弱さはいつか、強さになる。逃げない姿勢が未来を変える。
クリエイティブサロン Vol.180 鈴木暁久氏

企画会社や広告代理店でデザイナーとして経験を積んだのち、2013年に独立後は「コミュニケーションを生み出し、次へとつながる」デザインを手がけてきた鈴木暁久氏。イラストやグラフィックデザインなどの企画・制作をおこなう傍ら、親子や市民向けの講座に携わったり、ワークショップを主催したりするなど、場をデザインしてきた氏の活動は「弱さ」から生まれているという。その「弱さ」とどう向き合ってきたのか、話してくれた。

鈴木暁久氏

広告デザインの世界で高みをめざす

自然に囲まれた鳥取県の田舎で生まれ育った鈴木氏は、本の挿絵や表紙が好きだったことから、イラストレーターを志して大阪の専門学校(創造社デザイン専門学校)に進学。実力不足もあってか、イラストレーターとしての就職は叶わなかったが、自分の可能性に見切りをつける気は毛頭なかった。インターネットがまだ発達していない1990年代末、フリーターとなった鈴木氏が未来を切り拓くために選んだ場所は「路上」だった。

誰かすごい人が見つけてくれて、雑誌や本の挿絵に使ってくれるんじゃないか−−。そんな期待に胸を躍らせながら、週末の夜、イラストレーター仲間とともに心斎橋筋商店街の路上で自作のポストカードを展示・販売するのが日常となった。「通り過ぎる人が大半ですが、たまに買ってくれる人と出会えばテンションは上がるし、買ってもらえないにしてもコミュニケーションが生まれることが楽しかったんです」と当時を振り返る。

イラストレータユニット「BTF」での作例
イラストレーターユニット「BTF」で路上に出ていた。鈴木氏は真ん中。

ポストカードを制作するなかで、イラストと文字を組み合わせるデザインに興味を抱いた鈴木氏は、小さな広告代理店に就職。しかし、経験の乏しい自分しかデザイナーがいない環境で成長できるのか、疑問を抱いたことをきっかけに、1年後には企画会社に転職した。

「考えろ」「見るものをすべて意識しろ」「すべて説明できるようにしろ」……。同社では、ベテランのアートディレクターやクリエイティブディレクターからデザインに向き合う基本姿勢を叩き込まれた。あるとき、鈴木氏のデザイン案を見たクリエイティブディレクターから、「(おまえは)プロだよな?」と問われた記憶は20年近く経った今も鮮明に残っている。

必死に食らいつくように働いてきたなかで4年目には次のステップを考え始めた鈴木氏だが、仕事に忙殺されていては辞めるに辞められない。そんな状態がしばらく続いていた鈴木氏を踏み切らせたのが、東京のハイレベルなデザイン会社への転職を決めた同期のデザイナーの存在だった。

映画関係のプロモーションをおこなう広告代理店(3社目)では、より質の高い写真の合成技術を求められたり、部署や社員数の多い職場にとまどい、自分が浮いているような感覚を味わったり……。入社当初は壁にぶつかったものの、「ここで骨を埋めよう」という覚悟で入社している以上、逃げるつもりはなかった。結果として7年半勤めた鈴木氏だが、ある出来事がきっかけとなり、5年目には仕事への違和感が芽生えていた。

葛藤の末に独立を決意

その出来事とは、2011年に起こった東日本大震災である。これだけの大災害に見舞われた今、広告デザインの仕事をすることに意義はあるのか。そう自分に問うた鈴木氏は、ファンタジー映画の広告に使用していた「津波を連想させるようなビジュアル」を自粛し、新たなビジュアルに切り替えた。

自身の提案がクライアントに受け入れられたとはいえ、自己満足じゃないか、という心の声は消えなかった。そもそも組織にいる限り、仕事を選ぶことはできない。ふと立ち止まってみれば、11年間、広告デザインの仕事しかしていないのだ。こんな狭い世界でずっと過ごしていいのか−−。そんな焦りに駆られながら、外の世界に飛び出し、ソーシャルデザインやコミュニティデザインとの接点を重ねていくなかで、「独立」という選択肢は徐々に現実味を帯びていった。

葛藤の末、独立したのは2013年10月。個人経営の本屋やギャラリー、イベントをめぐったり、自分が惹かれた作家の人柄を世間に紹介するフリーペーパー「Artn(アートン)」を発行したり……。これまで抑え込んできた思いの丈をぶつけるかのように、鈴木氏は心のおもむくままに活動した。胸中には、心斎橋の路上で偶然の出会いを夢見た頃のワクワク感がよみがえっていた。

ワークショップ風景とフリーペーパー『Artn(アートン))』
左:親子向けワークショップの様子。
右:フリーペーパー「Artn(アートン)」。Vol.5まで発行した。

想定×偶然が、次の展開を生む。

組織を飛び出し、原点に立ち返った鈴木氏にとって、「まちの本屋が場をつくり始める」といった時代の流れは追い風になった。

地域コミュニティの活性化をめざしたアートイベントに出展し、親子が気軽に参加できるワークショップを開催したり。そのアートイベントで知り合った人からチラシ制作の依頼を受けたり、紹介されたダンサーから親子向けのワークショップのゲストとして呼ばれたり……。新たな出会いが新たな縁を紡ぎ、その縁がまた次の出会いを呼ぶ。そんな展開が続いていったのだ。

「自分の心の声にしたがって何かしら行動を起こせば、想定していたことが実現するうえに予期せぬ展開も起こる。それをチャンスと捉えて、次につなげる。独立後の7年間を振り返れば、その繰り返しだったように思うんです」

弱さを知って紡いだ(独立後の)7年

不思議に思うところがある。鈴木氏自身は「コミュニケーションは苦手」とくりかえす一方で、講師やファシリテーターなど、リアルなコミュニケーションを避けては通れない活動に積極的に取り組んでいるのだ。

「自分が苦手だから、苦手な人の気持ちを感じ取りながらできることがあると思っています。(僕がそう感じているだけかもしれませんが)ワークショップで、ほんとうは発言したいのに発言できていない人を見つけて、発言を促したり、話題を振ってみたり。心がけているのは、その人が自分らしさを発揮するきっかけをつくること。人が本来持っている力を、僕は大切にしたいんです」

「ものがたりパズル」と講座風景
左:ワークショップでも使用している「ものがたりパズル」。順番を入れ替えて、自由に物語を組み立てる知育玩具のようなもの。
右:2020年9月に行った講座の風景。「一方通行にならないように、情報・知識を共有したり体験を交えたりしている」という。

自分にとって、コミュニケーション力はがんばれば克服できる「弱み」なのだ。そう思って自分の弱さと向き合ってきた「逃げない」姿勢は、鈴木氏の人生に貫かれたテーマなのだろう。デザイナーの仕事を始めて間もない21歳の頃、「自分の下手さに失望した」氏は別の道に進もうと考えたこともあったという。

原因不明の肩の痛みを抱えていた当時、別の道として浮かんだのが、理学療法士、作業療法士という仕事だった。いくつかの専門学校から資料を取り寄せ、将来を具体的にイメージしたが、最後には「下手であれ、好きな仕事にもう一度本気でチャレンジしよう」という意志が固まり、2社目の企画会社に入ったのだ。

鈴木氏の言う「弱さを知って紡いだ(独立後の)7年」の下地には、「弱さから目を背けなかった10数年」がある。田舎出身というコンプレックスをバネに、「自分の殻を破ろうと努めてきた」氏が縁やスキルとともに培ってきたものは、「自分の弱さを認め、向き合ったうえで、それを強みとする生き方」だったのかもしれない。

イベント風景

イベント概要

どんな場? デザインひろば(弱さを知って、紡いだ7年)
クリエイティブサロン Vol.180 鈴木暁久氏

路上でのイラストポストカード展示からはじまり、広告デザインに魅かれて広告業界へ。
2011年、10年以上違和感なく過ごしていたその取り組みに疑問を持ち、2013年に独立。それから……。
この時期にいただいた場ですので、普段あまりお話ししない仕事の中身、また独立時の仕事0から、徐々につながっていった今までを紐解いてお話しできたら、と考えていますが、当日は余白も含めリアルだからできることをお届けできたらとも思っています。
自身の活動のように寄り道ばかりしそうですが、もしよろしければ場を共有できることで、何か発見!次につながるような場になりましたら嬉しいです。

開催日:2020年10月2日(金)

鈴木暁久氏(すずき あきひさ)

デザインひろば
デザイナー / イラストレーター

鳥取県生まれ、創造社デザイン専門学校卒業。
企画会社、広告代理店にてグラフィックデザイナー、アートディレクターを務め、映画やファッションなどの広告に携わる。2011年、ソーシャルデザインやコミュニティデザインなどデザインの可能性にふれたことをきっかけに2013年に独立。同年より、イラストレーターの方を届けるフリーペーパー「Artnアートン」を発行。
独立後はデザインを軸に、主にディレクション、グラフィックデザインやイラストを活用したコミュニケーションツールの作成を手がける。ひとりひとりの顔が見える規模のイベント、物語やゲーム性を取り入れた「遊び学ぶ場」など、デザインの力で次へとつながる力が生み出せるよう取り組んでいる。

https://designhiroba.com/

鈴木暁久氏

公開:
取材・文:中道達也氏

*掲載内容は、掲載時もしくは取材時の情報に基づいています。