タブーではない クリエイターとお金について
クリエイティブサロン Vol.196 中定篤氏

クリエイターは作品のクオリティを追求するあまり、“お金”のことは二の次に考えがちではないだろうか。今回のクリエイティブサロンは、そんなクリエイターにこそ聞いてほしい“お金”の話。中定篤氏に、“お金”にまつわる過去の経験や、収益向上につながる見積手法などについて語っていただいた。

中定篤氏

「お金こそ、すべての価値」と考えていた時代

「大学2回生のときに、家族が経営していた店が閉鎖になり、お金に困るようになりました。生活のため、個人での家庭教師や塾講師、飲食業、時には報酬の高い学習教材の訪問販売をしていました。様々な仕事に出会い、働くということを通してコミュニケーション力を養いました」と大学時代を振り返る中定氏。

就職活動では、給与水準が高いという理由でシステム業界に応募し、大阪市内のシステム開発会社に入社。大手システム開発会社に出向して、家電メーカーの会計システムや自転車メーカーのSCM構築に参画するなど、1年目から大きなプロジェクトに携わった。後述するが、このときに叩きこまれた“予実管理”のノウハウが、今日の見積り策定の基礎となっている。

このシステム開発会社で、徹夜続きの忙しい日々を過ごしていた中定氏であったが、自分の力を試したいと1年後に退職。フリーのエンジニアとして、システム開発のプロジェクトにアサインされ、企画や要件定義フェーズなどの重要業務を担当する。また、暗礁に乗り上げたプロジェクトを完成させる“プロジェクト再生”のお手伝いを実施。これらの仕事は比較的、単価が高く、満足のゆく報酬を得ていた。そして稼いだお金は、ほぼすべて友人たちとの飲み代に消えていったという。当時は「お金こそ、すべての価値」と考えていたと振り返る。

そんな生活は2008年、リーマンショックで一変する。IT投資が急激に縮小し、中定氏への依頼も急減。仕事が一切ない状態が3ヶ月間、続く。そんなときに、あるシステム会社の社長に出会い、大手酒造メーカーに出向することになる。「人のあたたかみにふれ、それまでの“お金のため”“自分のため”ではなく、“誰かのために頑張る”という利他的な考えの大切さを痛感しました」

エンジニア×デザイナーがコラボしたVALT設立

エンジニアになった当初から中定氏は、業界に根強く残る文化について疑問を持っていた。「エンジニアは論理的な思考や手順を優先するあまり、使い勝手は二の次にしてしまうところがあります。その結果、完成しても使われないシステムが多々あり、何とかできないかと考えていました」。そんな折、出会った23歳のグラフィックデザイナーとUIの大切さについて語り合い意気投合。20歳のファッションデザイナーも加わって、“ITを駆使した仕組みづくりに強いエンジニア”と“ビジュアライズに強いデザイナー”がコラボした株式会社VALTを2010年に設立した。

スタッフ集合写真
VALT設立当初はWeb制作を受託しながら、大学生とコラボしたアプリ開発や、ファッションブランドの開発・販売など新しいサービスを開発していた。

会社は順調に売り上げを伸ばし、新規事業にも積極的に投資。従業員も採用して規模は拡大したが、売上は当初の目論見通りには伸びず、次第に収支が悪化していく。原因はいろいろあったが、ひとつは「プロジェクト一つひとつの収支が不明瞭」な点だった。「一般的にクリエイターは作品の質を追求するあまり、お金について考えない文化があるように思います。見積りを丼勘定で作成したり、キャッシュの流れを知らないまま仕事を進めたり、総額だけを見て“高い”“安い”と一喜一憂していることもありますよね。そういうクリエイター気質が影響していると考えました」

クリエイティブに予実管理の考え方を採り入れる

そんな状況を改善しようと、中定氏は製造業の管理手法である「QCD」を導入。Qはクオリティ管理、Cはコスト管理、Dはデリバリー(納期)管理。このQCDの考えを一つひとつの仕事で実践するために、システム開発会社勤務時代に叩き込まれた「予実管理」の手法を導入した。予実管理とは、予算(見積り)と実績を比較・分析すること。メンバー一人ひとりがプロジェクトごとに、企画やデザイン、コーディングなど各項目の見積りを算出し、途中段階で人件費を含めたコストを分析して、必要であれば作業内容や人員体制、納期、クオリティを再検討し軌道修正していく。またプロジェクト終了時には見積り額と実績額の差を調べ、コストがかかりすぎていたのであれば、メンバー全員で話し合って原因を分析し次の改善につなげるのだ。

当日のスライド
受注金額と予定経費、実績経費の違いのイメージと開発中の予実システム(当日のスライドより)

予実管理が頭に入れば、価格交渉もスムーズに

「予実管理の導入にあたり、クリエイターから猛反対を受けました。そりゃ、面倒な作業なので反対する気持ちも痛いほど分かります。でも、『お金がいらないなら、お金のことを考えなくてもいい。ほしいなら、しっかり考えましょう』と言って説得しました」と笑って振り返る。

実際にメンバー一人ひとりが予実管理をつけてみると、見積りの構造やどこで予算を使っているかが定量的にわかり、コスト意識もついて作業効率もアップ。その結果、赤字のプロジェクトが大幅に減少したのだ。

ここでクリエイターにとっては大きな疑問が沸く。たとえば、企画やデザインは、いつひらめくか分からない。作業スピードも人によってマチマチ。それをどのように見積りに反映するのかという疑問だ。中定氏は答える。「メンバー一人ひとりのスキルを把握し、時間単価を設定し作業時間を想定して算出します。何度も予実管理をしていると、予算と実績に差がない正確な見積りができるようになります」。また、得意先からの修正や、納期短縮を要望されたときにも、予実管理の内容が頭に入っていれば、追加費用や納期の交渉を、その場で論理的にできるようになったという。

さらに中定氏は付け加える。「デザインにこだわって時間をかけてもいいのです。要は限られた予算をどこにかけるかが重要なのです。試行錯誤の中でこだわりながらも効率のよい方法を考えるようになります。また、決して黒字になる仕事だけを受けているわけではありません。赤字になることは分かっていてもトライする意義があるなら引き受けます。黒字と見込んで受けて結果的に赤字になっても従業員のスキルがアップしたり、次に生かせるものは教育コストとして考えることができます。このようにチャレンジするための原資を確保するためにも、予実管理を徹底し利益を出す必要があるのです」と、何が何でも効率やコスト優先ではないことも強調した。

社員の発案でオリジナルの泉州弁Tシャツの制作・販売や、100人規模のバーベキューパーティーを実施。その案件も予実管理をつけている。

替えのきかない存在を目指したい

「普通の水は町で千円では売れませんが、アルプスの頂上なら1万円でも売れます。モノの価値は、相手がどの程度、求めているのかで決まります。それが見積りの本質です」と話す中定氏。その考えに沿って、「IT×クリエイティブ」というVALTの強みをさらに磨き、替えのきかない存在になりたい、そして制作事業をベースに新たな事業創造に取り組んでいきたい、と目標を語ってくれた。

中定氏は現在、クリエイター向けの予実管理システムを開発中。「クリエイターのみなさんに使っていただき、収益向上をめざしてほしい」と締めくくった。今回のサロンは、参加したクリエイターにとって優先度が低くなりがちな“お金”のことについて学べる、よい機会になったのではないだろうか。

イベント風景

イベント概要

クリエイターにこそ大切なお金の話
クリエイティブサロン Vol.196 中定篤氏

「見積ってどうやって出せばいいのか」「今回の仕事は割りに合っていたのだろうか」。仕事としてクリエイティブに携わることは趣味と異なり、必ずお金の話がついて回ります。ビジネスは限られた資産でどのように目的を達成するかがポイントとなりますが、とはいえ、どれだけいいクリエイティブをアウトプットしていても、対価が少ないと継続できません。タブー化されがちな「お金」にまつわる話について、システムとデザインのコラボで培ってきた視点からお伝えさせていただければと思います。

開催日:2021年2月24日(水)

中定篤氏(なかさだ あつし)

株式会社VALT 代表取締役

1981年大阪生まれ。システムエンジニアとして社員1年、フリーランス3年を経験し主に業務システム開発に携わる。使い勝手など、ビジュアル面での優先度の低いSI業界に疑問を感じ、2010年、グラフィックデザイナーとともに株式会社VALTを設立。主な業務としては、新規事業のための仕組みづくりやプロトタイプ開発など、過去事例が少なく新規性の高いプロジェクトを中心とした受託開発。また、システム開発講座などの大学の講師などを行う。実績としては、観光協会、文化振興財団などの公共系ウェブサイトの構築や、大手酒造メーカーのスマートフォン用業務システム開発などがあげられる。

https://www.valt.jp/

中定篤氏

公開:
取材・文:大橋一心氏(一心事務所)

*掲載内容は、掲載時もしくは取材時の情報に基づいています。