尖り続け発信し続けて得た、気づき。
クリエイティブサロン Vol.118 大石裕一氏

毎回、さまざまなジャンルのクリエイターをゲストスピーカーにお迎えし、その人となりや活動内容をお聞きし、ゲストと参加者、また参加者同士のコミュニケーションを深める「クリエイティブサロン」。今夜のゲストは、iOSデバイスの業務活用支援とコンサルティングを行う株式会社フィードテイラー代表取締役でメビック扇町のメンターでもある大石裕一氏。メビック扇町が大阪市北区南扇町の旧水道局庁舎でビジネスインキュベーション施設として稼動していた時代の“卒業生”である同氏が、創業してから今日に至るまでの成功と失敗に彩られた激動の11年間を赤裸々に語ってくれた。

大石裕一氏

履歴書の職歴の欄が足りないほど転職。

1998年4月、大学を卒業した大石氏は2005年7月の退職まで約7年間サラリーマンとして会社勤めをした。勤務した会社は、出戻りを含めて6社、平均勤続年数ほぼ1年。理想を求めて職を転々とする中で広く浅くさまざまな経験をした。「履歴書の職歴の欄が足りないほど転職を繰り返した、人生の負け組の典型でしたね」

会社員時代は、WindowsやMacのアプリ開発を担当した。ネットワークエンジニアとして働いた時期もあれば、派遣社員として携帯のアプリ開発を行った時期もあった。「ずっとIT系の仕事をしてきましたが、自分も仲間も虐げられる日々でしたね。朝9時に出社し、日を跨ぐまで働くことも度々あり、最後の会社に勤めていた頃には心療内科のお世話になるまでになってしまいました」

精神的に凹んで、2005年の夏にしばらく休もうと決意。その後、大阪産業創造館の創業準備オフィスに2006年1月に入居。準備期間を経て2006年7月、旧水道局庁舎にあったメビック扇町内の3坪ほどの小さなオフィスで創業した。

「尖る」「発信する」を創業時から。

大石氏が創業時から意識していたのは、小さくても「尖る」ということだった。「何でも屋には、ならないでおこう。何でも屋は何もできない。それでは仕事を依頼されることが無く、自分は終わってしまうから、それだけは避けよう」

コネも人脈もお金もない、まさに崖っぷちの起業だった。ひとまず「○○なら大石」といわれるようになることを目指し、大石氏が目をつけたのは「RSS」。RSSとは、インターネット上でサイト間の受発信がしやすくなる仕掛けのことで、情報収集の効率化が図れる技術だったのでニュースサイトなどで使われた。

「交流会で名刺交換するときもプレゼンをするときも“ウェブシステムの大石です”とは絶対に名乗りませんでしたね。ウェブ屋さんは多いので、あえて“RSS関連の開発をしています”と言っていました。当時、“RSS”に特化してビジネス展開している企業は、日本全国を見ても4~5社ぐらいしかありませんでした」と大石氏は語る。

ちなみに社名のフィードテイラーのフィードとはRSSの別名で、RSS屋さんという意味合いで名付けたという。大石氏は、RSSを解説するセミナーや勉強会を開いてみずからをアピールした。「RSSの大石さん」と呼ばれる頃には、大手からRSSを使ったコンテンツマネージメントシステムの仕事も舞い込んだ。「受託の仕事と自社オリジナルの商品開発の比率を2対8という割合にすることを理想に掲げていたので、それを目指して毎日20%ぐらいの時間を自社の商品開発に充てていました」

受託開発の仕事をしながら、2年間オリジナル商品をいろいろと作り続けた。だが、それらの商品は社会的に受け入れられず、RSS関連開発事業を潔く捨てる決断をする。

いままでチャレンジしてきた事業を捨てることは、また崖っぷちに戻ることを意味するわけだが、この時ひと筋の光が差し込んだ。2008年7月に日本に上陸したiPhoneがその光だ。メビック扇町を“卒業”した大石氏はMacのアプリ開発をしていたかつての同僚を会社のメンバーに迎え入れ、同年秋からiPhone事業を開始する。

読書好きだったので書籍のレビューが簡単に見られるアプリを開発したり、情報発信としてひと月に2〜3回ブログに投稿したりもした。「iPhoneアプリベンダーは、全国だと10~20社ぐらい現れ始めていたので、“関西のiPhoneアプリベンダー”と称して旗揚げし、ひたすらアウトプットしました」

その後、ニュースリーダーのアプリを作って話題になったが、諸般の事情によりそのアプリは翌年には終了することになった。非常に多くの人に支持されていたアプリだったので、取り止める際の反響は大きく問い合わせが殺到したという。そんな騒動もあったが、このアプリを作り、ブログで発信していたことがきっかけとなり、ある上場会社のニュース事業を担当している統括部長から連絡が直接入り、その会社のニュースリーダーを作ることに。失われたアプリは上場会社のアプリに姿を変えたというわけだ。

空のアプリがつなげた、海のアプリ。

大石氏が大切にしていた「発信=アウトプット」がどこでどう繋がるかわからない事例として、ナマコ漁を支援するアプリの事例も紹介された。開発のきっかけは、大石氏の会社が作った「そら案内」という天気予報アプリ。この「そら案内」ユーザーで、はこだて未来大学の教授がナマコ漁支援アプリ開発の依頼者だった。元々は海用のレーダーを作る会社に勤めていたが、漁業もIT化をしなければという熱い思いを持ち同大学に研究テーマを持ち込んだ人で、漁師にITを使ってもらうことの難しさも経験していた。大石氏はその教授から直接連絡をもらい、来阪した教授と面談。開発期間は2カ月しかなかったが、引き受けてアプリを作り上げた。これまで漁師の経験則で行っていたことのデジタル化に成功したこのアプリは、iPadが第一次産業でも使えることを実証する代表的アプリとなった。サロンでは、大石氏のことが実名入りで紹介されている教授の著書『マリンITの出帆』の一文が披露された。

書籍の表紙
『マリンITの出帆ー舟に乗り、海に出た研究者の物語』

5年で約200社利用のビジネス支援システム。

2010年5月、iPadが日本にデビューしたときに大石氏は、これがやがてビジネスに使われると予想。考案したのが、企業向けのオリジナルサービス「SYNCNEL(シンクネル)」だ。ドロップボックスの企業版ともいえるこのサービスは、カタログのPDFでもプロモーション用の動画でもサーバー上に置いておけば、営業マンに等しく配信され、出先でお客様に見せることが出来るというクラウド型のファイル配信システム。後に事業売却することになるが、5年間で約200社が利用し、ユーザー数は10,000人を超えた。上場している大手住宅メーカーでは4,000人の営業マンが利用し、その様子はアップル社のプロモーション動画にもなった。

「自分のアイデアや価値観が上場企業に認められた満足感や多くの人・企業に貢献している実感が高かったですね。この事業だけで年間6,000万円から7,000万円稼ぐことができ、理想としていた受託と自社開発商品の比率を実現することができました」

社長である大石氏は、職場の環境整備にも尖った。今日流でいう「働き方改革」だ。高い給与水準で社員を雇用し、結婚記念日休暇や家族全員分の誕生日休暇制度を設け、副業も推奨した。試用期間なし、有給1時間単位、Mac購入資金補助など、さまざまな取り組みを行い、そのことを発信した。残業の禁止は、毎晩家族と過ごしたりプライベートな時間があったりすることによるストレス軽減と幸福感増が狙いだ。その代わり、日中は最高のパフォーマンスを求めた。

「アメリカのソフトウェア工学者であるトム・デマルコが提唱した“ソフトウェアは人によって作られるからピープルウェアと呼ぶべきだ”という概念があり、彼は著書で“管理者の役割は人を働かせることではなく、人を働く気にさせること”と書いています。私もその通りだと思い、働きやすい会社にしようと、一人目の社員を採用する時から心に決めていました。とにかく従業員が働きやすいように、という変な正義感がありましたね(笑)」

ウェブサイトトップページ
現在、フィードテイラーが主軸の一つにしている「WP Guard」は、WordPressサイトを静的化することで、第三者攻撃を無効化するサービス

そして、新しい尖りへ。

自分は三つの幸運に恵まれた、と大石氏は話す。一つ目は、売りたい企業・扱いたい企業に恵まれた幸運、二つ目は初期ユーザーや販社さんのファンに恵まれた幸運、そして三つ目は社内リソースや仲間に恵まれた幸運だ。そのような幸運に支えられて、2012年にフィードテイラーの「SYNCNEL」は業界3位にまでなったが、大石氏は2016年に「SYNCNEL」を事業売却して自社の開発部門も解散させた。(前述の「そら案内」も2015年に事業譲渡している)

理由は三つあるという。一つ目は、マーケット的に見て売り時だったということ。二つ目は、自分に正直になりたかったということ。これは、自分がアプリを開発する側なのに依頼者には開発をしない方がいいと答えなければいけないケースが発生し、心苦しさを覚えたことを指している。アプリを維持するためにはコストがかかる。そのコストを依頼者側が考えていない場合、業務が止まってしまうこともあり、開発しないことを勧めなければいけないことがあったからだ。

「三つ目の理由は、働き方改革の失敗です。自身のブラック企業での経験を踏まえて、徹底的にホワイト化を目指したのですが、度が過ぎた為に残念ながら結果として従業員を甘やかすことになってしまい、お客様に対する感謝の意識が薄れてしまったのです。それを無くす私の努力が不足していました」と当時を振り返る。

大石氏は「これからの時代は業務アプリを作らない世界に入っていくだろう」と予測し、今はiOSに関する多彩な経験を活かしたiOSの業務活用コンサルティングやWordPressサイトの静的化によるセキュリティ強化サービス「WP Guard」を展開している。アプリ開発から業務活用コンサルティングへ、スタイルを変えて新たな尖りを示す大石氏とフィードテイラー。活躍する舞台は変わるが、きっとテイラーの名にふさわしく、コストパフォーマンスの高いiOSデバイス活用プランを仕立てて、悩める企業を支え続けることだろう。

会場風景

イベント概要

事業作りは、尖ってこそ、語ってこそ、受け止めてこそ。
クリエイティブサロン Vol.118 大石裕一氏

お金も経験もコネも実績も何もない状態からソフトウェア開発会社を立ち上げて約10年。まさにゼロスタートから、受託開発依存で食いつなぎ、オリジナルのサービスを立ち上げ、自社の収益基盤に成長させた後、上場企業に事業売却するという激動の年月を過ごしました。
無い無い尽くしで創業した自分が、なぜここまで生き残ってこれたのか。様々な失敗と経験を振り返ってみて得ることのできた気付きを共有させて頂きたいと思います。

開催日:2016年11月1日(火)

大石裕一氏(おおいし ゆういち)

株式会社フィードテイラー

エンジニアとして6社を転々として、2006年に(株)フィードテイラーを創業。2008年よりiOSアプリ開発専門に事業転換。企業向けクラウドサービスSYNCNELを自社開発し、5年間で約200社1万ユーザを獲得。2016年上場会社に事業売却した。現在は、企業向けにiOSデバイスの業務活用を御支援するサービス「MICSS」を提供する一方で、執筆や講演活動にも注力。
また、乗換案内「駅すぱあと」で有名なヴァル研究所の技術顧問を務めるほか、医療系ITベンチャー企業の技術顧問や、各社のアプリ開発プロジェクトにおいてディレクターやマネージャーの役割も担う。趣味は読書、マラソン、社交ダンス。

https://www.feedtailor.jp/

大石裕一氏

公開:
取材・文:中島公次氏(有限会社中島事務所

*掲載内容は、掲載時もしくは取材時の情報に基づいています。