デザインをきっかけに、自分の世界を広げていく
クリエイティブサロン Vol.183 宮窪翔一氏

一級建築士でありながら、住宅設計だけにとどまらない活動をおこなう宮窪氏。“design rubato”という屋号にも特別な想いが込められている。「“自由なテンポで”を表す音楽記号である“tempo rubato”を語源とし、世界のたとえ一小節しかデザインできなくても、そのデザインで世の中をより良くできるなら」という話からはじまり、宮窪氏のそれまでの軌跡とこれからの向かう先を語ってもらった。その内容はデザイン、そして人との出会いをきっかけに自身の可能性を切り開こうとするものだった。

宮窪翔一氏

自分の殻を破り、知らない世界に目を向ける

「高校生時代には建築やデザインというものは知りませんでした」。そう語る宮窪氏が、進路を決める段階で考えていたのは教師。身の周りの職業で興味があったのが唯一教師だったからだ。一旦は教師の道をめざしたが、就職時の募集枠が限られ、将来性の幅が広くないなどの壁があることを知る。「自分の知っている世界の中だけで進路を決めていいのだろうか。もっと違う世界があるかもしれない」

それからは教師に固執せず、視野を広げて進路を考えていった。大学のオープンキャンパスなどにも参加したが、あまりこれといった決め手がない。「社会人が見る専門書を見れば何か分かるかもしれない」と考え、近くの書店の普段は通り過ぎる理工書コーナーで、初めて専門書を手に取った。「機械工学や化学の専門書では全くときめかなかったのですが、『新建築』という雑誌を見て一気に惹かれていきました」。そこに掲載されていた落書きと言えるようなイラストが、実際に建築として立ち現れる姿に驚きを受けたという。たまたま授業中に書いていた落書きと似ていたのも、彼を建築に向かわせたきっかけとなった。

めざしていた教師への道から大きく変え、建築を学ぶ道へ、なかでもデザインに特化した大学に焦点を合わせていく。進路先として選んだ滋賀県立大学は、これまで氏の高校では前例がなかったことから進路会議に上がったほどだったが、宮窪氏は進路に対する意思の強さを教師に伝え、進学を決意した。

一人ではできないことも、仲間がいれば可能性が広がる

大学生活では、興味のあった「かたち」を追い求めていく。「かたちが単にフォルムをつくるのではなく、そのかたちによって思いもよらなかった空間の良さ、新たな世界をつくりだす。そのプロセスを考えるのが好きでした」。建築の制作課題だけでなく、いくつかのコンペにも挑戦していく。天童木工家具コンクールやコクヨデザインアワードで受賞したことは大きな自信にもつながった。

テンキースツール
天童木工家具デザインコンクール2008に入選した「テンキースツール(宮窪翔一 / 宮窪・松本)」

卒業後はアトリエ設計事務所に就職。働き始めた時は、実務とのギャップに苦労したが、根気よく続けていき、次第に設計者としての実力を身に付けていった。しかし、実務をこなしていくなかで、ふと、「専門分野だけでデザインをおこなっていくことが果たしていいのだろうか」と疑問が浮かんだ。店舗に設置された看板が全く方向性の異なるのを目の当たりにし愕然としたことが、宮窪氏の仕事に対する疑問を強めるきっかけとなったという。

ちょうどそのタイミングで、宮窪氏は同じ考えを持つ2人に出会った。一人は大学の同期、もう一人は高校の同期。それぞれインテリアデザイナーと管理栄養士という、全く業種が異なる2人だが、根底には同じ考えを持っていたことから、「もしかしたら、この3人なら世の中をよくするデザインがつくれるかもしれない」、そう考え3人で会う場をセッティングした。ミーティングは大いに盛り上がった。「僕が引き合わせた女性2人が僕を差し置いて意気投合した、というのはここだけの話です(笑)」

「独立しよう!」と話はとんとん拍子に進んだ。“食住でオモロイ場所”を探すと必然的に関西と決まっていき、独立は大阪でということになった。

知らない世界で、知らない人と出会う楽しさ

大阪で独立するとは決めたが、仕事も無いなかでどうすればいいか、宮窪氏は悩む。「自分で動かなくては始まらない」。そう考えて初めて訪問した先がメビックだった。Webデザイナーやイラストレーター、フォトグラファーなど多くのクリエイターが日々交流をおこなっているメビック。建築出身の人としか交流がなかった宮窪氏には大きな驚きだったと共に、大阪での独立は面白いものになるに違いないとワクワクする気持ちが湧き上がってきた。

メビックに足を運ぶうちに、クリエイターのネットワークづくりをサポートする、メビックのコーディネーターを務めることになる。その活動を通してさまざまな人と出会っていくなかで、同じコーディネーターの先輩から酒屋の改装プロジェクトの相談を受ける。これが宮窪氏のキャリアを語る上での、大きなターニングポイントとなる。

KIKUSEI(掬正)
改装を手がけた酒屋「KIKUSEI(掬正)」。宮窪氏にとって大きなターニングポイントとなった。

まず提案したのは、一般的な酒屋とは全く雰囲気の違う空間。事前調査で分かったことはレジ台が狭いということ。さらにひとりの客が何本も購入していくということ。この現状を踏まえ、大きなテーブルと広いレジカウンターのある店舗空間を提案した。大きなテーブルは商品の展示だけでなく、客が商品を一旦置くためのカウンターともなり、客がストレスなく多数の商品を購入するきっかけとなった。さらに、レジカウンターを広くすることで3人のスタッフが同時に対応することが可能となった。一般的な酒屋とは全く異なるつくり方で、商品数も以前より減ったが、オペレーションと客動線を最適化することで売り上げは大きく向上した。まさに「かたち」が新たな空間価値をつくりだした。

「これからも、かたちが持つ力を探っていきたい。そうして世の中を少しでも良くしていけたら」と語る宮窪氏。現在は注文住宅や店舗設計だけではなく分譲住宅の企画にも関わり、多忙な日々をおくっている。

もちまえのクリエイター魂と、つねに新しい一歩を踏み出すチャレンジ精神でキャリアを築いてきた宮窪氏。会場では驚きと笑いを織り交ぜながらトークを進め、集まった人々がそれぞれの「次の一歩」を考えるきっかけをつくる90分となった。

イベント風景

イベント概要

踏み出す数だけ、世界が広がっていく。
クリエイティブサロン Vol.183 宮窪翔一氏

縁もゆかりもない大阪で独立したのが6年前。まるでRPGゲームの始まりのようにワクワクしていたのを覚えています。その時ひとつ心に決めたことが、「まずは一歩踏み出す」ということ。知らないところに行き、初めての人に会い、やったことのない仕事でもまずはやってみる。やってみると意外とできるもんですね。気づけば独立した時には想像もできなかったことをやっています。
今回はテリトリーから全く動かなかった学生時代の話や、なぜそんな人間が独立したのか、そして今後どのようにしていきたいか、などをいくつかの事例を交えながらお話しできればと思っています。

開催日:2020年10月21日(水)

宮窪翔一氏(みやくぼ しょういち)

デザインルバート一級建築士事務所代表 / 株式会社クラフトアール取締役 / 一級建築士

1984年福岡県生まれ。滋賀県立大学大学院で建築デザインを学ぶ。卒業後は住宅専門のアトリエに就職し、退職後、2014年にデザインルバート(現デザインルバート一級建築士事務所)共同設立。2017年にクラフトアールに取締役として参画。デザインルバートでは注文住宅設計、クラフトアールでは分譲住宅の企画開発を中心におこない、現在年間100棟以上のプロジェクトに関わっている。

http://design-rubato-archi.com/

宮窪翔一氏

公開:
取材・文:山蔭ヒラク氏(株式会社想&創

*掲載内容は、掲載時もしくは取材時の情報に基づいています。