“Uターンクリエイター”だから見えた街づくり×クリエイティブのかたち
クリエイティブサロン Vol.116 甲斐健氏

カルビー、キリンビバレッジ、東芝など、コピーライターとして大企業の広告を数多く手掛けてきた甲斐健氏。東京の広告業界の第一線で活躍していたが、現在は故郷の大阪府交野市に舞い戻り「交野おりひめ大学」という市民大学を運営している。さまざまな出会いを軸に語られた、“Uターンクリエイター”の軌跡。そして、“都会と地方”のギャップを肌で感じた甲斐氏だからこそ見えた、現状と課題を赤裸々に語るトークが披露された。

甲斐健氏

コピーライターになるまでと、その仕事。出会いによって紡がれた、クリエイティブの軌跡。

「おらこんな村さ嫌だ!みたいな気持ちで、卒業したら交野市を出ようと決めていました(笑)」。交野市で生まれ育った甲斐氏は、22歳で東京へと旅立った。広告業界、そしてコピーライターを目指すことになった出会いから話は始まった。

小学生の頃、「これは感想文じゃなくて、あらすじです!」と、先生から読書感想文を注意された記憶があるほど、本を読むことや文章を書くことが苦手だった少年時代。そんな甲斐氏が高校3年生のときに出会ったのが、村上春樹氏の『風の歌を聴け』という一冊の本だった。すらすらと流れるように読み進められる文章に魅かれ、多感な時代に村上作品を読み耽る。

そして大学生になり、関西大学社会学部へ入学。電通出身の教授・植條則夫氏のゼミへ入ったことが広告との初めての接点だったという。当時、植條氏が関わる宣伝会議大阪校へゼミ生として授業に潜り込み、大御所コピーライター・秋山昌氏のコピーに出会う。「秋山氏が手掛けるキューピーマヨネーズの広告は、切り抜いてスクラップするほど好きな広告でした。事実を正確に伝えるジャーナリズムと、そこにアートの洋服を着せるという、二つの融合に魅かれました」と、当時を振り返る。

大学卒業後、第一企画(現ADK)に入社。東京勤務となり広告業界の最前線へ飛び込んだ。入社後もさまざまな出会いを繰り返しながら、コピーライターの仕事にのめり込んで行った甲斐氏。主な仕事の紹介では、カルビーの「じゃがりこ」や「ポテトチップス」、キリンビバレッジの清涼飲料水「サプリ」や「天然育ち」、東芝の「ダイナブック」など、誰もが知る名前がずらりと並んだ。さまざまな仕事で多くの広告賞を受賞。着実にその実力を磨いていった。

また、同社を志す動機となった、あるコピーとの出会いも教えてくれた。「よろしく。僕は麦芽、100日後キリンビールとなってお会いしましょう。」という言葉が躍るキリンビールの新聞広告。「素直なコピーなんですが、もの作りの誠実さや新しい知識を伝えてくれる。まさにジャーナリズムとアートの融合。見た瞬間に、ビビッときました」といい、その広告を手掛けた第一企画をめざしたという。

フリーランスとして独立、そして大阪へ。めざしたいクリエイティブのかたち。

32歳で第一企画を退社し、フリーランスのコピーライターへ。「会社が嫌になったわけでも、不満があったわけでもないんです」と笑いながら語ってくれたのが、独立のきっかけになった“青い空事件”。当時の同僚だった事務職の女性が、自分も広告を生み出すクリエイティブ職に就きたい、と退職を決意。そんな彼女の送別会で朝まで飲んだ帰り道、ふと見上げればビルの隙間に青い空。彼女の清々しい決意と青い空が重なり、その瞬間に「自分も辞めよう」と思ったそう。そして、その日のうちに辞表を提出。半年後、晴れて独立を果たすこととなる。

以降はフリーランスとして広告業界で活躍。「代理店勤めのときはプロデュース業務も多く、コピーライターなのか、プランナーなのか、プロデューサーなのか……はっきりしませんでした。コピーだけに専念したり、クリエイティブディレクターとして全体を任されるなど、立ち位置が明確になったのはフリーになってからだと思います」と、広告との関わり方が大きく変わったという。

また、変化したのはそれだけではない。広告賞を取り、商品も売れるクリエイティブ。代理店時代は、そんな仕事にやりがいを感じてきたと話す甲斐氏。しかし、賞という栄誉(や数字)だけでなく、クライアントやユーザーや、営業マンも、マーケティングスタッフまで、関わる全ての人がハッピーになるクリエイティブ。そんな仕事が、「業界の片隅で、ぼくがめざすクリエイティブ」だと思うようになったと、心の変化も語ってくれた。

東京の広告業界で走り続けて22年。44歳となった甲斐氏のもとに、交野市で暮らす父が倒れたという知らせが飛び込んでくる。そこから約1~2年の間は、父の入退院の世話など、半分は大阪で暮らす日々が続いた。これを契機として、仕事の拠点を関西へ移すべく、地元交野市へのUターンを決意する。

手がけた不動産広告
甲斐氏が関西にUターンしてから手掛けたマンションの広告。

市民の思いを集め、地域活性化へ導く。「交野おりひめ大学」の挑戦。

現在、甲斐氏は交野市で「交野おりひめ大学」という市民大学を運営している。活動紹介の前に、市民大学を開く発端となった、前交野市長・中田仁公氏との出会いが語られた。「すごくパワフルな市長さんでした」と、知人の紹介で顔を合わせたときの印象を振り返る。そんな中田氏は市民と膝を突き合わせて缶ビールを飲むような気さくな人柄。東京からUターンした甲斐氏ともすぐに意気投合し、「市民感覚で交野市の活性化案を考えて欲しい」と依頼を受けたのがはじまりだった。

「活性化」は依頼されたが、「市民大学」というお題があったわけではない。全国ワーストレベルの財政難など多くの問題を抱える交野市で、一体何ができるか? 帰郷後に多くの地元住民と交流を深めるなかで感じたのが「場所作り」の必要性。「市内にも現状を何とかしたい!と考える人は多かったんです。しかし、方向がバラバラ。市民や事業者、行政など、みんなが“一つの大きなテーブル”に付くことができる場所として考えたのが市民大学でした」。当時、「シブヤ大学」を初めとした、コミュニティカレッジの試みが広まってきた時期。先進事例を調べ、交野市に合うようリサイズして誕生したのが「交野おりひめ大学」だ。

「交野おりひめ大学」の活動はとても分かりやすい。市民が交野市の資源や課題を掘り起こし、それを学科にして、解決していく。「0歳の赤ちゃんから年配の方まで、みんなが先生や生徒になったりして、誰もが大学生になれる。市民大学を通じて、市民が街づくりに参加できれば」と、活動への思いを語る。2013年8月、市の事業を市民ボランティアが運営する形で開校された大学は、現在8学科。休耕地でそばを栽培し交野名物を生み出す「そば学科」、市内に2軒ある酒蔵とタッグを組み、商品開発や内外へのPRを目指す「おさけ学科」など、ユニークな学科が開設されている。また、アートで自然の魅力を創造する「かたのカンヴァス」といったイベントなど、さまざまな取り組みが行われている。

今では交野市の人口の1%を越える800人が学生として登録。市内の事業者とも連携を図りながら、少しずつ活動の成果が出はじめている。「まだまだ、道なかば。壁にぶつかりながら試行錯誤しています。しかし、広告業界では交流できなかった人たちと出会えることは、本当におもしろい!」と、運営の難しさと共に、そのおもしろさも笑顔で語ってくれた。

野外活動の様子
交野おりひめ大学「そば学科」の活動の様子

クリエイターの力で変化を! 街や事業者が求める“クリエイティブ”の力

市民大学の運営と平行して、クリエイティブの仕事も行っている甲斐氏は、Uターン後に携わった作品をいくつか披露してくれた。神戸市や大阪市に誕生した大型マンションの広告をはじめ、地元交野市だけでなく、兵庫県や奈良県の地元企業に対するブランディングの仕事を紹介。どの事例も、企業が持つ商品力やイメージに、クリエイティブを加えて発信することで、新たな切り口の魅力を提案。売り上げの面でも確実な成果が表れた。

「市民や事業者は悩んでいます。クリエイターの柔軟な発想力や大胆な行動力、情報発信力が求められているんです」と、経験から紡がれる言葉には力がこもる。また、甲斐氏はこう続ける。「よそもの、わかもの、ばかもの。これが街づくりに必要な人材だと言われていますが、これはクリエイターのことではないでしょうか」。外部からユーザー(やクライアントなど)の立場で考えられる「よそもの」の視点。みずみずしい感性と行動力を持つ「わかもの」の力。そして、既成概念を打ち破る「ばかもの」の発想。この3つを兼ね備えているのがクリエイターだと話す。

「いろんな町で、いろんな試みが立ち上がっている。羨ましくもありますが、みんな頑張って欲しい。横の繋がりが増えると、もっと面白いことができると思います」。こんな言葉で締めくくられた甲斐氏の話。都会と地方。どちらの良さも悪さも経験してきた言葉には、来場者のこれからのビジョンを刺激するスパイスが溢れていた。

会場風景

イベント概要

地方創生、時々、クリエイティブ
クリエイティブサロン Vol.116 甲斐健氏

コピーライター、CMプランナー、CDとして数々の広告制作や商品開発を手がけてきたクリエイターが、なぜか東京から大阪にUターン。それとは関係なく、なぜか地元で始めることになった地域活性化の活動(=コミュニティカレッジの運営)を通じて、なぜか地元企業のブランディングの仕事も続々増えてきた。漂流を続ける日々のドタバタの中から、地域とクリエイティブの未来を考えます。

開催日:2016年10月20日(木)

甲斐健氏(かい たけし)

交野おりひめ大学

コミュニティカレッジ「交野おりひめ大学」代表
1966年、大阪府交野市生まれ。1989年、関西大学社会学部卒業後、第一企画(現ADK)に入社、制作局コピーライターとして東京本社勤務。退社後、フリーランスのクリエイティブディレクターとして活動。キリンビバレッジ、カルビー、日清食品、丸井、東芝、ユーキャン、POLA、三菱自動車等を担当。ACC賞、広告電通賞ほか受賞。2010年、22年の東京生活を経て、大阪にUターン。2013年地域活性化のためのコミュニティカレッジ「交野おりひめ大学」設立、最近では地域の中小企業のブランディングも手がける。

https://www.orihime-univ.com/

甲斐健氏

公開:
取材・文:眞田健吾氏(STUDIO amu

*掲載内容は、掲載時もしくは取材時の情報に基づいています。