メビック発のコラボレーション事例の紹介
人から人へ伝播する、マチオモイの魔法
木津川市マチオモイ部
市役所内に「マチオモイ部」あらわる?
京都府南部に位置する木津川市。2007年に三つの町が合併して生まれたこのまちの市役所に、2015年7月に誕生したのが「マチオモイ部」。これまで別組織だった産業・観光・農政に加え、2016年4月からは企画・広報もひとつになり、まちを元気にするため機動力を発揮していく。一風変わった部署名のヒントになったのは、2011年に大阪のクリエイターたちによって始められ、今や全国に広まった「わたしのマチオモイ帖」。それぞれの極私的な「大切なまちへの思い」を、冊子や映像など思い思いのスタイルで綴るものだ。市とマチオモイ帖の接点を作った立役者は、地元在住のクリエイターであり、2010年から続くイベント「木津川アート」の総合プロデューサーである佐藤啓子さん。全国から集まる現代美術の作家たちが、木津川の自然やまちなみを舞台に作品を展示する同イベントは、市民と行政が一体となって作り上げる「地域を新発見・再発見する芸術祭」として、他の自治体からも一目置かれる存在だ。
「2回目の木津川アートをやっている時にマチオモイ帖のことを知って、イベントの記録アルバムのような気持ちで冊子を作ったんです。木津川アートのおかげで自分のまちの魅力を再発見した、と言ってくださる方が多くて、私にとってもボランティアの方にとっても、木津川アートができる過程そのものが “マチオモイ”でした」。以後、毎年佐藤さんは木津川アートを振り返るマチオモイ帖を制作しては、個人名義で展覧会に出展してきた。しかし、マチオモイという言葉がまち全体を巻き込む渦になるのは、まだもう少し先のことだ。
木津川アートが教えてくれた地方創生の原点
毎回開催地を変え、一から作り上げる木津川アート。地元住民にイベント趣旨を理解してもらい、民家や施設管理者に作品展示協力を仰ぎ、来場者へのおもてなしを地域全体で作り上げるために、準備には2年の歳月を要する大仕事だ。2回開催まで見届けたその先は、プロデューサーを退くつもりだった佐藤さんだが、3回目の加茂町当尾での開催以降、改めて木津川アートの持つ使命や可能性を見出していく。河井規子市長も当時の様子を振り返る。
「小学校が閉校になった当尾の地域では、木津川アートの開催で全国から多くの方が来場されとても賑わいました。ちょっとおしゃれをして来場者を案内されているおばあちゃんや、家の庭先にきれいなお花を植えてくださる人、野菜が全部売れたと喜んでおられる人……。みんながいきいきと頑張っておられるのを見て、こちらまで元気が湧いてきました。地方創生って、補助金による行政主導の施策だけでは効果が持続しないみたいです。その地域のみなさんが自分たちのまちに魅力を感じて、まちのために頑張ろうと思うことが重要です。そう木津川アートに気づかせてもらい、次第に私の中で“組織を見直さなければ”という思いが強くなりました」
産業・観光・農政・企画・広報の壁を取り払い、まちづくりにスピーディーに動ける部署を作ろう。市長の中でイメージは明確になってきたものの、その部署にぴったり合う名前は考えあぐねていた。
一方の佐藤さんは、木津川アート2016の準備を始めるに当たり、あるアイデアをあたためていた。
「山城町という広いエリアを選んだものの、まだ地域には木津川アートが浸透しているとはいえません。それで考えたのが、クリエイターと地元の人がグループになって、みんなで山城町の魅力を発掘するマチオモイ帖を作ること。その完成品を、木津川アートの本番でも展示しようと」
山城町を舞台にみんなでマチオモイ帖を作り、木津川アート本番への気運を高めたい、と市長に熱く語った佐藤さん。「そしたら “マチオモイっていいね”と市長の目の色が変わったんですよ! 市長がやりたい新しい部署にぴたりと来たみたいですね」
マチオモイという言葉は、人を動かす力がある
新しい部署の名前は「マチオモイ部」しかない。佐藤さんが山城町でマチオモイ帖プロジェクトを立ち上げるのとほぼ同時進行で、市長や市職員は「わたしのマチオモイ帖制作委員会」の本拠地であるメビック扇町に足を運び、話し合いを進めた。8月には、制作委員数名が市役所を訪れ、部署メンバーとミーティングを開催。2時間の予定を大幅にオーバーする白熱した対話を経て、「マチオモイ」の理念は部署メンバーの心にしっかり根を下ろしていく。
「マチオモイ部には、自由な発想で考える若い職員も現れました」と話す佐藤さんに、市長も応える。「これまでにないいいものを作りたいと思えばこそ葛藤や衝突も生まれる。だから私は“自分たちが汗をかこう、何かあったら私が責任取るから”と言っているんです。現場の職員が楽しくいきいきと仕事をしていたら、それは絶対周囲に波及するし“マチオモイな人”を増やすことにつながりますよね」
その言葉どおり、部署内では若手中心に「木津川アートのプレ企画として山城で音楽フェスをやろう!」という計画が持ち上がり、現在準備が進行中だ。そして佐藤さんが進めてきた山城町マチオモイ帖プロジェクトは、まちのエピソードだけでなく木津川市在住のクリエイター発掘にも成功。彼らが今後のシティプロモーションに果たす役割に期待が高まる。伝播力を持ったマチオモイという言葉が、このまちで紡ぐ物語は、まだ始まったばかりだ。
佐藤淳デザイン室 Stem+
佐藤啓子氏
2018年にご逝去されました。謹んでご冥福をお祈りいたします。
公開:2016年5月16日(月)
取材・文:松本幸氏(クイール)
*掲載内容は、掲載時もしくは取材時の情報に基づいています。