能動性のスイッチを入れるアシストで、誰もが自己実現できる社会を。
クリエイティブサロン Vol.187 黒田淳一氏

大阪市都島区の蕪村通り商店街で定期開催されている、「ぶそん市」を主催する黒田淳一氏。しかしその肩書は建築家とある。町おこしのコンサルタントなのか、暮らしの空間を創る建築家なのか、一見すると実体が曖昧な人物のようにも思える。しかし「巡りめぐってポジティブな跳躍へ」をテーマとした話から、社会や人の在り方を変えたいという一貫した思いが見えてきた。

黒田淳一氏

挫折と跳躍を重ねた会社員時代

黒田氏の現在に至る道のりのスタート地点は、ミッドセンチュリー家具に憧れ、インテリアデザインを学ぶべく進学した東京の専門学校。とはいえ、ここでは思うような学びやスキルを得られなかったという。そんな状態で就職活動に入るが、就職氷河期まっただ中ということもあって、内定を得るまでは困難を極めた。

やっとの思いで建材の販売代理店に入社したのち、ここで最初の跳躍を経験する。勉強のつもりで家具やインテリアを見て回るうち、思想や美学を込めて建物をデザインする建築家に興味が移ったのだ。好奇心に突き動かされ探した専門学校の説明会で、「建築設計は理系ではなく、むしろ文系の領域だ」という言葉に出会う。「設計は人の暮らしの情緒的な部分を物語として紡ぐ能力が必要、という校長の言葉です。自分は文系だったので、これならできるということで入学を決めました」。4年制大学の建築学科で学ぶ内容を2年間に凝縮したカリキュラムに忙殺されながらも、充実した時間を過ごせた。この時の経験は今でも財産になっているという。

卒業後、アトリエ系建築設計事務所に入社。ここから建築家としてのキャリアが始まる。作家性を反映した設計を主とする事務所には様々な依頼が舞い込み、著名人の別荘のデザインを担当したこともあったという。大きな仕事も任され、建築家としてのスキルと実績はどんどん積み上がっていった。しかし実績と比例するように仕事に注ぐ時間が膨れ上がり、連日深夜まで及ぶハードワークに心身ともに疲れ果ててしまった。

悩みながらも建築設計の世界から離れることにしたが、次のステップがまた跳躍となった。転職したのは大手の住設建材メーカー。キッチン、ドア、ユニットバスなどをデザインする部署で、企画から商品デザイン、プロモーションまで関わることができた。「当時はリフォーム事業がスタートした頃で、チームメンバーに加わり、コンパクトマンションをリノベーションするビジネスプランの立ち上げも手掛けました」。商品の発案や顧客へのプレゼンテーション、事業として成立させるまでのプロセスすべてに携わった経験は、現在の黒田氏の取り組みを支える基盤となっている。

セレクトショップ店内
独立後に設計を手掛けた、ジュエリーブランドが展開するセレクトショップ「KAKAN by meteo」。

変わりつつある建築と、自分にできること。

大手住設建材メーカーでの経験を生かして転職した建材金物メーカーでは、オリジナルブランドの立ち上げに携わった。東京で採用されたものの、東大阪の本社とのやりとりを円滑に進めるため大阪へ転居までして取り組んだ。しかし残念ながら事業が中止され、所属部署が解散となる。自身が牽引してきた事業が雲散霧消し、ぽっかりと空虚感が残った。新たに与えられた仕事にも、以前のような情熱を傾けられない。「よっぽどがっかりして見えたんでしょうね。妻から『辞めてやりたいことをやったら?』と言われてハッとして、独立を決めました」。

じゃあやりたいことって何だ?と思案する。一度設計を挫折しながらも建築業界に関わってきた。再び設計の仕事がしたい。そう考えてはいたが、時代が変わっていることに気づいた。「人口減少と少子高齢化の時代に入り、建物が余って空き家が社会的問題にもなっています。ほかにも様々な社会問題がある中で、建築が持つ社会性が無関係ではないケースが多いと考えるようになりました」

黒田氏が独立した2016年は、建築界のノーベル賞と言われるプリツカー賞をチリのアレハンドロ・アラヴェナ氏が受賞し、建築界の新たな潮流を感じさせる年でもあった。チリは持ち家政策を推進しており、土地と建物の購入資金を政府が支給する制度がある。しかし給付金で得られる家は、せいぜい35㎡程度の小さなもの。それに対し、アラヴェナ氏は70㎡の家屋の半分だけを造り、あとは居住者が自分の手で造る余地を残した建物を提案した。「豊かな暮らしを手にするだけでなく、家屋に資産的な価値も付加されるという、建築の観点から社会問題にアプローチするプロジェクト。行政や作り手が供給していた建築が、使い手側に立った発想に移り、評価される時代に変わったと感じました」

建築家・馬場正尊氏の「ダサくても経済や政策、政治にも建築は再び影響を及ぼすべきだと思う」という言葉にも感銘を受けた。「建築家の本質はクライアントが求める要素を積み上げて、解決策としてかたちを提示することなんじゃないか。でもそれって建物を造ることだけが解決策じゃない。まだ何かできることがたくさんあるんだ、と勇気づけられました」。建築家としての職能とこれまでのキャリアを掛け合わせ、設計だけではない価値を生み出すことを理想に、独立へ踏み出した。

「ぶそん市」開催風景
イベントをきっかけに人が集まり、商店街が人々の日常に定着し、人と人が出会う場になってほしいとの思いからスタートした「ぶそん市」。

ホームランでなくていい。小さなことから始めよう。

「ぶそん市」に取り組んだのは、独立から2年目の年。全体の3〜4割しか開いていないシャッター商店街の蕪村通り商店街を盛り上げたいという、商店街会長との出会いからスタートした。正解がわからない手探りの状態から出店者を募り、物販やワークショップなど様々な店が集まったマーケットイベント。定期的に開催し、イベント開催時には商店街が人で賑わうようになった。

次の一手として、もっと日常に近い活動につなげたいと考え、商店街の空き店舗を利用したレンタルスペース「arch(アルヒ)」を設けた。キッチンや個室を含む5つの各ブースを1日からレンタルでき、複数の出店者がシェアしたり、貸し切りで利用することも可能。利用方法は限定せず、撮影のロケ地として使われたこともあるそう。自身では思いつかない様々な使い方が生まれるのが楽しみだと話す。

ぶそん市のホームページに「はじまりはこの手でつくろう」という一文がある。「ぶそん市の経験を通して、大きなことをしなくても、始まりは自分の手でつくれるんじゃないかと思うようになりました。自身の発想や欲求に素直になり、それを暮らしに反映する能動性があれば、意外と自分で実現できることがあるんじゃないか。ぶそん市やarchの取り組みが、いろんな人の能動性のスイッチを入れるきっかけになればいいですね」

レンタルスペース店内
友人や知人を総動員し、ほぼすべて手づくりで内装を仕上げた「arch(アルヒ)」。

そうした思いを事業としてかたちにした「around」を、2020年11月に立ち上げた。「事業の柱となるのは、出来事づくり、建物・空間づくり、モノづくりの3つ。ハードである建物・空間と、その中で行われるソフトである出来事とモノ、それぞれデザインすることを掲げています。私の考えるデザインとは、価値をつくり出すこと。それらの価値を掛け合わせて、さらに新しい価値を生み出せると考えています」

最後に、黒田氏は理想の社会の在り方として「自己実現ができる社会になってほしい」と話した。「新しいことに挑戦しようと思った時、打席に入るとホームランを打たないといけないと気構えしてしまうかもしれません。でも本当に小さいことをできる範囲から始めると、意外と周りの人が興味を持ってくれたり、面倒を見てくれて、それがどんどん膨らんでいくもの。やりたいこと、好きなことをやって、人とつながり、人に求められるようになれば、生き生きとした暮らしを送ることができるはずです」。やりたいことをやる、その後押しをする「around」の事業が、多くの人の、そして黒田氏自身にとっても次のさらなる跳躍となるのだろう。

イベント風景

イベント概要

巡りめぐってポジティブな跳躍へ
クリエイティブサロン Vol.187 黒田淳一氏

建築業界で働き始めて22年、今立っている場所にたどり着くまでに個人的ないくつかのエポックがありました。選び取ったのか? 導かれたのか? せざるを得なかったのか? 自分史上の曲がり角となった出来事と、その先の環境で得たもの。その中で出会った忘れられない7つの言葉についてのお話をさせていただきます。さらに、失敗や貧乏や関東と関西についてなど……。そんなお話も時間と気持ちの余裕があればお話ししたいと思います。肩肘張らずに聞いていただける、極私的事件簿と楽観的眼差しのお話にお付き合いいただけたら幸いです。

開催日:2020年11月27日(金)

黒田淳一氏(くろだ じゅんいち)

around
建築家

山梨県生まれ。地元の高校卒業後、2つの専門学校で学び、建築設計事務所や建材メーカーなど、建築業界の様々な仕事に携わり、2016年独立。建築設計に関する業務を中心に、リノベーションやインテリアデザイン、企業との商品開発、地域活性化事業など様々な業務に取り組む。2020年11月より屋号を「around」とし、「思い描く暮らし」を実現する事業に携わっていくことを志し、新たなスタートを切る。

https://create-around.com

黒田淳一氏

公開:
取材・文:東原雄亮氏(CHUYAN

*掲載内容は、掲載時もしくは取材時の情報に基づいています。