージを受けました。今、観戦や鑑賞の機会が少しずつ戻りつつある中、会場に来たすべての人が、心の底から安心して選手やアーティストを応援できるような商品をつくりたい。そのことを通して、ダメージを受けた業界や、観戦・鑑賞に来た人たちすべてを応援したい。そんな想いで、今の自分にできることを着々と重ねていこうと思っています」

商品企画についても、広告案件の相談についても、いろいろ課題はあるものの、自分の意思で動ける自由さをたのしんでいるという生駒さん。29年間の経験と知恵を積み込んだ船は、今、高らかに帆を揚げて出港したばかりだ。

イベント風景

イベント概要

独立する根性がなくて、広告代理店に29年間居座った話
クリエイティブサロン Vol.202 生駒達也氏

コピーライターになりたくて、広告代理店に入社しました。当初は賞とか獲って有名になったら、数年後には独立し、自分の事務所を構えるぞ!と意気込んでいたのですが……いい会社と仲間に恵まれて(というか独立する勇気も力も足りず)、結局ひとつの代理店に29年間も居着いてしまいました。しかし50歳も過ぎて、これからの人生をどうするかモヤモヤと考えていたところ、このコロナ・パンデミック。ついに独立することとなりました。そんな代理店おじさんの29年間を振り返りつつ、これまでに学んだことや考えたこと、そしてこれからについてお話しさせていただければと思います。

開催日:2021年7月1日(木)

生駒達也氏(いこま たつや)

オーエンカンパニー 代表 / コピーライター

1968年奈良県生まれ。1992年大学卒業後、広告代理店の大広に入社。クリエイティブ局に配属されて、コピーライターに。その後、クリエイティブディレクターとして活動し、近年は局長職に。これまで、電機・住宅・食品・製薬などのメーカーや、通信・エネルギー・鉄道などのインフラ企業、通販会社、保険、自治体、学校法人など様々なクライアントを担当。2021年春、29年間勤務した大広を退職し、フリーランスに。“あなたを応援する仲間でありたい”をコンセプトに「オーエンカンパニー」を立ち上げた。

https://oencompany.com/

生駒達也氏

公開:
取材・文:岩村彩氏(株式会社ランデザイン

*掲載内容は、掲載時もしくは取材時の情報に基づいています。