メビック発のコラボレーション事例の紹介
ここから始まる、家族の物語
築百年の民家再生
家族の「ルーツ」を求めて行き着いた場所は、伊賀上野の築百年の民家だった
漆黒の杉壁に、直線的な木の縦格子。黒光りする屋根瓦の几帳面さも心地いい。伊賀上野の城下町に現れた家は、映画監督の塩崎祥平さんと住宅や店舗など空間デザインを手がける近藤裕人さんによるもの。築100年の民家をリノベーションした建物は、「ずっとそこにあったもの」を最大限に生かし、モダンでありながら懐かしく、古い町の風景にやさしく馴染む。
ことの始まりは、塩崎さんの妻の実家の土地問題だった。「この辺りの土地は、義父が先祖から受け継いだものです。義父はすでに大阪に住んでいるので賃貸の管理ができず、今後この土地と建物をどうしていくべきかという問題がずっとありました」と塩崎さん。手放すことも選択肢として考えていたが、義父の代々受け継いだ土地に対する想いを聞くほどに心が動いた。「家族のルーツ」に想いを馳せた塩崎さんは、「自分たちが住む」ことを提案。「幸い、私の仕事はどこに住んでいてもできますし、妻も野菜ソムリエとして、今後やりたいこともありました。妻の家族のルーツともいえる場所に戻った後に生まれる暮らしやその後の展開が、映画を作るようにイメージできたんです」
映画監督と空間プロデューサー
何もないところからモノを作る二人の共通点
塩崎さんと近藤さんの出会いは、その半年ほど遡る。塩崎さんが脚本・監督を手がけた映画「茜色の約束 サンバDO金魚」の上映会がメビック扇町で開催され、その後の飲み会の席だった。映画監督と建築家。当時は一緒に何かをやるという話はなかったが、酒の席で互いの仕事について語り合ううちに「映画も建物も同じだ」と、意気投合したという。「その場所で何かをやりたいという人がいて、いろんな人がかかわってひとつの物を一から作り上げて行く、という点で、映画と建築はよく似ていると気づいて。そこに必要なもの、例えば建築なら照明や建具、家具など、ないものは自分で作ってしまおうというスタンスも非常に近いものがあり、共通の価値観を感じました」と近藤さん。
近藤さんには、特に印象に残っているやり取りがあるという。「映画のプロデューサーと監督のそれぞれの役割って何だろうという話になって。塩崎さんが、プロデューサーは自分が観たいものを持っている人で、監督はプロデューサーが観たいものを形にする力を持っている人だと教えてくれ、そこで気づいたんです。私は自分が建物をプロデュースしている気持ちで仕事をしていたけれど、実はクライアントがプロデューサーで自分は監督なのだと。とても勉強になりました」
そこにあったものを大切に受け継ぐ
想いを同じくした人が集まり、物語は動き出す
近藤さんは、伊賀上野の民家のリノベーションを塩崎さんから相談されたとき、話し合ったわけではないが、このプロジェクトへの二人の関わり方として「プロデューサーと監督」がイメージできたという。
「とはいえ、とりあえず現地を見なければわからないので、伊賀上野に訪れ現状を見せてもらいました。正直な感想は……『ほんとにやる?』でした(笑)」。築100年を越える民家は、震度3でも倒壊するかと思うほど荒れており、とても人が住めるものではなかった。普通で考えると、壊して建て替えるしかないような状態だったという。「でも、塩崎さんから分厚い企画書が上がってきて、やるしかないなと。それはまるで映画の企画書で、そこには家族のルーツへの想い、場所への想い、やろうという意気込みと決意が感じられました。それを見たときに、私は“監督”として“プロデューサー”の想いを形にしようと腹をくくりました」
こうして、上物は残して基礎工事をすべてやり直すという、前代未聞の作業が始まった。歪んだ窓枠や柱にはしっかり木を噛ませて歪んだままで耐震性や安全性を維持するなど、現場の大工や職人も、関わるすべての人がこの家を残すために知恵を絞った。嬉しい偶然もたくさんあった。落ちかけた天井を抜いたら、高い天井に黒い梁が現れた。室内の敷居に使われていたレトロなガラスを思いきって外窓に使ってみたら、太陽の光をキラキラと美しく部屋に誘ってくれた。何代か前に営んでいた醤油屋のロゴがついた皿が出てきたのでデザインに起こして暖簾にして掛けたら、忘れられていたこの家の歴史がさらなる味わいを生んだ。「この家には、そこら中に“昔からあったもの”が散りばめられています。かつてここにいた人々がいなかったら、または違う仕事や生き方をしていたら実現しなかった空間です」と近藤さん。
人は、“ルーツ”に戻った後
どう生きていくのか自ら体験していきたい
構想から約2年。現在、ここに塩崎さんの家族が住んでいる。夫婦二人の物語になるはずが、入居2日目で妻の妊娠がわかり、登場人物が家族三人になった。「今後、ここでどう物語を紡いでいくかということを考えています」と塩崎さん。“家族”や“ルーツ”は、塩崎さんの映画作品の普遍のテーマでもある。「自分の作品の根底にあるものを実体験しているような不思議な感覚もあります。ルーツを追い求めてたどり着いた場所で、自分や家族がどうなっていくのか興味もある。具体的には、国籍や職業も関係なく誰もが気軽に来れて何となく人が集う場所にしたい。飲んで食べれて、泊まれるような。地域の人たちも巻き込んでストーリーを作り上げていきたいですね。それには、新たな舞台が必要です。物語が続く限り、まだまだ近藤さんとの物作りは終わりません」
K-Design
近藤裕人氏
公開:2016年5月20日(金)
取材・文:わかはら真理子氏(株式会社アールコンシャス)
取材班:尾崎守彦氏(株式会社エムリンク)、松村裕史氏(株式会社マチック・デザイン)
*掲載内容は、掲載時もしくは取材時の情報に基づいています。